この先にあるのは 1
一昨日は、1日、ベッドでのんびりと過ごした。
街でフィランディとやりあってから、3日目になる。
彼は、森全体に、彼にしか使えない絶対防御をかけていた。
魔術、物理ともに、どのような攻撃も弾き返す魔術だ。
が、そもそも、これは人を対象にしている。
そのため、彼の許しなく、この領域に入れる者はいない。
魔術師であろうと、魔力を持たない者であろうと。
うっかりでも足を踏み入れれば、命を落としかねないのだ。
(だが、これも、たいして役には立たないな)
魔術は万能ではない。
カイルは、薬を魔術代わりに駆使できる。
薬での変化に対し、絶対防御は意味がなかった。
動物は、効果の範囲外だからだ。
つまり、ここも完璧な避難場所にはならない。
そのため、なるべく早くケリをつけてしまいたいと思っている。
彼は、視線の先に、シェルニティを見つけた。
久しぶりに、釣りに来ている。
さりとて、冬が近づくにつれ、魚たちは少しずつ姿を減らしていた。
それでも、シェルニティは、根気よく釣り糸を垂れている。
あれから、2人で一緒に眠るようになった。
彼女のぬくもりを感じながらだと、驚くくらい、深く眠れる。
彼としては、少しばかりつらい時もあるけれど、それはともかく。
(魔術というのは、まさに万能ではないとの象徴が来たようだ)
彼は、ちらりと空を見上げた。
黒い烏が、円を描きながら飛んでいる。
少し体が小さい。
数回、旋回したのち、すいっと降りてきた。
彼の後ろにある岩に、ちょこんと、とまる。
「きみは謹慎中ではなかったかね、リンクス」
「そーだけど! どうしても、言っとかなきゃならねーことがあって来た」
彼は、振り向かず、軽く肩をすくめた。
リンクスは、リカの息子であるにもかかわらず、アリスに似ている。
話しかたも態度も、頭の回転が速いところも。
「……ヴィッキーには言ってきたぜ? ジョザイアおじさんのトコに、ちょこっと行って、すぐ戻るってサ。ナルを誤魔化しとけって頼まなきゃなんなかったしな」
とすると、ナルが気づいていない、なにかを話すために来たに違いない。
小さくても、ナルは魔術師だ。
リンクスの動きに気づけば、一緒に動こうとしただろう。
魔術の使えないリンクスを補填する役目を、ナルはかって出ている。
さりとて、リンクスもリンクスで、ナルに関わらせたくないのだ。
ナルになにかあれば、ナルの父エセルハーディを悲しませてしまうから。
そういう意味で、リンクスは、彼らの「家族」だと言える。
実父が誰であろうと、家柄がなにであろうと、関係ない。
「あン時は、頭にきてて忘れてたんだ。でも、“謹慎”してる間に思い出した」
「カイルとの、不愉快なお茶会についてかい? よくテーブルを引っ繰り返すのを我慢したね」
「そーだよ。オレ、もうちょっとで、テーブルもイスも蹴っくり倒しそうだったんだからな。シェルニティとキットがいたから、我慢したんだぞ」
ぷんっとした口調に、彼は、少し笑いそうになった。
もうすぐ大人と呼ばれる歳にはなるが、リンクスとナルは、まだ子供なのだ。
アリスは、リンクスを早く大人にしたいようだったけれども。
(テディの手伝いをリンクスにさせたのは、そういうことだろう。経験は、なににも勝る成長の糧だ。まさか、アリスが、水やりをするとはね)
「あとから、きみらが、カイルに追いはらわれたと気づいたのだね?」
「そーいうコト。でも、気づいたのは、それだけじゃねーんだ」
リンクスのほうから、緊張が伝わってくる。
導き出した結論に、不安になっているらしい。
「あいつ、こう言ったんだよ、ジョザイアおじさん」
カイルのものらしき台詞を、リンクスが口にした。
「彼女、18だっけ? それなら、急ぐに越したことはない」
聞いた瞬間、彼は、釣り竿を握り締めた。
ぴき…と、手の中で竿が折れる。
「わかるだろ?」
「ああ、わかるさ、リンクス」
リンクスが、なぜ急いで伝えにきたのか、不安になっているのか。
彼は、瞬時に理解していた。
「ナルを誤魔化していられるのも限界がある。ヴィッキーを助けてあげたまえ」
「そうする」
いつになく、リンクスは素直だった。
頭が良過ぎるのも考えものなのだ。
周囲が気づかないことに、気づけてしまう。
良いことも、悪いことも。
「大丈夫だよな……?」
「心配はいらないよ。シェリーのことも、アリスのこともね」
「オレが気にしてんのは、シェルニティのことだけだし!」
最後に、憎まれ口を残し、リンクスが飛び立つ。
やはり、まだ「子供」だと、彼は、小さく笑った。
が、すぐに表情を厳しくする。
「キット」
(こちらに)
姿を隠して現れたキサティーロの声がした。
とはいえ、彼には、キサティーロの姿は見えている。
彼の横に跪いていた。
「私は、ここを離れなければならなくなった」
(かしこまりました)
セオドロスが集めた情報は、キサティーロが集約していた。
キサティーロから、それらの情報は、彼に伝えられる。
そして、彼も、必要なことは、キサティーロと共有していた。
もちろん、シェルニティと一緒に眠っていることまでは話さずにいる。
が、覗き見するまでもなく、キサティーロは勘づいているに違いない。
「シェリー、ちょっといいかい?」
「なにか用事ができたみたいね」
「おかしいな。瞬きはしていないはずなのだがね」
シェルニティが、いたずらっぽく、含み笑いをもらす。
そして、きょろきょろと周りを見回した。
「キットが来ているのでしょう?」
「シェルニティ様には敵いませんね」
名指しされては、姿を隠していてもしかたがない。
キサティーロが、あっさり姿を現した。
「即言葉を使わないからよ」
「真に、ごもっともなご意見かと存じます。旦那様が普通に話をされましたので、姿を隠した甲斐がないと、私は嘆いていたところにございます」
「キット、それならそうと言ってくれればいいじゃあないか」
「当然のことを、わざわざ申し上げねばならないとは思いませんでした」
シェルニティは、キサティーロの「叱責」に、くすくす笑っている。
反論しても、2人がかりでやりこめられるのは目に見えていた。
彼は、軽く首を横に振ってから、本題に戻る。
愛しい女性の前で、袋叩きに合いたくはない。
「きみの父君のところに行って来る」
「お父さまのところに?」
「ちょいと、彼を締め上げるつもりなのだが、かまわないかね?」
「あなたが必要だと思うのなら、かまわないわ。ああ、でも、今度は、ハンカチを貸してあげてね」
「わかったよ。とても難しい注文だが、なんとかしてみよう」
シェルニティが、釣り竿を引き上げる。
道具箱は、すでにキサティーロが片づけていた。
「私は、キットと一緒に、家で、お茶をしているわ」
「夕食までには、必ず帰るよ、愛しい人」
彼は、シェルニティの額に口づけてから、軽く頭を、ぽんぽんとする。
きょとんとした表情を浮かべる、彼女に微笑んでから転移した。
王都にいる、イノックエル・ブレインバーグの元に。




