揺れる心が 4
シェルニティは、かなり落ち着かない気分になっている。
今日は、客が多かったからかもしれない。
(それに……どうして、今夜は、こちらなの……?)
ローエルハイドの屋敷。
ここに泊まることになった。
いつもは、屋敷に来ても、夕食は森の家でとり、眠る。
彼と暮らすようになってから、1度も屋敷には泊まっていない。
ここは、彼の屋敷で、家でもあった。
婚姻すれば、こちらで過ごす時間が増えることも考えられる。
彼は、ローエルハイドの当主なのだ。
考えれば、屋敷での生活にも慣れる必要はあるのだろう。
シェルニティの考えていた「彼との生活」とは、少し食い違っているけれども。
シェルニティは、今までと同じ森の暮らしが続くものと思っていた。
屋敷を訪れることはあっても、生活の拠点になるとは考えていなかったのだ。
この屋敷を好ましく思っている。
それでも、森での暮らしが、シェルニティの「日常」だった。
レックスモアに嫁いだ時は、ほとんど生活に変わりはなく過ごしている。
1日の大半を部屋で過ごすだけの暮らし。
(婚姻しても変わらないと思っていたのは、間違いだったのかもしれないわ)
レックスモアの時とは、なにかと違う。
式のことにしても、彼は、手続きだけですませる気はなかったようだし。
『婚姻中、お2人は別宅で暮らしておられ、こちらでは過ごされておりません』
『ここに顔を出されたことは、1度もございません』
不意に、キサティーロの言葉を思い出した。
シェルニティが、彼の前妻について訊いた時のことだ。
その際に、自分が思ったことも、蘇ってくる。
誰にも邪魔されず、2人きりで暮らしたかったのかもしれない。
そう思ったのだ。
シェルニティ自身は、屋敷も住み心地が良さそうだと感じて、もったいない気がしていた。
屋敷を訪れるようになり、懇意になった勤め人たちもいる。
生活拠点としては見られなくても、ここも大事な場所になりつつあった。
(よく……わからないわ……どちらなの? 私が、好ましく思っているから、この屋敷を生活の中心にしようとしているのか……それとも……2人だけ、というのが気詰まりになって……?)
前妻とは、2人きりでいることを優先させている。
彼に「そういうところ」があるのは、感じていた。
どちらかと言えば、2人でいるのを好むのだ。
森にいる時は、客が来るのも嫌う。
どくり…と、心臓が嫌な音を立て、シェルニティは慌てた。
驚いて、思わず、胸元を握り締める。
こんな感覚は、初めてだった。
(前の奥様とのことが……なぜ、こんなに気になるの……?)
シェルニティは、前妻のことを知らずにいる。
ラドホープ侯爵令嬢と話さなければ、強盗に殺されたとは知らずにいた。
子供ができていたことや、その子が亡くなっていたことも。
彼は、その話を、自らの口で語ろうとはせずにいる。
未だに。
話せば、思い出す。
思い出せば、つらくなる。
だから、話せずにいるのではないか、と思った。
胸がキリキリと痛み、苦しくなる。
(それほど……愛していたのね……彼の愛は、とても深いから……)
長らく「疎まれてもしかたない」と納得ずくで生きてきたにもかかわらず、今の今までシェルニティは、自分を「嫌い」だと感じたことはなかった。
なのに、今は、自分を嫌いかけている。
アリスに打ち明けてしまった時と同じだ。
自分を、自分の感情を、醜いと感じずにはいられない。
前妻への愛と、自分への愛とを引き比べてしまうなんて。
相手の女性は、身ごもったまま亡くなったのだ。
彼が今もなお心を痛ませていたとしても当然だった。
シェルニティとて、彼を失うことを怖いと思っているのだから。
(ああ、嫌だわ。自分が、とても嫌……いつから、こんな嫌なことを考えるようになったの……?)
シェルニティは、混乱している。
人には、嫉妬心や独占欲というものがある、との知識はあっても、それを自分の身に置き換えられていないからだ。
彼女が醜いと思う感情が「嫉妬」からくるものだと、わかっていない。
そして、それが、愛に伴うものだとも、わからずにいる。
どれだけ信じていても、愛していても、完全には排除できない感情だ。
同じくらい、愛しているからこそ、いだいてしまう感情でもある。
シェルニティは、屋敷にある、初めて使う彼女の寝室で、眠れずにいた。
この部屋に入ってからずっと、ベッドの縁に腰かけている。
彼は、ここに案内してくれたあと、彼の部屋へと行ってしまった。
当然なのだが、ひどく心もとなく、寂しい気持ちになる。
どこに彼の部屋があるのかも、シェルニティは知らなかったのだ。
彼との間に、距離を感じる。
彼に愛されているとわかっていても、足元がおぼつかないような不安があった。
(シェルニティ姫)
びくっと、体が震える。
混乱している最中、頭に人の声がしたのだ。
緊張に、全身がこわばる。
(僕です。アーヴィングです。驚かせてしまって申し訳ありません。今、即言葉で話しかけています)
即言葉は、確か、特定の者同士で話すための魔術であったはずだ。
ほんの少しだけ、緊張が解ける。
が、なぜ王太子が即言葉で話しかけてきたのかには、思いあたる理由がない。
(今日のきみは、お元気そうではなかったので、気になりました)
(お気遣い、ありがとうございます)
(あの女性のことを、気にされているのではありませんか?)
(ラドホープ侯爵の、ご令嬢のことですか?)
王太子の言葉は、当たらずとも遠からず。
彼が、ラドホープ侯爵令嬢と、どんな話をしたのかも、気になっている。
前妻のことについてではないか、と、シェルニティは思っていたからだ。
そのため、考えが、どうしても、その方向に向かってしまう。
(シェルニティ姫……不躾なのはわかっています。ですが、公爵とは、どうなっているのでしょう?)
(どうなって……?)
(うまくいっておられないのではと、心配なのです)
(なぜ……そう思われるのです?)
うまくいっているのかどうか、シェルニティには判断できない。
今まで通りでない気もするが、目立った変化があるというほどでもなかった。
今夜、屋敷に泊まることになったのも、大きく変わったとは言えないのだ。
これから、少しずつ増えてくれば、あたり前になっていくことなのだし。
(公爵様の態度が、よそよそしいものに感じられたからです)
(よそよそしい? 私は、そのようには感じませんでしたけれど)
(そうでしょうか? 隣に座る、きみの手を取ろうともせず、視線も交わしていなかったではないですか)
言われるまで、気づいていなかった。
というより、シェルニティのほうが客に気を取られていたのだ。
けれど、言われてみれば、彼は、客のことなど気にしない。
父がいても、シェルニティの手を握り、頬に口づけさえする。
(公爵は、ラドホープ侯爵令嬢と、なにを話されたのでしょう)
(わかりません)
(公爵から話はなかったのですね)
(ええ。私が訊かなかったからだと思います)
しばしの間のあと、王太子が言った。
(直接、きみと会って話がしたい)
どう答えるか迷っている間に、王太子が会うための方法を話し出す。
断ろうとしたシェルニティの頭に、以前、彼に言われたことが浮かんできた。
『きみは自由の身だ。何者にも、縛られることはない。私は、きみを支配する気はないし、きみを従わせる気もないのだからね』




