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心のありかを 2

 

「私は、あなたの(そば)に、いないほうがいいと思うわ」

 

 シェルニティの答えに、彼は大きなショックを受けている。

 これほど早く「手放す日」が来るなんて思っていなかったからだ。

 

 初めて、彼の愛した、たった1人の女性を。

 

 そのほうが彼女のためではあるのだろう。

 シェルニティも同意し、彼自身も考えてきたことだ。

 

 彼の愛は、必ず相手を巻き込む。

 

 今後も、彼女が危険に(さら)されないとの保証はない。

 彼女になにかあれば、彼は自制が難しくなる。

 結果、しでかした罪を、シェルニティが負うことになるのだ。

 

 わかっていて、自分の傍にいてほしいというのは、身勝手に過ぎる。

 しかも、彼女自身が、彼の元に(とど)まれないと言っているのだから。

 

 理由は、訊くまでもない気がした。

 けれど、キサティーロの言葉が頭に残っている。

 

 『シェルニティ様が、最初に掴んだ感情は、我が君への愛にございました』

 

 自分の思いこみで出した結論を「明白」とは言わない。

 訊くまでもない、とするのは間違いではなかろうか。

 

「……私のことが……恐ろしくなったからかい?」

 

 肯定されたら、彼に成すすべはないのだ。

 引き()められもせず、シェルニティが出て行くのを見送ることになる。

 

 バンッ!

 

「あなたのことなんて、ちっとも怖くないわ!」

 

 扉が開け放たれ、その勢いで、彼は後ろに下がった。

 シェルニティが腰に手をあて、彼を睨んでいる。

 

「あなたを怖いなんて、私、言ったことがあるっ?」

「それは……まぁ……聞いたことはないが……」

「あたり前よ! 思っていないのだから、言うはずがないでしょう!」

 

 シェルニティの剣幕に、彼は、唖然としていた。

 この世の終わりとばかりに、めり込んでいた気分も吹き飛んでいる。

 およそ、たいていのことには予測をつけ、先回りして対処してきた。

 彼には簡単だったし、それらを実行するための方法や力も持っていたからだ。

 

(そうだ……彼女は……シェリーは最初から……)

 

 彼の予想を覆してくる。

 彼が想像する、遥か右斜め上から物を見る女性だった。

 

「私がいると、あなたが罪を犯さずにはいられないからよ! 私を守るために罪を犯すと言うのなら、私が傍にいなければ、罪を犯さない。そうでしょう?!」

「だから、私は……」

「黙ってて! 私の順番を取らないでちょうだい!」

 

 シェルニティは人差し指を顔の前に出し、彼を制する。

 彼は、まだ唖然としていて、ぱくりと口を閉じた。

 なのに、シェルニティの怒りに輝く瞳を美しい、と思う。

 

「いい? あなたがなにかをするとすれば、それは私のためなのよ? 街を、吹き飛ばしたとしても、人を殺したとしてもね。だけど、あなたは、なんでも平気で、大丈夫だって言うのよ。いったい、私が、なにを心配していると思っているの?」

 

 シェルニティが、くしゃりと、顔をしかめた。

 泣きそうな表情を浮かべながらも、唇をとがらせて言う。

 

「私が心配しているのは、あなたの心よ? その心配さえさせてもらえないなら、私は、あなたの傍にはいられないわ。単なる足手まといに過ぎないもの」

 

 シェルニティが、腰から手を放し、彼に近づいてきた。

 彼の左胸に右手をあて、彼を見上げてくる。

 

「人ならざる者だなんて、私は思わない。たとえ私のためであっても、あなたは、私に罪を負わせる自分が嫌いなのでしょう? そのたびに、傷ついていく」

 

 彼は、彼女の金色にも見える薄茶色の瞳を見つめた。

 そこにはもう怒りはなく、うっすら涙が浮かんでいる。

 

「私が、あなたを傷つけているのだわ……それに、前の奥様と……子供のこと……その傷も癒えていないのではないの? わかる? あなたは、傷つくのよ? なんでも平気というわけではないわ。だって、あなたは……人なのだから……」

