悠々談話 1
彼は、シェルニティの、そわそわした雰囲気を楽しんでいる。
本当には、すでに目を覚ましていた。
が、寝た振りをしているのだ。
(それにしても、まさか、私のほうが先に眠ってしまうとはなあ。不覚だ)
さりとて、気分はいい。
信じられないほど、彼は、ぐっすり眠った。
彼の人生において、1度も経験したことのない、深い眠りだった。
その上、これも初の体験だったが、彼は「安心」していたのだ。
心をあずけられる相手がいる、ということに。
彼は、力を持っているがために、人に頼らず生きてきている。
信頼や親しさはあれど、心をあずけることはしていない。
本音にしても、皮肉や軽口に紛れさせ、垣間見せる程度に留めてきた。
両親を亡くして以降、ローエルハイドの血を持つ者はいなくなっている。
それは、彼の本質を理解できる者が誰もいない、ということだ。
彼は、果てしなく独りだった。
孤独に過ぎて、孤独であることも忘れてしまうくらいに。
長く、彼にとっては、あたり前の「独りぼっち」だったのだ。
今朝までは。
(素晴らしい朝だな。このまま、起きたくなくなる)
彼は、シェルニティに抱きしめられている。
頬に、とくとくという彼女の鼓動を感じた。
少し速いことで、シェルニティが、この状況に、そわそわしているのが伝わってくるのだ。
その様子が可愛らしくて、彼は眠った振りを続けている。
もちろん、彼女とくっついているのが心地いいというのもあるのだけれど。
「眠っていても、素敵ね……これは、私の特権? それとも、ほかにも彼の寝顔を見た女性はいるのかしら。それはいるわよね。彼は放蕩していたのだし」
シェルニティの独り言に、思わず、ぱちっと目を開いた。
彼を見ていたシェルニティと、まともに視線がぶつかる。
「おはよう、シェリー」
「お、おはよう……」
「つい今しがた、聞き捨てならないことを、耳にした気がするのだがね」
彼は、シェルニティに抱きしめられた格好のまま、上目遣いに見つめる。
彼女の頬が、ほんのりと赤く染まった。
その変化に、胸が暖かくなる。
「確かに、私の寝顔を見たことがある女性はいるよ」
「それは……そうよね」
「私の母と、当時のメイド長サニーさ。彼女は、私の乳母でもあったからね」
サニーは、キサティーロの妻の母であるサナデリアだ。
彼の母とも懇意であり、娘を育てながら、メイド長を続けていた。
そのため、彼の乳母としての役目も担っていたのだ。
「ええと……ほかには……?」
「いないな」
答えると、急に、シェルニティが、ハッと目を見開く。
なにか思い出したらしい。
「女性なしに過ごした夜はなく、女性のいる朝を迎えた試しもない、だったわね」
それは、婚姻解消の審議の時、彼が言った台詞だった。
彼は、シェルニティの肩のあたりに、頬をくっつける。
手を彼女に背中に回して、ぴったりと体を寄せあった。
「シェリー……このまま、話してもいいかい?」
「ええ、もちろん」
シェルニティのぬくもりを感じていると、心が落ち着く。
彼女の鼓動に、長く放置していた傷が「治癒」されている気がした。
昨夜、シェルニティは「私が心配しているのは、あなたの心よ」と言っている。
言われるまで、自分が心に傷を負っているとは思ってもいなかった。
「彼女、アビゲイル・エデルトンとは、婚姻当初から寝室は別だった」
婚姻するまで体の関係もなく、婚姻後も別々に眠る生活。
多少の不満がないわけではなかったけれど、アビゲイルの願いならしかたがないと、諦めていた。
「だから、あんなふうに言ったのね」
「……かもしれないな。拒絶されることに慣れていたのでね。きみにも、部屋から締め出されるかもしれない、という気持ちがあったように思うよ」
だから、軽口にくるんで、口実を作っておいたのだろう。
もし、シェルニティに拒絶されても、誘いかたが悪かったのだと考えられるようにした。
「そういうことが繰り返されると、気をつけるようになってしまうものだわ。私も最初は、あなたに会話を求められているのか、わからずにいたもの」
「そうだね。私は、すぐにきみが黙ってしまう理由がわからずに、苛々していた」
シェルニティが、小さく笑う。
それから、ごく自然に、彼の髪を撫でた。
「とても不思議だったのよ? あなた、ひどく不機嫌な顔をしているのに、会話は嫌がっていないのだもの。だから、話しても大丈夫だと思えるようになったわ」
彼も不思議だったのだ。
シェルニティは、彼が不躾であったにもかかわらず、怒りもしない。
それどころか、彼の想像もつかないことを言ったり、したりする。
とても不思議で、彼は、シェルニティに興味を持った。
「私もきみも、出会った時から率直だった。訊きたいことを訊いて、言いたいことを言う。お互いに理解できない部分は、会話で埋めてきた」
「そうね。それが、結局のところ、1番いい方法なのではないかしら」
「ここのところ、私は、くよくよ悩んでいたが、いい結果にはならなかったな」
シェルニティが、ぷっと笑う。
なぜ笑われているのかわからなくて、彼は、きょとんとなった。
が、わざと、しかつめらしい顔をして言う。
「真面目に話している時に笑うだなんて、失礼ではないかね、きみ」
「だって、あなたが、くよくよするなんて」
「そりゃあ、私にだって、愛する女性のことを考えて、くよくよすることくらいはあるさ。きみに嫌われたらどうしようって、まるで十代の若者のようにね」
言ってから、シェルニティに、軽く口づけをした。
そして、軽口をやめる。
シェルニティの瞳を見つめて、訊いた。
「実際、きみは子供のことについて、どう思っているのか、教えてくれるかい?」
とたん、シェルニティが瞳を揺らがせる。
逡巡しているのが、答えだとわかっていた。
それでも、彼女からの答えを、彼は黙って待つ。
「……正直に言えば……やっぱり、あなたとの子供がほしいわ」
「怖いとは思わないのだね?」
「なぜ、怖いの?」
「私の子だからさ」
シェルニティは、少しだけ考えるそぶりを見せた。
が、すぐに首を横に振る。
「あなたの力を受け継ぐかもしれない、ということなら、怖くないわ」
シェルニティは、今度は躊躇いなく、言い切っていた。
瞳の揺らぎは消えている。
「それこそ、あなたの子なのよ? 力を持っていても、むやみに振り回したりすることはないでしょうね」
シェルニティが手を伸ばし、彼の頬にふれてきた。
とてもやわらかく、穏やかな笑みを浮かべている。
「それに、あなたは躾に厳しいもの」
胸の奥が、きゅっとなった。
どう言葉にすれば、自分の気持ちが伝えられるのか、わからない。
それほどに、心を打たれている。
「でも、あなたが子供について、どう思っているのか、まだ訊いていないわ」
彼も手を伸ばし、シェルニティの頬にふれる。
元々は、彼女の望みを叶えたいと思っていた。
シェルニティが子供をほしがっている、との理由しかなかったのだけれど。
「私たちは、間違わないようにしなければならないね」
「間違い?」
「そうとも……私の子、ではなく、私たちの子、だよ、シェリー」
今、彼は、子供の世話をする、自分と彼女の姿を想像している。
シェルニティとの子供を、彼自身が、望んでいた。




