守りたいものが 2
アリスは、リンクスを前にしているリカを、初めて見た。
赤ん坊だったリンクスを抱いて女が来た時、最初に対応したのはアリスだった。
だから、布にくるまれたリンクスを抱いていたのも、アリスだったのだ。
女は赤ん坊より、リカを説得するのに夢中。
説得されかかって女との婚姻を承諾しようとしたリカを、アリスは止めている。
自分も、その女と関係を持ったと嘘をついた。
結果として、リカは女と婚姻はせず、口止めも含めてウィリュアートンは大金を払い、リンクスを引き取ったのだ。
『どちらの子でもかまわないでしょう。ウィリアートンの子なのよ』
女の放った、この言葉が、真面目で堅物な、リカの心を壊してしまった。
女に、こう言わせたのは自分だし、リカの「熱病」に気づいてやれなかったのも自分だ。
アリスは、そんな己の未熟さを悔いている。
以来、リカの心は壊れっ放し。
当時より、いくぶんかマシになってはいる。
が、未だにアリスのことしか信じていない。
そして、リカは、リンクスに1度も会おうとはしなかった。
赤ん坊の頃から、ずっとだ。
アリスも、リカの心だけを慮り、リンクスとは会わないようにしていた。
遠くから見てはいたが、自分から声をかけたことはなかったのだ。
リンクスは、アリスの存在に気づいていたようだったけれども。
「なぜ、ここにいるのです?」
「ここに行けって、言われたからだよ」
「誰に」
「カイル」
リカは、淡々と話している。
感情はこもっていない。
父親として、というより、どんな感情もない、いつものリカだ。
アリスの前でしか、リカは、本音も感情も見せない。
ほかの者に対しては、常に淡々としている。
人として見ているのかも定かでなかった。
言語能力のある生き物程度の認識しかしていないように思える。
「ここは執務室です。仕事をする部屋だとわかっているのなら、出て行きなさい」
「来たくて来たんじゃねーし」
「それなら、なおのこと、出て行きなさい」
リンクスは、リカが実父だと知っているはずだ。
なのに、傷ついた様子は見受けられなかった。
リンクスは、とうに、リカを見限っている。
リカに冷たくあしらわれようと、どうでもいいのだ。
だから、傷ついたりはしない。
「リンクス、ここはヤバいんだ。エセルんトコには、ヴィッキーがいる。あっちに帰ってろ。エセルんトコが、お前の家なんだろ?」
言ったとたん、リカと話していた時の冷めた様子から一転、リンクスが、ギッとアリスを睨みつけてきた。
なんだそれ、と、ちょっとイラっとする。
「なめてんのか、クソガキ」
「うるせえ! オレは、ここにいなきゃならねーんだよ!」
「お前の、ちゃちな自尊心なんか捨てちまえ! お前は……」
ウィリュアートンの後継者、死なせるわけにはいかない。
言おうとした言葉が遮られた。
「ちゃちな自尊心なんかじゃねー! 覚悟だ! オレは、ウィリュアートンだからな! 逃げたりしねーんだよ、オレはな!」
面倒くさい。
非常に面倒くさい。
これだから、子供は嫌なのだ。
けれど。
アリスは、リンクスを真剣なまなざしで見つめた。
アリスより頭の回転が速く、早熟でもあるリンクスは、すべて理解している。
自分の血のことも、背負っているものも、今の状況も。
(けどな、お前は、まだガキなんだよ)
身長だって、自分より頭ひとつ分以上、低いし。
体もできあがっているとはいい難いし。
「オレは、リカのことしか守る気ねーぞ」
「わかってねーと思ってんの?」
アリスは、フイッとリンクスから視線を外す。
瞬間、室内に男が2人現れた。
(ったく……逃げられたのは、あの時だけだったってのに……)
アリスがリカの執務室に飛び込むと、すでにリンクスがいたのだ。
自分に魔術が使えていたら、有無を言わさず、リカを転移で逃がしている。
リンクスだけなら、変転で逃げるのは可能だった。
もちろん、リンクスだって、そんなことは承知している。
「お前らってさ、魔術を使えないんだろ?」
「まぁね」
アリスは、リカとリンクスを背にして、2人の前に立った。
1人はカイル、もう1人は、誰だか知らない。
半端者の仲間にしては、いい身なりをしている。
貴族であるのは確かだが、アリスの情報にはない顔だった。
「与える者ってのは、せつない存在だな。ただ与えるしかできずに、自分の身さえ守れないなんてさ」
「そーだな」
「その、やりきれなさってのを、俺が終わらせてやりたくてね」
「そーかよ」
カイルは、王宮に来て魔術師となっている。
フィランディは閉じ込められているが、魔術師に対しての魔力供給は止めているはずだ。
とはいえ、1度、与えた魔力を回収することはできない。
カイルには、魔術を使うだけの魔力が残っている。
隣の男も魔力持ちだ。
転移で、ここに来たのだから。
どう対処するか。
考える間もなかった。
ビュッと、アリスの横を、なにかが駆け抜ける。
「よせ、馬鹿ッ!! リンクスッ!!」
アリスは、初めて、リンクスの名を呼んだ。
リンクスを腕に抱いた時の、重さとぬくもりを思い出していた。
ブルーグレイの毛を持つ豹。
変転したリンクスが、魔力持ちの男に飛びかかっている。
一瞬だった。
男の喉元を、リンクスは噛みちぎる。
真っ赤な血がしぶいた。
「ウォルトッ!! この野郎……ッ!!」
カイルから光の矢が飛ぶ。
それらが、リンクスの体に突き刺さった。
リンクスがふっ飛ばされ、扉にぶち当たる。
変転が解け、人の姿に戻ったリンクスは血塗れだった。
「リカッ!! 力を使えッ!!」
「ですが、にいさん……」
「使えッ!! お前の……オレらの息子が死んじまうッ!! 使え、リカッ!!」
アリスは、執務机の向こうにいたリカに駆け寄る。
そして、その手を握った。
「オレを信じてるだろ?」
「もちろんです」
リカがうなずく。
そして、その言葉を口にした。
「ユージーン・ガルベリーを始として命ず。魔術師サイラスの誇りを示せ」
カイルが目を見開き、それから、苦悶の表情を浮かべる。
アリスは、必死でリカを支えた。
(それでも……たぶん……これじゃ、時間稼ぎも……)
アリスの予測通り。
すぐに声が聞こえてくる。
「まさか、こんな奥の手を持ってたとはね。魔力、引っこ抜くなんてな。さすがに意識を持ってかれるかと思ったぜ。でも、俺は魔力には、あまり頼ってないんだ」
カイルが頭を振りながら、立ち上がっていた。