 

 ぱたぱたっと、シェルニティの目から涙がこぼれ落ちた。

 見たとたん、ハッとなる。

 

「私を……遠ざけないでちょうだい……」

 

 シェルニティを危険に晒したくない気持ちが強過ぎたのだ。

 彼女が危険に晒されるということは、同時に彼が動くことにもなる。

 彼が動けば犠牲が出る可能性があり、それは彼女の罪となるから。

 

 シェルニティを守ろうとした結果が、これだ。

 

 変にカイルに目をつけられまいと、よそよそしく振る舞った。

 シェルニティの言う通り、彼女を遠ざけている。

 

 自分1人で解決をつけようとして。

 

 胸が痛いくらいに、締めつけられた。

 シェルニティの腕を掴み、抱き寄せる。

 

「きみは……私に……我儘をしろと、言っているのかね……?」

「そうよ」

「それが、きみの……重荷になったとしても、かい……?」

「そうよ」

 

 彼に、そんなことを言う者はいなかった。

 誰1人として。

 

 大きな力を持っており、しようと思えば、どんなことでもできる。

 その彼に向かって「我儘を言ってほしい」と願う者などいはしない。

 ほとんどのことは、彼1人でできてしまうから。

 

「私は……なんでも、きちんと心得ていると……」

「たいていはね」

 

 シェルニティが、彼の胸に頬をうずめていた。

 目元に残る涙を、指先で、そっとぬぐう。

 

「本当に、きみほど、私を驚かせる人はいないね」

「急に怒り出したら、誰でも驚くわ」

「きみが怒るのを見て驚いたこともあるが……」

 

 顔を上げたシェルニティの頬を、両手でつつんだ。

 (まばた)きもせず、彼を見つめてくる瞳を覗き込み、にっこりする。

 

「私を叱り飛ばすとは思っていなかった」

「それは……あなたが、瞬きをしたからよ」

「約束を破ったので、怒ったのかい?」

「いいえ。あなたが、私を愛してくれていることを、信じたの」

 

 ひょこん、と彼は眉を上げた。

 それから、ばつが悪くなり、黙って肩をすくめる。

 

「私を大事に想っているという態度を取りながら、遠ざけようとするなんて、あなたの態度は矛盾しているわ」

「我ながら、呆れるくらいにね。どうすればいいか、わからなかったのさ」

「私も同じよ。言いたいことを言えばよかっただけなのに……」

 

 以前はできていたことが、できなくなっていた。

 単純だった感情が複雑になり、言葉を選ぶようになったのだ。

 その理由は、それこそ、とてもシンプルだった。

 

「きみに嫌われたくなくてね」

「あなたに嫌われるのが怖くて」

 

 心というのは、同じ場所に(とど)まってはいられない。

 変わらない日常の中で、移り変わっていく。

 たとえば、川の水が流れ、同じ場所に留まらないのと同じように。

 

「あなたを嫌いになったりしないわ。よくわからないけれど、そう思うの」

「私も、きみを嫌いになったりはしないよ、シェリー」

 

 不安になったり、心配をしたり、不愉快になったり、怒ったり。

 いろいろな感情に振り回されることはある。

 けれど、その感情の根底にあるものがなにかを、自分たちはわかっている。

 たとえ昨日と同じでなくとも、川の水が、水で在ると知っているように。

 

 きっと「愛」の本質とは、そのようなものなのだ。

 

 理屈は、すべて後付け。

 感情だけが、真実を訴えてくる。

 

「シェリー、私は、きみを愛している」

「突然、あなたを叱り飛ばしても?」

「そういう、きみをこそ、深く愛しているのさ」

 

 にっこりする彼に、シェルニティもにっこりと微笑み返してくれた。

 その彼女の唇に、彼は、本当に、そうっと唇を重ねる。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 改めて、この話で一番好きな表現が『にっこりする』なんだな!ということに気付きました。 ぽっと明るいだけでなく、そこはかとないユーモアも含まれているような表現で、それがとてもほわーんとするの…
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