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幸せというのは 3

 いったん屋敷に戻った。

 そのあと、キサティーロは、もう1度、点門(てんもん)を開いている。

 シェルニティは、その門を抜け、森の家に帰っていた。

 

「旦那様が、お帰りになられるまで、私が、お話相手を務めさせていただきます。分不相応な申し出かとは存じますが、しばしのご寛容をいただければと存じます」

 

 キサティーロの、こういう言いかたが好きだ、と思う。

 普通の執事なら「お世話させていただきます」などと言うに違いない。

 けれど、キサティーロは、とても優秀なのだ。

 気遣いも「完璧」だった。

 

 押しつけがましくなく、さりげなく。

 

 相手の負担にならない言いかたをする。

 彼に似たところがあるのは、おそらくキサティーロの「教育の賜物」だろう。

 彼の場合は、そこに軽口を織り交ぜてくる。

 シェルニティは、彼だったら、どんなふうに言うかを想像してみた。

 

 『きみの話相手を、私に、務めさせてくれないか? きみは、夜会に気が滅入るのは、私だけでないと安心させてくれた、唯一の女性だからね。ああ、もちろん、身のほどを知らないってことは、十分に承知しているよ』

 

 たぶん、こんなふうに言うのだ。

 相手に気を遣わせることなく、彼もスマートな気遣いをする。

 軽口に気を取られていると、軽薄にも感じられるだろう。

 が、それすら彼にとっては「予測のうち」なのだ。

 

 軽薄な男との(そし)りを甘んじて受ける覚悟があるから、いつも平然と軽口を叩く。

 そして、彼自身の持つ「正しさ」をまっとうする。

 

「シェルニティ様は、どうお考えですか?」

「あなたは気づいているのでしょう? キット」

 

 キサティーロは、優秀だ。

 シェルニティの気づいていることに、気づいていないはずがない。

 

「彼は、わざと私を遠ざけていたと、私は考えているわ」

「旦那様は、もう少し言葉を選ぶべきにございました」

「あなたも“若者”の躾には厳しいのね」

 

 シェルニティは、小さく笑った。

 キサティーロがティーポットを使い、紅茶を淹れてくれる。

 作法にかなっていないのは知っていたが、カップを両手に持った。

 暖かさと香りに、心が落ち着いていく。

 

「ねえ、キット。なぜ、ほとんどの人が気づかないのかしら」

「人は、見たいものを、見たいようにしか見ないものです」

「よく観察すれば、わかることだわ」

「シェルニティ様は、旦那様を観察されたのですね」

「そうよ。出会った頃から、ずっと」

 

 今では、些細な仕草の変化にすら気づくほどだ。

 そこまでは求めないが、ほんの少しでもいいから「よく見て」ほしいと思う。

 そうすれば、わかるのではなかろうか。

 

 彼が「人」だということに。

 

 シェルニティは、ちょっぴり腹立たしく感じていた。

 紅茶を飲みつつ、不満をもらす。

 

「彼が、大きな力を持っているから、なに? なんでもできるわけではないのよ? もちろん、その気になれば、彼は、世界の王にだってなれるかもしれない。だけど、そのためには、多くの犠牲が必要になるわよね? きっと大勢、死ぬわ」

 

 ふう…と、溜め息をついた。

 キサティーロを見上げて、顔をしかめる。

 

「防御魔術で守れるのは、体だけだって、知っていた?」

「存じております、シェルニティ様」

「彼は、犠牲者を悼みはしないでしょうね。でも、罪悪感や嫌悪感をいだかない、ということではないのよ。魔術は万能じゃない。心までは守れないもの」

 

 たいていの者が、彼を「人ならざる者」と呼び、畏れていた。

 心を持たない者のように扱う。

 それが、シェルニティには、わからないのだ。

 

「確かに、彼は、大事な人のためには、どのようなことでもする人だわ」

 

 けれど、彼は、そのことで、シェルニティに罪の意識をいだくのだ。

 愛する人のために力を使うがゆえに、愛する人を巻き込まずにはいられないから。

 

「私ね、キット」

「はい、シェルニティ様」

「初めて、大きな声を出したくなったわ。放っておいて、ってね」

 

