過ぎた話より 2
イノックエルの側室が「犯人」だと知っても、シェルニティは、ただ驚いていただけだった。
その様子から、父親のしでかしたことのとばっちりで「呪い」をかけられたとの事実に、彼女が傷つかないと、わかっていた。
とはいえ、シェルニティの感情は、かなり成長してきている。
万が一、ということも有り得た。
だから、彼は、彼女の表情や仕草を見ながら、話を進めている。
シェルニティが「解」を得られ易いように誘導しながらも。
「まぁ、審議風に言えば、すべての責は父君にある、と言ったところかな」
そもそも遊蕩を続ける気なら、30歳で婚姻などしなければよかったのだ。
ましてや、同時期に側室を迎えるなど、すべきではなかった。
イノックエルには複数の愛妾もいたのだから、婚姻などせず、サロン通いですませていれば、あんなことにはなっていない。
が、イノックエルには、そうせざるを得ない理由があったと、知っている。
(王族は、王位に就きたがる者が少なくて困っているが、貴族は逆だ。誰も彼もが当主になりたがる)
家督を継ぐのは、長男とされてはいるが、ここでも後継問題が絡んでくる。
婚姻していない長男より、婚姻している次男が優先されることもあるのだ。
(彼には、1歳下の弟がいる。弟のほうが先に婚姻していたから、いざ、先代が退くとなった時、イノックエルは慌てたのだろうよ)
イノックエルも、ほかの遊蕩貴族同様、婚姻なんて40歳を過ぎてからでもかまわないと考えていたはずだ。
にもかかわらず、イノックエルが30歳になる手前で、先代の当主は、その座を譲ると決めてしまった。
弟に当主の座を奪われまいと、焦ったイノックエルは婚姻。
後継ぎをもうけることに問題はないと示すため、側室まで迎えたのだ。
貴族の男性は爵位という枠組みの中で、女性は立場という枠組みの中で、自分の利を守るため「最悪」を尽くす。
あげく、イノックエルは、当主の座を射止めたあと、正妻と側室に男子が産まれなかったのをいいことにしていた。
愛妾との間にできた子を認知せず、口実を保ったまま、遊蕩を続けている。
そして、48歳になった今頃になって、新たな側室を迎えるつもりなのだ。
いよいよ、次期当主を定めなければならないから。
「きみの息子は、今年で、20歳ではなかったかね? だが、きみは認知しない。新たな側室との間に男子をもうけられたとして……きみは、70歳近くまで当主に居座れるというわけだ」
「い、居座る気では……」
「それなら、今いる息子を認知してやったらどうだ? 数年もあれば、当主にしてやれるじゃないか」
貴族の中でも、当主の交代が早い家はある。
彼とも、それなりに懇意にしているウィリュアートン公爵家が、そうだ。
代々34,5歳で、当主の座を譲り渡している。
現在の当主リカラス・ウィリュアートンも、きっと息子のリンカシャスが20歳になったら、当主を譲り渡すはずだ。
リカラスの双子の兄アリスタス・ウィリュアートンが、必ず、そうさせる。
2人は、双子であるがゆえに、2人で一人前。
だが、リンカシャスは違うのだ。
早々に、譲るための手筈も整えているに違いない。
(それほど早くなくてもかまわないが、半分でも見習ってほしいものだ)
つまるところ、イノックエルの「個人的」な欲得に、シェルニティは巻き込まれたと言える。
今さら、あれこれ言っても詮無いことだが、反省くらいはしてほしい。
周囲から疎外され、隔絶された世界にシェルニティを追いやったのだから。
(この男は、反省などしやしない。わかっているさ)
イノックエル・ブレインバーグとは、そういう男だ。
悪い意味で、貴族らしい貴族だった。
それでも、シェルニティの父親なのだから、しかたがない。
彼女が、イノックエルを恨んでいれば「なにか」したかもしれないけれど。
「……公爵様は、私に……彼を認知しろ、と仰っておられるのでしょうか?」
