悠々談話 3
シェルニティの話で、明白になった、というべきだろう。
もとより、カイルは、指輪を使い魔力を隠すすべを持っていた。
だとするなら、ほかにもなにか彼を欺く手立てを持っていてもおかしくはない。
「それが砂糖と関係あるの?」
「ひそやかに動こうとする者は、怪しまれないことに、最も注力する」
「あの砂糖に……なにか挿れていた?」
「薬、のようなものだと思う」
その薬が、どういうものかは、まだ不明だ。
とはいえ、カイルの「お手製」であるのは間違いない。
魔術を隠してしまえる指輪を作れる手を、カイルは持っている。
彼ですら聞いたこともないような代物だ。
「魔術と同じ効果を持つ薬は、それなりに存在している。動物に変化したりする、娯楽用のものが、ほとんどだが、作れなくはないのだろうな」
「でも、そういうものを開発する際は、王宮の許可がいるのではなかった? 流通させていいものかどうかの判断もされると、本に書いてあったけれど」
「もちろん、法として定められてはいる」
シェルニティが、少し顔をしかめる。
ちょっぴり不愉快そうだった。
彼女の小さくない変化を、嬉しく思う。
感情を取り戻したら、シェルニティは自分の元を去ってしまうかもしれないとの恐れは、なくなっていた。
(厄介事を片づけて、早く2人で過ごせるようになりたいものだ)
結局、未だに婚姻の式について話し合えてもいないし。
「そんな怪しげなものを、知らない間に飲んでいたなんて……嫌だわ」
「まったくだね。やっぱり、あの時、きみに張りついていればよかったよ。ただ、きみには、あまり効果が発揮されないというのが、安心材料ではあるかな」
それと、カイルには、シェルニティを殺す気がなかった、ということ。
もし、少しでも殺意があれば、キサティーロが気づいていたはずだ。
殺そうとしていなかったからこそ、何食わぬ顔で薬を入れることができた。
さりとて、人目は少ないほうがいい。
リンクスとナルは、体よく追いはらわれたのだろう。
「即言葉が途中で切れてしまったのだけれど、そのせいかしら」
「おそらくね。そうか、途中で切れたのか。ふぅん」
「どうしたの? あなた、今、とても妙な顔をしているわよ?」
「うん」
真面目くさった表情を作り、こくりと、うなずく。
実際、複雑な心境だった。
「きみに、おかしな薬を飲ませたことは許しがたい。はっきり言って、すぐにでも消したいくらいの気持ちになっている。だが……」
なんとか自制できているのは「途中で切れた」と聞いたからだ。
彼は、小さく息をつく。
「断れなかった。そうだろう、シェリー」
「ええ……あの時、あなたに相談しておけばよかったと悔やんでいるわ」
「私が、鍵のかかった日記帳の鍵を、きみに渡しておかなかったのが悪いのさ」
シェルニティは、アーヴィングからの誘いを断ろうとした。
だが、連絡が途中で切れてしまったため、断りきれなかったのだ。
彼女のほうからは、魔術であれ、なんであれ、アーヴィングに連絡を取ることはできなかったのだから。
「あの……それだけではないの……」
シェルニティが、なにやら気後れした様子で目を伏せている。
カイルに「悪女」と言われるような行動をとったのを恥じているのだろうか。
(どうかな。私の予測は、彼女に対してはアテにならないからなあ)
心の中で、苦笑いした。
毎回「彼女を見縊り過ぎていた」と反省することになる。
「私ね……あなたと、ラドホープのご令嬢の関係が気になっていて……」
物憂げに言うシェルニティとは真逆に、彼は鼓動を速めていた。
ひどく落ち着かない気分だ。
「もしかすると、それは、私にだけあった不条理が解消されたということかな?」
「彼女の髪に火をつけたくなったりはしなかったけれど……たぶんね……」
シェルニティは、着実に感情を取り戻している。
