守りたいものが 3
さっきまで静かだったのに、急に物音が聞こえ始めた。
隣の部屋からだ。
シェルニティは、隣の部屋に繋がる扉に近づき、耳をくっつける。
「ウォルト、しっかりしろ。大丈夫だ。治癒できる」
カイルの声がした。
ということは、隣にカイルとウォルトがいるのだろう。
言葉の内容からすると、ウォルトは、治癒が必要な怪我をしている。
(今なら、なにかできるかもしれないわ。あの2人は、リンクスも殺す気だもの)
カイルのことだ。
リンクスを、すでに呼び寄せているかもしれない。
愛情があるかはともかく、リカラス・ウィリュアートンは、リンクスの父親だ。
(リンクスを死なせたくない……死んだら、もう……会えなくなってしまうのよ? 話だって……できなくなる……)
自分が死の間際に追い詰められるまで、シェルニティは「死」を重く受け止めたことはなかった。
人は誰でも死ぬ。
病気や事故、自死もあれば、殺されることもある。
シェルニティにとって「死」もまた、知識以上のものではなかったのだ。
が、自分が死にかけた時、思った。
自分が死ねば、彼にはもう会えないし、ふれることもできない。
それは、とても寂しく、悲しいことだ。
その時、シェルニティは、初めて「死」が、どういうものかを理解している。
扉から、少しだけ離れた。
鍵がかかっていると聞かされていたので、簡単に開くとは思っていない。
それでも、全身でぶつかれば開く可能性はある。
隣との仕切りとされている扉は、木製だからだ。
鉄の扉よりは、まだしも可能性は残されている。
バァンッ!!
体ごとぶつかったシェルニティのほうが驚いていた。
たった1回の衝突で、扉が壊れている。
王宮の内装とは思えないくらいに、脆かった。
「大人しくしてろって言ったはずだぜ、ご令嬢」
カイルは、シェルニティを見もせずに言う。
傍にはウォルトが倒れていた。
血塗れだ。
「ウォルト、飲むんだ。今、俺は魔術が使えない。わかるだろ、飲むんだ」
ウォルトの口元に、薬瓶をあてて、飲ませようとしている。
まだ息はあるようだが、かなりの重症だ。
自力で薬を飲めるとは思えない。
「……シェ……なんで……」
かすかな声に、シェルニティは、びくっとした。
カイルから、声のほうに視線を移す。
壁に寄りかかるようにして、リンクスが倒れていた。
「リンクス……ッ……!!」
慌てて駆け寄り、跪く。
リンクスの体を抱きかかえた。
体中から血があふれている。
「どうして、こんな……リンクス……」
リンクスの頬を撫でるシェルニティの手も血に塗れていた。
自然に、涙が、ぽろぽろとこぼれる。
カイルは魔術が使えないと言ったが、シェルニティも同じだ。
治癒する力はない。
抱きかかえて逃げることもできなかった。
リンクスは、もうすぐ大人と呼ばれる歳の男の子なのだ。
シェルニティがかかえるには、重過ぎる。
彼女にできるのは、ただ抱きしめることだけだった。
「あいつら……だらし、ねー……から……」
リンクスは、父親を守ろうとしたのだろうか。
愛情なんてかけてもくれず、子育てを完全に放棄していた彼らを、助けたかったのだろうか。
リンクスが、シェルニティの手を握ってくる。
弱々しい力だった。
逆に、リンクスの手を取り、握り返す。
「なぁ……オレ……カッコ、いーだろ……?」
「そうね、とても恰好いいわ。あなたは、女の子に人気が出るわよ、リンクス」
涙があふれて止まらない。
握った手から、リンクスの命を、取りこぼしてしまいそうに感じる。
自分の死より、大事な者の死のほうが、怖い。
どうすることもできず、見送るしかないなんて、悲し過ぎた。
シェルニティは、泣いている。
けれど、リンクスは、小さく笑っていた。
「……ジョザ……おじさ……納屋……閉じ込め、られ……シェルニ……泣かせ……」
「そんなことはさせないわ。代わりに、おいしいケーキを……用意して……」
言葉が続けられずにいる。
喉が詰まって、痛かった。
心は、もっと痛んでいる。
カチャン。
後ろで音がした。
カイルの近づいてくる気配がする。
ぎゅっと、リンクスを抱きしめた。
「いるんだろうが! 出て来い!」
どこに向かってかは知らないが、カイルが怒鳴る。
これまでにない怒りが、カイルから放たれていた。
おそらく、ウォルトは、助からなかったのだ。
だが、同情などしない。
リンクスだって死にかけている。
このままでは、死んでしまう。
カイルたちのせいで。
「私に、なにか?」
室内に、声が響いた。
見ると、赤褐色をした髪の青年が立っている。
「テ……ディ……いたの、かよ……」
テディというのは、キサティーロの息子セオドロスのことだ。
室内に潜んでいたらしい。
それならば、なぜ助けてくれなかったのか、との思いがよぎる。
「そこのガキと、そっちの女を殺せ」
「なぜ、私が、そのようなことをする必要が?」
カイルは冷酷な瞳をしていた。
ウォルトの死により、自制ができなくなっているのだろう。
彼らの絆は、とても強かったのだ。
「お前、公爵の部下なんだろ? やらなきゃ、公爵は、一生、戻っては来ないぜ? いや、一生より長い時間を暗闇で過ごすことになる」
セオドロスの眉が、わずかに吊り上がった。
少しの間のあと、うなずく。
「私の主は、我が君、お1人。誰にも代えることはできませんので」
「だと、思ったよ」
セオドロスが、シェルニティとリンクスに近づいて来た。
濃い青色をした瞳には、感情がない。
「だから、リンクスを助けてくれなかったの? あなたの主は彼だけだから?」
「さようにございます、シェルニティ様」
セオドロスは、あたり前のように答える。
きっと、セオドロスにとっては、当然なのだ。
「我が君を、お助けするために必要なことをすべきかと」
キサティーロも無表情だが、セオドロスも無表情だった。
シェルニティは、セオドロスと会ったのは、これが初めてだ。
キサティーロからは感じられる、なんとなくの雰囲気すら掴めない。
セオドロスの周りに、小さくて黒い鉛球が大量に浮いている。
本気だ、と感じる。
自分だけではなく、リンクスもろとも殺そうとしているのだ。
恐怖に全身が貫かれた。
「このようなことになり、とても残念ですが」
言葉と同時、鉛玉が、一斉に、シェルニティに向かって飛んでくる。




