表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/80

この先にあるのは 2

 シェルニティは、キサティーロと2人で家にいる。

 屋敷にいる時と変わらず、キサティーロは執事然としていた。

 場所がどこだろうと、キサティーロはキサティーロなのだ。

 

 彼が、いつ帰ってくるのかはわからない。

 しばらくは2人きりで過ごすことになる。

 せっかくなので、かねてから訊きたかったことを訊くことにした。

 この間は、彼のことが心配で、いわゆる世間話をする余裕はなかったので。

 

「キットは、婚姻の式をしたの?」

「……私は、お断りしたのですが、旦那様がお許しくださらず……」

「したのね」

「…………いたしました」

 

 常に、流暢に話すキサティーロだったが、自身の話題になると言葉少なになる。

 私的なことを話すのは苦手らしい。

 答えを強要する気はないものの、今後のためにも訊いておきたいのだ。

 

 彼もシェルニティも「貴族らしくない貴族」だった。

 そのため、シェルニティの中にある知識は、ほとんど役に立たない。

 シェルニティが学んだのは「貴族」のための教養だからだ。

 そして、彼女が訊ける相手であり、信頼できる知識の持ち主は1人だけ。

 

「彼に、式をどうするかということを訊かれたの。でも、私は式に出席したこともないし、前の時は挙げなかったから、よくわからないのよ」

「ある程度の作法はございますが」

 

 キサティーロが、白い手袋をした手を顎に当てている。

 こんなふうに、なにか考えている様子を見るのは、非常にめずらしい。

 キサティーロは完璧な執事であり、指示をする前に動き、質問をする前から答えを用意しているのだ。

 およそ「悩む」姿など、見たことがなかった。

 

「大変、不躾とは存じますが、お訊ねしてもよろしいでしょうか?」

 

 顎から手を離し、キサティーロが、いつもの様子に戻る。

 キサティーロの場合、無表情が「いつもの状態」だ。

 愛想がないと受け止められそうなものだが、シェルニティは慣れている。

 それに、気にしていない。

 キサティーロが細やかな気遣いをする人だと、知っていた。

 

「なにかしら?」

「シェルニティ様は、婚姻の式に対して、どういった印象をお持ちでしょう?」

 

 訊かれて、はたとなる。

 キサティーロは、一般的なことを訊いているのではない。

 シェルニティ自身の印象を訊いているのだ。

 さりとて、彼女の頭の中に「式」がない。

 

「なにも浮かんでこないわ」

「人を集めて、誓いを立てるものだ、という知識はおありでも、ご自身では印象を持たれておられないのですね」

「そうみたい……」

 

 そもそも、シェルニティは、式を儀礼的なものだと捉えていた節がある。

 彼が「式を挙げる」と言った際に「手続き」的な意味だけではないと、気づいたくらいだ。

 今もって、そこにどういう意味があるのか、よくわかっていない気がする。

 

「シェルニティ様は、旦那様を愛しておられますか?」

「ええ、もちろんよ」

「ともに人生を過ごされたいと、お考えですか?」

「そうでなければ、愛してはいないわ」

 

 キサティーロが、小さくうなずく。

 シェルニティには、キサティーロの質問の意図がわからなかった。

 キサティーロは、シェルニティの答えなど、訊かなくても知っているはずだ。

 

「これから、お2人には様々なことがあるでしょう。お子様ができ、家族が増え、賑やかな毎日が訪れると存じます。しかしながら、楽しいことばかりではないかもしれません。日常には、多くの悲しみや寂しさが、存在しております。それでも、お2人が一緒に生きていかれることは間違いないでしょう」

 

 キサティーロの言葉に、シェルニティは、これからの彼との生活を垣間見る。

 この間、ぎくしゃくした時のことも思い出した。

 喜びや楽しみがあふれていた日々に、突然、悲しみや寂しさが降りかかってきたのだ。

 毎日は、けして平坦ではない。

 

