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心のありかを 4

 ようやく、心から、ホッとしている。

 唐突に、怒ってしまったことには、シェルニティ自身、びっくりしていた。

 生まれてこのかた、あんなふうになったのは、初めてだ。

 感情が抑制できない状態に陥っていたのだが、それには気づいていない。

 

 ともあれ、彼との意思疎通ができたのを喜んでいる。

 ここ数日あった、あのぎこちなさは消えていた。

 自然に、彼にふれることのできる親密さが嬉しい。

 

(人を思いやるって難しいのね。彼も私も、気遣いの仕方を間違えていたのだわ)

 

 相手を気遣うあまり、言葉にするのを躊躇(ためら)っていた。

 訊きたいことも、言いたいことも飲み込んでいたのだ。

 けれど、それが間違いだったらしい。

 結局、行き違って、きごちなくなっただけだったのだから。

 

「明日、きちんと話をしたいのだが、いいかい?」

「ええ、私も、話しておきたいことがあるもの」

 

 彼に黙って王太子と会っていたこと。

 彼の前妻や子供について、どう思っていたか。

 ラドホープ侯爵令嬢との関係を、ちょっぴり気にしていることも。

 

 嫌がられたり、呆れられたりする話もあるだろう。

 それでも、話さないよりはいいのだ、きっと。

 

(私が黙っていて、いい方向に向かった試しがないのよね)

 

 なにか間違えているのだろうが、自分には、それも判断できないのだ。

 悪いことが起きるよりは、彼に「叱られる」ほうがマシという気になる。

 思って、少し笑った。

 

 以前のシェルニティは、叱られないことを最も優先させている。

 会話なしでも、状況が掴めるようなったのも、それが理由だった。

 なのに、叱られるほうがいい、と思っている。

 

 ふと、気づいた。

 彼が、シェルニティを、じいっと見つめていた。

 なにか言いたげではあるけれども。

 

「どうしたの?」

「いや……今夜は、もう遅くなってしまったね」

「ええ。あなたも疲れているでしょうし、早く眠ったほうがいいわ」

 

 離れがたさのようなものはある。

 さりとて、彼は大変だったようなのだ。

 帰ってきた時は、ひどく憔悴していたし。

 

「おやすみ、シェリー」

 

 彼が、シェルニティの右頬に口づけをする。

 頬に軽くふれてから、体を離した。

 怒って扉を開いた時、彼は、廊下のほうへと下がっている。

 その彼に詰め寄ったので、シェルニティも廊下へと出ていた。

 

「おやすみなさい」

 

 言って、体を返す。

 部屋に入り、いつものように扉を閉めようとしたのだけれど。

 

 ガシッ!

 

 扉に、彼が手をかけていた。

 びっくりして、シェルニティは扉から手を放す。

 中途半端に開いた扉を彼は、手で押さえていた。

 

「ああ……その……驚かせてしまって……」

 

 まるきり彼らしくない。

 なぜか、しどろもどろだ。

 その様子に、シェルニティは、きょとんとしてしまう。

 

「どうしたの?」

「いや……まぁ……どうというか……」

 

 言葉を選んでいるというより、言葉に窮している、といった感じがした。

 ユーモアと皮肉っぽさを交えつつ、機知に富んだ話を、彼は難なく口にできる。

 それを知っているシェルニティは、彼が言葉に窮している理由がわからない。

 おまけに、なにか話したそうにしながらも、彼はシェルニティと視線を合わせずにいる。

 

(気のせいかしら……彼、少し顔が赤いみたいだけれど……)

 

 感情が落ち着いているので、今は観察。

 そっぽを向いているとも言える彼の横顔を見つめた。

 やはり、頬が少し赤い気がする。

 

「あなた、もしかして……」

 

 言いかけたとたん、彼が、パッと、シェルニティのほうに顔を向けた。

 シェルニティが驚くくらいの勢いで、今度は、まくしたててくる。

 

「ああ、いや、そうではないよ、シェリー。誤解しないでもらいたいのだが、きみの意思を尊重するという、私の気持ちは、変わっていない。もちろん、きみが出て行くと言い出したら、今度は全力で引き()める。きみの足元にひれ伏してでもね。だが、きみが想像したようなことはないと、断言する」

「あの……」

「きみを見ていると、流れ星がキラリと光って落ちるみたいに、自制が消えそうになるのは認めるところだがね。今夜のことで、ますます、きみが愛おしくなってもいるし、きみは、なにしろ可愛らしくも美しくて。苦しい立場に追い込まれているのは事実だとも。だからといって……だからといって……」

 

 シェルニティは、あっけにとられていた。

 彼がなにを言おうとしているのか、さっぱりわからずにいる。

 そもそも、シェルニティが、なにを想像していると思っているのか。

 

「ああ、まったく……これでは、きみに誤解してくれと言っているようなものだ」

「私が、なにを誤解するというの?」

「それは……その……」

 

 また歯切れが悪くなった。

 シェルニティは首をかしげつつ、彼の額に手を伸ばしてふれる。

 

「あなた、顔が赤いようだから、熱があるのじゃない?」

「熱……? きみは、私が、熱を出していると思ったのかい?」

「ええ。だって、あなたは、怪我もそうだけれど、自分のことには無頓着だもの。気がついていなくてもおかしくはないわ」

 

 彼が、がっくりと肩を落としてうつむいた。

 顔に片手をあて、溜め息をつく。

 

「どうすればいいのかわからないほど……恰好が悪い……」

「そんなことないわよ? あなたは、いつも素敵だもの」

「そう言ってもらえると、とても慰められるね」

 

 顔から手を放し、彼は苦笑いを浮かべた。

 どうやら、あまり慰められなかったらしい。

 さりとて、シェルニティにとって、彼はいつも「素敵」なのだ。

 慰めにはならなかったとしても、慰めるつもりで言ったわけでもない。

 

「シェリー、さっきの言葉は、いつから有効になるのかな?」

「さっきの言葉?」

 

 それでも、彼は、少し、いつもの調子を取り戻してきている。

 苦笑いを残してはいたが、口調は明るかった。

 

「私は、きみに我儘が言いたくてね」

「どうぞ」

「いいのかい? 今すぐにでも?」

「いいわ」

 

 なんとなく納得する。

 彼は、我儘をし慣れていない。

 そのため、なかなか言い出せず、言葉に窮していたのだろう。

 なにを誤解されていると勘違いしていたのかはともかく。

 

「今夜は、きみの隣で眠らせてくれないか?」

 

 シェルニティは、目をしばたたかせる。

 一瞬、意味がわからなかった。

 言葉は理解しているのに、意味を捉えられなかったのだ。

 

「平たく言えば、きみを抱っこして眠りたいってことなのだけれどね」

 

 軽口の中に、本気が感じられる。

 が、彼女にも、わかっていた。

 彼は「眠りたい」と言っているのだ。

 

「あら。そうなの? あなたの我儘なのだから、私が、あなたを抱っこして眠るのだと思ったわ」

「それも捨てがたいなあ。これは、とても悩ましい問題だよ、きみ」

「先に眠ったほうが、抱っこされるというのはどう?」

「これは、私が不利かもしれないな。昨日、眠れずにいたのでね」

「私も、一睡もしていないから、互角だと思うわ」

 

 顔を見合わせて、笑う。

 にっこりして、シェルニティは、彼を部屋に招き入れた。

 

「明日の朝が、楽しみだ。さて、きみは私の腕の中にいるかな」


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