その上で、自分と一緒にいることを選んでくれている。
なにしろ、少し前まで、彼が「放蕩していた」と聞いても笑っていて、嫉妬心の欠片もなかったのだ。
「きみは不本意だろうが、私は、その公平さに大満足だね。今度から、調和を図るために、ちょいと紳士的に振る舞ってもいいかもしれないな」
「まあ! あなた、すごく嫌なことを言うのね」
ムっとしているシェルニティの唇に、軽く音を立てて口づける。
それから、にっこりした。
「これからは、きみ以外の女性にはふれないと約束しよう。条件なしにね」
「それは、寛容だわ。私、譲歩はできそうにないもの」
「アリスに口づけるのは、たてがみだけ。それさえ守ってくれればいいさ」
本当は嫌だけれど、取り引きしてまで、彼女を思い通りにしようとは思わない。
アリスの本心はともかく、アリスはシェルニティの「お気に入り」なのだ。
取り上げるつもりも、追いはらうつもりもなかった。
「ところで、薬の効果が薄いのは、私にかけられていた呪いと関係がある?」
「私の美しい探偵さん。その通りだよ」
シェルニティは、母親の胎内にいた頃に、飲食物から「呪い」と呼ばれる性質の悪い魔術をかけられている。
ある意味で、それは砂糖に混ぜられた「薬」と似たようなものだ。
彼が「呪い」を解いたとしても、その耐性は残っている。
「1度、罹った病には、罹り難くくなると聞いたことがあったの」
「同じ原理ではあるね。元々、自分の体の中にあったものを取り込むのと、初めて取り込むのとでは影響の度合いが違うのだよ」
初めての場合は、体が抵抗を示したり、大きな反動があったりする。
が、シェルニティは産まれる前から、その血肉に影響を受け続けていた。
ほかの者よりずっと耐性があるのは、間違いない。
カイルの手法や目的について考えつつ、彼は溜め息をつく。
カイルに言われたことまで思い出してしまったのだ。
「それにしても、あれは、案外、効いたなあ」
「あのあと、なにがあったの?」
シェルニティは、彼の気づいていなかったことに、気づかせてくれている。
彼自身、本当に、まるで自覚もしていなかったけれど。
彼も、傷つく、のだ。
カイルは、彼の体に傷を負わせはしなかったが、心に傷をつけていた。
そのせいで、彼は、内心、苛々していたのだ。
「あんたは、愛をそそぐための入れ物がほしいだけだ」
「え……?」
「いずれ、きみを壊す。私の力は、守るためのものではない、と言われたよ」
ほしくて手にした力ではない。
なのに、捨てることもできない。
自分の力は、なんのためにあるのか。
彼が、長く感じてきたことでもある。
彼に答えをくれる者はいなかった。
彼の父は、黒髪、黒眼ではなかったからだ。
ローエルハイドの直系だからといって、必ずしも「人ならざる者」の力が、受け継がれるわけではない。
「その愛をそそぐための入れ物、というのは、私のことよね?」
「そうだとも」
答えたとたん、彼は、またも驚かされる。
シェルニティが、くすくすと笑ったのだ。
「安心したわ。別の女性のことではなくて」
「入れ物と、言われているのに?」
「それの、どこがいけないの? 人を入れ物だとするのなら、あなただって、私が愛をそそぐための入れ物でしょう?」
ぷっと、彼は吹き出す。
シェルニティにかかると、悪意も悪意でなくなってしまう。
「それに、あなたの力は守るための力よ? 畑仕事には使わないものね」
今度は、声をあげて笑った。
シェルニティを抱き寄せ、強く抱き締める。
「きみに愛をそそいでもらえるよう、より良い入れ物になると誓うよ」
「私も、あなたに、ずっと愛をそそいでもらいたいわ」
「それは、疑いもなく」
彼の心から、かつての言葉が消えていく。
『人ならざる者……あなたに愛されるほど、恐ろしいことはないわ』
もう、その言葉は、彼の心を、わずかにも揺らがすことはない。