「もちろん、式を挙げずとも、お2人は、ともに歩んでいかれることと存じます。誓いにしても、本来は、お2人がわかっておられれば、それで良いことなのです。ただ、自分たちが、そう誓いあっていると周りに知ってもらい、祝福してもらえるのは、喜ばしいことではありませんか?」

「それは……そうかもしれないわね」

 

 おそらく、リンクスやナル、もちろんキサティーロにも、祝福してもらえると、嬉しく感じられるだろう。

 反対されるよりは、ずっと心地いいはずだ。

 彼と自分が「人生をともにする関係」だと、認めてもらえるのだから。

 

「ご存知の通り、婚姻は無効にすることも解消することもできます。ですが、少なくとも、式の日には、生涯を誓い合う気持ちがあるはずなのですよ」

「なんとなく、わかってきた気がするわ」

 

 キサティーロの話を聞いていて、感じた。

 婚姻の式は、シェルニティが考えていた儀礼的なものとは違う。

 もっと(おごそ)かなものなのだ。

 ある種の宣言にも等しい。

 

 今まで生きてきたよりも長い時を、これからは2人で生きていくのだと。

 

 それは、シェルニティにとって、喜びだ。

 周りからも祝福してもらえれば、さらに大きな喜びとなるに違いない。

 

「式には、そういう意味があったのね」

「もちろん、先ほども申し上げました通り、式を行っただけでは、先々まで誓いが守られるとは限りません」

「でも……どうかしら……なにかあった時には、思い出すのじゃないかしら」

「その通りにございます、シェルニティ様」

 

 たとえば、悲しいことやつらいこと、寂しいことがあっても、その日を思い出せれば、乗り切れるのではなかろうか。

 乗り切るための、ひとつのきっかけに成り得るように思えた。

 

「ですから、実際の様式は、お2人で、お決めになられるのが、よろしいかと存じます。どのような雰囲気になさるか、誰をお呼びするかは、自由にございます」

「ええ。彼と、話し合って決めることにするわ」

 

 シェルニティの中で、式の印象が形になりつつある。

 単なる手続きではなく、意味を持ったものになっていた。

 

「ありがとう、キット」

「どういたしまして」

 

 シェルニティは、目を、ぱちんとさせる。

 キサティーロの、そういう返事の仕方を、初めて聞いたからだ。

 実のところ、これは「貴族言葉」ではない。

 俗語の部類に入れられている。

 新語である「民言葉の字引き」に記載されている用語なのだ。

 

(キットは、やっぱり完璧ね。使うべき時には、新語も使うのだわ)

 

 すべてが公のもので、丁寧であれば「完璧」ということではない。

 状況に応じて、最適の言動をとれるのが、完璧さというものなのだろう。

 

「シェルニティ様、ひとつ、ご忠告を申し上げます」

 

 キサティーロは、まったく表情を変えずにいる。

 無表情のまま、少しだけ腰を曲げ、シェルニティに言った。

 

「式の日は、先々、“婚姻記念日”とし、万が一、旦那様がお忘れになられた際は、こっぴどく叱りつけくださいますよう」

「あら、そういうものなの?」

「そういうものにございます」

 

 無表情で、主を叱れと言うキサティーロに、シェルニティは笑う。

 冗談とも本気ともつかないが、うなずいてみせた。

 

「覚えておくわ。あなた、奥様にこっぴどく叱られたことがあるようだから」

 

 キサティーロが「ちょっぴり」困った顔をする。

 キサティーロ流の、苦笑いといったところだろうか。

 

「………シェルニティ様には敵いませんね」

 

 言葉に笑ったのだけれど、不意に、キサティーロの表情が戻った。

 シェルニティも笑いをおさめる。

 どうしたのかと訊こうとしてやめた。

 

(なにかあるみたいだけれど、キットに任せておけば大丈夫)

 

 すでに、キサティーロは足音も立てず、入り口のほうへと向かっている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