イノックエルが、彼の顔色を窺いながら、恐る恐る訊いてくる。
また、イラっとした。
どうせ認知する気もないくせに、彼に否定されたくて訊いているだけなのだ。
「私は、きみに指図する立場ではない。そりゃあ、きみの過去をあげつらいはしたがね。これまでのことに理屈付けをしたってだけの話さ。最初にも言ったが、これは、きみの問題であり、好きなようにカタをつければいい」
「ですが……私が、彼女に与えた罰に対し、公爵様が、軽過ぎると、ご不快になられるかもしれませんし……」
「ならないよ。ああ、ならないとも。なにに誓ってもかまわない。きみの与える罰について、私は、これっぱかりも興味をいだかない、とね」
イノックエルは、あからさまに安堵した表情を浮かべる。
きっと大した罰を与える気がないからだ。
それは、側室に対しての「愛情」とは無関係なところに理由がある。
あまり大きな罰を与えれば、表沙汰になる可能性が高い。
表沙汰になると、さっきから彼が述べていたことも公になってしまうのだ。
ほかの貴族らは、それを理由に、こぞってイノックエルの足を引っ張ろうとするだろう。
王宮での立場も失いかねない。
要は、自らの保身のために、軽い罰ですませてしまいたい、と考えている。
彼にしても、公にする気がないから、夜会で「誰が」とは口にしなかったのだ。
が、ふと思い立つ。
「ただし、ひとつ、指図をさせてもらう」
言葉に、びくっとイノックエルが体を震わせた。
一瞬、緩んでいた緊張が、再び戻ってきている。
怯えを含んだ瞳を見据えて、彼は「指図」した。
「次に、側室を迎えた際には、サロン通いをやめたまえ」
「え……?」
イノックエルのサロン通いのせいで、シェルニティは「男性は放蕩を好むもの」だと思い込んでいた。
一応は、正しておいたが、刷り込みというのは、簡単には消せないのだ。
「きみがサロン通いをしていたのは、まだ出会えていない愛しい女性を探していたからだろう? 少なくとも、私は、そう考えているのだが、違うのかね?」
じっと、見つめるだけで、イノックエルの震えが大きくなる。
迂闊にも、イノックエルは、彼と目を合わせてしまっていた。
すでに視線を外すこともできず、口もきけなくなっている。
ごくわずかにでも、彼の「闇」を覗くと、ほとんどの者が、こうなるのだ。
暴風雨の中、裸で立たされているのと同じくらい、身動きがとれなくなる。
吹き飛ばされないよう、せいぜい木にしがみつくので、精一杯というところ。
「次に迎えられる側室の女性は、きみの愛しい女性に違いないものねえ。そういう女性と出会えたあとに、サロン通いをする理由などないはずだ」
イノックエルが震えながら、小さく、こくっとうなずいた。
それしか、できなかったからだろうけれども、それはともかく。
「やっぱりな。そういうことだと思っていたよ、イノックエル」
彼は、口元に緩やかな笑みを浮かべる。
空気が変わったからか、イノックエルが、大きく息を吸い込んだ。
どうやら息をするのも忘れていたらしい。
これで、シェルニティに、おかしな刷り込みをした意趣返しも終わった。
そろそろ帰ってほしいところだ。
イノックエルだって帰りたいだろうし。
「そろそろ昼食の用意をしなければなあ」
彼は、わざとらしく言う。
ある意味では、イノックエルに対する「助け船」でもあった。
が、しかし。
「それなら、お父さまも昼食を召し上がっていらしたら?」
シェルニティが、悪気なくイノックエルを昼食に誘う。
イノックエルは、顔面蒼白だ。
彼は、心の中で「だろうな」と思った。
「私、あのことを、お父さまに話しておいたほうがいいと思っているの」
「ああ、それは、とてもいい考えだね、シェリー」
嘘ではなく、本当に、そう思っている。
彼は、シェルニティに向かって、微笑んでみせた。
(話を聞いたイノックエルの心臓が止まらなけばいいのだけれどね)