 シェルニティは顔をしかめているが、キサティーロは、わずかに笑んでいる。

 彼女と話している時、稀にキサティーロは笑うことがあった。

 シェルニティには、やはり、なにが面白いのかわからないのだけれども。

 

「旦那様は、世界を統べる、などといった野心を持ってはおられません」

「そうよね。放っておいてくれさえすれば、なにも起こらないと思うの」

「旦那様の願いは、シェルニティ様との穏やかな暮らしだけにございます」

「私だって、同じよ。彼と、穏やかに暮らしていければ、それでいいのに」

 

 なぜか周囲が、それを、すんなりと認めてくれない。

 そうでなくとも、彼との間には、今、微妙な空気が流れている。

 これ以上、ややこしくなると、シェルニティの手には負えなくなるだろう。

 

「キット、彼、(まばた)きをしたのよ」

「瞬き、でございますか」

 

 めずらしくキサティーロが、問い返してきた。

 シェルニティは「おや?」と思う。

 もしかすると、キサティーロは気づいていないのだろうか。

 

「彼、魔術を使う時、少しだけ瞬きの間隔が長くなるでしょう?」

「それは……存知上げませんでした」

「まあ! キットが気づいていないなんて思わなかったわ」

「初めてお会いした日に申し上げた通り、私は、シェルニティ様には敵いません」

 

 シェルニティは、ちょっぴり恥ずかしくなる。

 褒められたからではない。

 キサティーロが気づかないことに気づくほど、彼の顔を見つめてばかりいたと、打ち明けたようなものだったからだ。

 

「ええと……それでね、私、彼に、瞬きに気をつけてと、言っていたのだけれど」

「私を、お呼びになる際、旦那様は、その間隔のある瞬きをされたのですね」

「そうよ。だから、わかったわ」

 

 彼の瞬きは「故意」による。

 シェルニティに帰るよう言った時だ。

 だから、彼女はキサティーロが来るとわかった。

 

「あの場には、王太子殿下と側近のカイル、2人も魔術師がいたわ。なのに、あの瞬きをするなんて、おかしいでしょう?」

「旦那様が、シェルニティ様のご忠言を無視することなどありえません」

「彼は、できない約束はしない人だもの」

 

 瞬きが「わざと」であるなら、シェルニティに対する態度も同様と考えられる。

 シェルニティを早く、あの場から立ち去らせたかったのだ。

 そして、カイルに、彼の心を誤認させたくもあったのだろう。

 

「シェルニティ様は、旦那様の弱点を、よく理解しておられます」

 

 自信過剰でも、なんでもない。

 これまでの事実を突き合わせれば、自然と推測できる。

 彼は、シェルニティの命に差し迫った危険があった時にしか力を解放していない。

 すなわち、彼の弱点はシェルニティなのだ。

 

「だから、放っておいて、と叫びたくなったのよね」

 

 カイルの意図はわからないし、危険なのかも、判然とはしなかった。

 ただ、仮に、カイルが彼を利用する気なら、狙われるのはシェルニティだ。

 あの執拗とも言える、彼女に対する中傷も、目的は、そこにあるのだろう。

 彼が、どの程度、シェルニティに「入れ込んで」いるのか見定めようとした。

 

 シェルニティの口から、不意に、小さな笑いがこぼれる。

 キサティーロが、ささやかに首をかしげていた。

 

「彼にも、可愛らしいところがあるのよ、キット」

「旦那様が、お聞きになれば、お喜びになられるでしょう」

 

 彼は、瞬きをしたのだ。

 シェルニティを遠ざけようと厳しい態度を取りながらも、伝えようとした。

 

 これは本心ではない、と。

 

 もちろんシェルニティを傷つけたくないとの配慮もあるだろう。

 が、それとは違う「本心」も、ちゃんと受け取っている。

 

 彼の行動は、嫌わないでほしい、との懇願にも等しい。

 

 シェルニティは、わざと、しかつめらしい顔をしてみせる。

 そして、お茶のお代わりを淹れているキサティーロに向かって言った。

 

「魔術師の前で危険な真似をしたことについて、私は彼を叱るべきだと思う?」


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