この先にあるのは 2
シェルニティは、キサティーロと2人で家にいる。
屋敷にいる時と変わらず、キサティーロは執事然としていた。
場所がどこだろうと、キサティーロはキサティーロなのだ。
彼が、いつ帰ってくるのかはわからない。
しばらくは2人きりで過ごすことになる。
せっかくなので、かねてから訊きたかったことを訊くことにした。
この間は、彼のことが心配で、いわゆる世間話をする余裕はなかったので。
「キットは、婚姻の式をしたの?」
「……私は、お断りしたのですが、旦那様がお許しくださらず……」
「したのね」
「…………いたしました」
常に、流暢に話すキサティーロだったが、自身の話題になると言葉少なになる。
私的なことを話すのは苦手らしい。
答えを強要する気はないものの、今後のためにも訊いておきたいのだ。
彼もシェルニティも「貴族らしくない貴族」だった。
そのため、シェルニティの中にある知識は、ほとんど役に立たない。
シェルニティが学んだのは「貴族」のための教養だからだ。
そして、彼女が訊ける相手であり、信頼できる知識の持ち主は1人だけ。
「彼に、式をどうするかということを訊かれたの。でも、私は式に出席したこともないし、前の時は挙げなかったから、よくわからないのよ」
「ある程度の作法はございますが」
キサティーロが、白い手袋をした手を顎に当てている。
こんなふうに、なにか考えている様子を見るのは、非常にめずらしい。
キサティーロは完璧な執事であり、指示をする前に動き、質問をする前から答えを用意しているのだ。
およそ「悩む」姿など、見たことがなかった。
「大変、不躾とは存じますが、お訊ねしてもよろしいでしょうか?」
顎から手を離し、キサティーロが、いつもの様子に戻る。
キサティーロの場合、無表情が「いつもの状態」だ。
愛想がないと受け止められそうなものだが、シェルニティは慣れている。
それに、気にしていない。
キサティーロが細やかな気遣いをする人だと、知っていた。
「なにかしら?」
「シェルニティ様は、婚姻の式に対して、どういった印象をお持ちでしょう?」
訊かれて、はたとなる。
キサティーロは、一般的なことを訊いているのではない。
シェルニティ自身の印象を訊いているのだ。
さりとて、彼女の頭の中に「式」がない。
「なにも浮かんでこないわ」
「人を集めて、誓いを立てるものだ、という知識はおありでも、ご自身では印象を持たれておられないのですね」
「そうみたい……」
そもそも、シェルニティは、式を儀礼的なものだと捉えていた節がある。
彼が「式を挙げる」と言った際に「手続き」的な意味だけではないと、気づいたくらいだ。
今もって、そこにどういう意味があるのか、よくわかっていない気がする。
「シェルニティ様は、旦那様を愛しておられますか?」
「ええ、もちろんよ」
「ともに人生を過ごされたいと、お考えですか?」
「そうでなければ、愛してはいないわ」
キサティーロが、小さくうなずく。
シェルニティには、キサティーロの質問の意図がわからなかった。
キサティーロは、シェルニティの答えなど、訊かなくても知っているはずだ。
「これから、お2人には様々なことがあるでしょう。お子様ができ、家族が増え、賑やかな毎日が訪れると存じます。しかしながら、楽しいことばかりではないかもしれません。日常には、多くの悲しみや寂しさが、存在しております。それでも、お2人が一緒に生きていかれることは間違いないでしょう」
キサティーロの言葉に、シェルニティは、これからの彼との生活を垣間見る。
この間、ぎくしゃくした時のことも思い出した。
喜びや楽しみがあふれていた日々に、突然、悲しみや寂しさが降りかかってきたのだ。
毎日は、けして平坦ではない。
「もちろん、式を挙げずとも、お2人は、ともに歩んでいかれることと存じます。誓いにしても、本来は、お2人がわかっておられれば、それで良いことなのです。ただ、自分たちが、そう誓いあっていると周りに知ってもらい、祝福してもらえるのは、喜ばしいことではありませんか?」
「それは……そうかもしれないわね」
おそらく、リンクスやナル、もちろんキサティーロにも、祝福してもらえると、嬉しく感じられるだろう。
反対されるよりは、ずっと心地いいはずだ。
彼と自分が「人生をともにする関係」だと、認めてもらえるのだから。
「ご存知の通り、婚姻は無効にすることも解消することもできます。ですが、少なくとも、式の日には、生涯を誓い合う気持ちがあるはずなのですよ」
「なんとなく、わかってきた気がするわ」
キサティーロの話を聞いていて、感じた。
婚姻の式は、シェルニティが考えていた儀礼的なものとは違う。
もっと厳かなものなのだ。
ある種の宣言にも等しい。
今まで生きてきたよりも長い時を、これからは2人で生きていくのだと。
それは、シェルニティにとって、喜びだ。
周りからも祝福してもらえれば、さらに大きな喜びとなるに違いない。
「式には、そういう意味があったのね」
「もちろん、先ほども申し上げました通り、式を行っただけでは、先々まで誓いが守られるとは限りません」
「でも……どうかしら……なにかあった時には、思い出すのじゃないかしら」
「その通りにございます、シェルニティ様」
たとえば、悲しいことやつらいこと、寂しいことがあっても、その日を思い出せれば、乗り切れるのではなかろうか。
乗り切るための、ひとつのきっかけに成り得るように思えた。
「ですから、実際の様式は、お2人で、お決めになられるのが、よろしいかと存じます。どのような雰囲気になさるか、誰をお呼びするかは、自由にございます」
「ええ。彼と、話し合って決めることにするわ」
シェルニティの中で、式の印象が形になりつつある。
単なる手続きではなく、意味を持ったものになっていた。
「ありがとう、キット」
「どういたしまして」
シェルニティは、目を、ぱちんとさせる。
キサティーロの、そういう返事の仕方を、初めて聞いたからだ。
実のところ、これは「貴族言葉」ではない。
俗語の部類に入れられている。
新語である「民言葉の字引き」に記載されている用語なのだ。
(キットは、やっぱり完璧ね。使うべき時には、新語も使うのだわ)
すべてが公のもので、丁寧であれば「完璧」ということではない。
状況に応じて、最適の言動をとれるのが、完璧さというものなのだろう。
「シェルニティ様、ひとつ、ご忠告を申し上げます」
キサティーロは、まったく表情を変えずにいる。
無表情のまま、少しだけ腰を曲げ、シェルニティに言った。
「式の日は、先々、“婚姻記念日”とし、万が一、旦那様がお忘れになられた際は、こっぴどく叱りつけくださいますよう」
「あら、そういうものなの?」
「そういうものにございます」
無表情で、主を叱れと言うキサティーロに、シェルニティは笑う。
冗談とも本気ともつかないが、うなずいてみせた。
「覚えておくわ。あなた、奥様にこっぴどく叱られたことがあるようだから」
キサティーロが「ちょっぴり」困った顔をする。
キサティーロ流の、苦笑いといったところだろうか。
「………シェルニティ様には敵いませんね」
言葉に笑ったのだけれど、不意に、キサティーロの表情が戻った。
シェルニティも笑いをおさめる。
どうしたのかと訊こうとしてやめた。
(なにかあるみたいだけれど、キットに任せておけば大丈夫)
すでに、キサティーロは足音も立てず、入り口のほうへと向かっている。




