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心のありかを 1

 

「シェルニティ様、あまり、ご心配なさいませんよう」

「キット?」

「旦那様が、お帰りになられますので、私は、これで失礼いたします」

 

 え?と思うシェルニティに、キサティーロが、一礼してから姿を消す。

 すぐに、入り口のほうから音がした。

 慌てて立ち上がり、扉に向かって走る。

 シェルニティが開く前に、扉が開いた。

 

「やあ、シェリー。ただいま」

「なんてこと!」

 

 さらに慌てて、よろけている彼の体を支える。

 口元には血がついていた。

 彼に肩を貸しながら、居間のほうに移動する。

 ドサッとソファに腰を落とし、彼は、その背もたれに深く体をあずけた。

 

「やれやれ。酷い目に合ったよ」

「呑気なことを言っていないで! ちゃんと治癒をしてちょうだい!」

「わかっているよ。体は大丈夫さ。これは精神的なものでね」

「本当に、治癒している? あなた、いつも自分のことには無頓着で……」

 

 シェルニティは、すっかり泣きそうになっている。

 こんなに憔悴している彼を見たのは、初めてだった。

 しかも、自分にできることが見当たらない。

 彼女は、魔術を使えない自分に苛立つ。

 

(私が魔術師だったら、彼を治癒できるのに!)

 

 彼は、自分のためには、ほとんど魔術を使わないのだ。

 いくら「大丈夫」と言われても、心配せずにはいられなかった。

 

「シェリー……」

 

 溜め息のような声。

 シェルニティを見つめようとしない瞳。

 だらんと垂らしたまま、伸ばしてはくれない手。

 

 それだけで、彼の心がわかる。

 

 彼の様子を観察したからではない。

 状況を把握し、推測した結果でもなかった。

 シェルニティの感情が、伝えてくるのだ。

 彼の心情と呼応しているみたいに。

 

 シェルニティは、決意を胸に、すくっと立ち上がる。

 それから、彼を小さく睨みつけた。

 

「あなたって、どうしてそうなの?」

「シェリー……?」

 

 彼が、体を起こし、シェルニティを見ている。

 その目を、まっすぐに見返した。

 彼女は、微笑まない。

 不機嫌そのものといった顔をしている。

 

「いつだって、自分1人で片を付けたがるのね。私が心配するかどうかなんて気にしてもいないのだわ」

「シェリー、それは違う。私は、きみを危険な目に合わせたくないだけだ」

「違うでしょう? あなたは、私を巻き込みたくないという、あなた自身の気持ちを優先させているだけなのよ」

「それはそうさ。きみを巻き込むのは、必然なのだからね」

 

 言いながら、彼は立ち上がり、シェルニティの近くに歩み寄ってきた。

 が、シェルニティは、それを()け、数歩、後ろに下がる。

 驚きでか、彼の目が見開かれた。

 

「そうよ。必然だわ。私は、あなたのすることに、必ず巻き込まれるもの」

 

 彼の瞳に、影がよぎる。

 彼にも微笑みはなく、眉間に皺を寄せていた。

 それでも、シェルニティは怯まない。

 

「だから、あなたは私の心配をするのよね? でも、私の心配なんてそっちのけ。心配するのは、あなたの特権? 私が、あなたを心配する必要はないようね」

「そうは言っていない。だが、きみに心配をかけたくないと思うのは当然だろう」

「ほらね。私の心配は、不要と言っているのと同じじゃない」

 

 彼が口を閉じ、押し黙る。

 さらに、シェルニティは言い募った。

 

「平気だとか大丈夫だとか。あなたは、そうとしか言わないわ。アリスに蹴られた時も、今だって」

「平気だから、平気だと言っているだけさ」

「そうね。平気なのかもしれないわね」

「それなら、どうすればいい? きみを死ぬほど心配させろと言うのか?」

「そんなこと、あなたにできるわけないわ」

 

 シェルニティは、パッと体を返す。

 階段のほうに向かって歩き出しつつ、言った。

 

「あなたは、なんでも1人で解決できる。心配もいらない。つまり、私が、ここにいる意味はない、ということよ」

 

 彼のほうは見ず、階段を上がる。

 呼び止める声は、聞こえなかった。

 

「必要とされなくても生きていける。確か、そうだったわよね?」

 

 そう言ってから、シェルニティは部屋に入ろうと、扉の把手(とって)に手をかける。

 その彼女に、階下から声がかかった。

 

「ここを出て行くつもりかい、シェリー?」

「どうかしら。それも、ひとつの選択肢だわ。私は自由で、選ぶ権利がある。そうでしょう?」

 

 彼のほうは、見ずにいる。

 そのまま、部屋に入った。

 ベッドに腰かけ、大きく息をつく。

 

(彼、きっと驚いているわよね……急に、怒り出したのだもの……)

 

 唐突な、シェルニティの言動に、驚いていないはずがない。

 そして、不愉快になっているだろうし、傷ついてもいるはずだ。

 さりとて、シェルニティにも「感情」がある。

 周りから切り離され、なにもかもを遠くに見ていた頃には戻れない。

 

 室内も、家全体も、静かだった。

 扉を開け閉めする音は聞こえなかったが、彼は転移ができる。

 物音を立てず、家から出て行くのは簡単なのだ。

 

 もしかすると、ここには、自分しかいないのかもしれない。

 思いながら、シェルニティは、ベッドに腰かけたまま、じっとしている。

 夕食の時間は、とっくに過ぎていた。

 けれど、食事をする気分にもなれずにいる。

 時間だけが過ぎていた。

 

 コンコン。

 

 扉を叩く、小さな音がする。

 遠慮がちな叩きかたに、シェルニティは、静かに立ち上がった。

 扉に、そっと手を置いてみる。

 この向こうには、彼がいるのだ。

 

「……シェリー。起きているかい? 少し……話がしたいのだが、いいかな」

 

 彼らしくもなく、ひどく自信なさげな声音が聞こえてくる。

 すぐにも扉を開けたくなるが、我慢した。

 彼の顔を見ると、心が折れてしまう気がする。

 すべて「なんでもないこと」のように思えてしまうのは、困るのだ。

 

「そこで話してもらえると、ありがたいわ」

「ああ……。部屋に押し入る気はないよ」

 

 言われなくても、わかっている。

 彼に入るつもりがあれば、扉なんて役立たずだ。

 シェルニティに声をかける以前、扉を叩きもせず、室内にいたはずだ。

 

「きみの気持ちを大事にしたいと思っている。きみが、ここを出たいと言うなら、引き()めることはできない。きみには……選ぶ自由があるのだからね」

「そうよ。あなたは、私の選択を尊重してくれるのでしょう?」

「もちろんだよ、シェリー。きみを従わせたり、支配したりする気はない」

 

 彼は、以前も、そう言っていた。

 シェルニティの父やクリフォード・レックスモアのように、彼女を従わせることしかしなかった者とは違う。

 

 シェルニティは、扉に両手をあて、向こう側にいる彼の気配を感じようとした。

 見えないけれど、彼も同じようにしていると思えたのだ。

 

「私には、きみを止めることはできない。その選択を否定することもだ」

 

 彼は、まるきり軽口を叩かずにいる。

 それどころか、切れ切れの言葉で、言った。

 

「それでも……私は……きみと一緒にいたい。きみを……手放したくないと……」


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