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幸せというのは 4

 フィランディが険しい表情で、彼を睨んでいた。

 彼は、冷ややかに、視線を交える。

 

「きみの躾は、なっていないのじゃないか、ランディ。隠れて人のものに手を出すなんて、感心しないな」

「あの娘は、お前のものではなかろう」

「私のものさ」

 

 フィランディの後ろで、アーヴィングが顔をしかめていた。

 きっとシェルニティを「物扱い」しているのが、気に食わないのだ。

 

(言葉は、言葉以上のものではないのだよ、アーヴィ)

 

 言葉が、必ずしも心を正しく表現しているとは限らない。

 すべてを的確に言葉にできるのなら、世界は、もっと単純でいられる。

 心の取り違えなど起こらないのだから。

 

「カイル、アーヴィを連れて、直ちに王宮に戻れ」

「わかりました」

 

 カイルも、国王には、それなりに丁寧さを発揮するらしい。

 口調から粗野な雰囲気が抜け落ちている。

 カイルが、故意に不作法な態度を取っているのは、わかっていた。

 彼の反応を探るために、不躾な言葉を投げつけていたのだ。

 

「父上! 僕は……」

「アーヴィ。こやつは、お前たち2人がかりでも、止められはせぬ」

「ですが! 僕が原因を作ったのですから……」

「帰っておれ」

 

 アーヴィングが、口を閉じる。

 父親の本気を感じ取っているからだ。

 フィランディもまた、彼ら2人に止めることはできない。

 

「私は、きみではなく、きみの息子に用がある」

「俺の息子だ」

「だから、なんだい? 私に、大目に見ろと言っているのか? きみの息子という理由だけで? 無駄なことは、やめたがいいよ、きみ」

「俺の息子だ、ジョザイア」

 

 彼は、じっとフィランディの青い瞳を見つめる。

 フィランディは幼馴染みではあるが、それだけのことだ。

 気分良くつきあっていられる間は、軽口と罵倒の応酬ですむ。

 が、本当に気に食わないことが起きた場合、敵対も有り得た。

 それを納得ずくで、つきあってきたのだ。

 

 ピシッ。

 

 互いの頬に、ひと筋の切れ目が入る。

 血が顎に向かって流れ、そこから地面に、ぽたりと落ちた。

 2人とも目に見えるような動きはしていない。

 単なる牽制に過ぎなかった。

 

「カイル、早くいたせ」

「は!」

 

 カイルがアーヴィングの腕を掴む。

 すぐさま、2人の姿が消えた。

 彼は、闇の瞳にフィランディを映す。

 

「私は、きみの正しさを気に入っていたのだがね」

「俺もだ。俺は、俺の正しさを気に入っている」

 

 フィランディを見つめたまま、ぱちんと指を鳴らした。

 ピシピシと、フィランディの周囲で音がする。

 魔術防御の壁が壊れているのだ。

 が、なかなかに硬い。

 

「へえ。ぼうっと、時を過ごしていたわけではなさそうだ」

「お前のような放蕩者と、一緒にするな」

「きみが、真面目に過ぎるだけさ」

 

 言いながら、パッと魔術で剣を取り出す。

 瞬間、その剣に衝撃を受けた。

 フィランディが、いつの間にか、間合いを詰めていたのだ。

 受けていなければ、胸元を、ざっくりやられていた。

 

 2本のバックソードが、顔の前で交差している。

 刃渡り90センチほど、重さ1キロ強。

 ともに両刃だ。

 

 フィランディは、(つば)に指をかけ、剣が回転するのを防いでいる。

 その手を押しのけるように、彼は、体重をかけた。

 とたん、フィランディが力を抜いて剣を下げる。

 そのせいで、するっと体が前にかしいだ。

 同時に、周囲から光の矢が飛んでくる。

 

 意識の端で矢を弾く、彼の足元に、剣先が飛んできた。

 彼の体は、体勢を崩され、前のめりになっている。

 それでも、握った剣を、くるりと手の中で回転させた。

 が、足元を狙っていたはずの、フィランディの剣が、スっと喉元に伸びてくる。

 

「おっと……っ……」

 

 キンっと刃を弾く音が響いた。

 物理防御を張り、なんとか喉を串刺しにされるのを防いだのだ。

 にもかかわらず、今度は、腹に衝撃を受ける。

 

「物理防御を張っておいてよかったではないか」

「きみの戦いかたは、いつも滅茶苦茶で腹が立つよ」

「では、俺を魔術で消し飛ばせばよかろう」

 

 彼は、すうっと、目を細めた。

 フィランディの言い草に、イラっとしたのだ。

 

「誰も彼も、私を相手にすると、同じことを言う」

 

 アリスにも言われたことだった。

 

「魔術以外に取柄がないと言われているようで、気分が悪い」

「実際、そうではないか。魔術なしでは、お前は、俺には勝てぬさ」

 

 フィランディの剣と武術の腕は、相当なものだ。

 上級魔術師程度が相手なら、動作で魔術を見切ることもできる。

 剣だけとなると、アリスにも互角にもっていかれる彼にとって、フィランディを相手にするのは、かなり分が悪い。

 フィランディは口だけの男ではないのだ。

 

 あげく魔術も使える。

 

 もちろん、彼が本気になれば、それこそ消し飛ばすことは容易だった。

 さりとて、それはできない。

 フィランディのためではなく、シェルニティのために。

 

「愛というのは不思議なものだ。己を強くもするが、弱みにも成り得る。とくに、お前のような者にとってはな」

「言われるまでもないね」

 

 アリスだけではなく、フィランディにまで蹴られた腹を、軽く手でさする。

 その彼の口から、血があふれた。

 剣を持っていないほうの手で、血を受け止める。

 

「俺の息子に手を出したことを、許すことはできん」

「私にも、守りたいものはある」

「俺とお前の守りたいものは、同じではない」

「そのようだ」

 

 腹を蹴りながら、フィランディは魔術を発動していたらしい。

 治癒をかけて(こら)えたが、内臓を融かされていた。

 少しでも治癒が遅れていたら、腹の中は、ぐちゃぐちゃになっていただろう。

 

「本気で戦え、ジョザイア・ローエルハイド」

「いいさ。私も、きみの過保護ぶりには呆れているからな」

 

 轟っと、風が唸りを上げて吹き上がる。

 空が真っ暗になり、痛みを感じさせるほど強い雨が、体を叩く。

 彼の手から、剣が滑り落ちた。

 がらん…と、重い金属音が合図になる。

 

 フィランディの体を、壁に向かって吹き飛ばした。

 壁にぶち当たり、めり込んでいるフィランディに歩み寄る。

 彼が歩を進めるたび、ギシギシと音が響いた。

 フィランディの骨が軋む音だ。

 

 壁に貼りついているフィランディの前に立つ。

 身動きが取れないはずなのに、フィランディは平然としていた。

 実に、憎たらしい。

 思う、彼の口から、また血があふれる。

 吐いた血が、フィランディの体にかかった。

 

「きみには、うんざりだ、フィランディ・ガルベリー」

 

 口元を拭いつつ、どう始末をつけようか、と、一瞬だけ迷う。

 その、ごくごくわずかな逡巡の間を突かれた。

 

「陛下!」

 

 カイルの声とともに、フィランディの姿が、かき消える。


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