揺れる心が 2
彼は、カイルの様子を窺っていた。
カイルは、間違いなくアーヴィングと契約をしている。
腕の立つ魔術師ならば、魔力の流れを視覚で捉えることができるのだ。
色はまちまちだが、光る糸が、体の周りで揺れているように見える。
単なる魔力持ちは、器への魔力定着が弱く、揺れも不安定だった。
が、今のカイルは、魔力糸の流れが安定している。
アーヴィングと契約を交わしたことで、魔力定着が強くなったためだ。
この魔力の安定は、王宮魔術師が、契約を求める理由のひとつでもある。
安定した魔力供給により器への定着はさらに強まり、使える魔術も増えるのだ。
同じ魔術師と言えど「格」というものがある。
王宮に属していれば、どうしたって上を目指したくなるのだろう。
もちろん、最も格上なのは、国王の側近である魔術師長だ。
しかし、魔術師長は腕だけではなれない。
忠誠心が求められるし、なにより国王の信頼により選定される。
国王との縁がない者は、まず選ばれないし、それを誰もが知っていた。
ゆえに、王宮魔術師が目指すのは「国王付」と呼ばれる最上級魔術師だ。
その、ひと握りに入るため、魔術師らは、より大きく、より多くの力を望む。
結果、国王との契約は、魔術師にとっての絶対条件だった。
例外は、王太子の側近。
国王ではなく、王太子と契約を結ぶからだ。
とはいえ、その契約を持って、魔力供給はされていた。
そして、アーヴィングの即位後、カイルは魔術師長に横滑りすることになる。
(それもまた、仕掛けがあるのだがね)
彼の感情は、とても冷ややかだ。
王宮内の揉め事や、魔術師らの上昇志向になど、まったく関心がない。
王宮を忌避しているわけではないが、関わりたくもなかった。
彼の幼馴染みのフィランディが、平気で彼を頼みにしてくる者であったならば、とっくに絶縁していただろう。
とにかく、ややこしいことが多過ぎるのだ。
内情を知るがゆえに、皮肉っぽい視線でしか見られないこともある。
たとえば、アーヴィングとカイルの関係だとか。
(歴代の魔術師長は、碌な死にかたをしていないわけだが、彼はどうかな)
彼の知っている「内情」を、アーヴィングは知らずにいる。
知っていたら、むしろ、懇意にしている者を選びはしなかったはずだ。
さりとて、その「内情」は秘匿事項であり、誰にも明かすことはできない。
王太子であっても、即位前に、初めて知ることになる。
彼は、フィランディの即位前から、事実を知っていた。
だから、自分がフィランディの側近になってもいいと、言いさえしたのだ。
割と、本気で。
けれど、フィランディは、彼の提案を断った。
彼との関係は、そういうものであってはならないと言って。
普通は、アーヴィングのように王太子になれば、すぐに側近をつける。
イノックエルが認めた「現国王の崩御」の際に備えるためだった。
が、フィランディは、イヴァンジェリンを見つけるまでは、側近などいらないと言い張り、誰とも契約をせずにいたのだ。
そして、即位前、初めて「内情」を知った。
結果、3つ歳上で、長い間「王太子付」魔術師として仕えていたナシェルという男を、フィランディは魔術師長に選任している。
信頼は寄せていても、一定の距離を取り、懇意になり過ぎないよう注意しているのを、彼は知っていた。
(ランディは、ナシェルに非業の死を遂げさせる気などないだろうな)
そのための努力が無駄にならなければいい、とは思っている。
それでも、おそらく無駄になるだろう、とも感じていた。
ランディ側の問題ではなく、ナシェル側の問題として。
(しかたがないさ。ある日突然、自分の人生が無価値だったと知れば)
彼は、誰かに阿ったこともなければ、従ったこともない。
そのため「仕える者」の心情を、理解できなかった。
ただ、キサティーロであれば、彼がなにをしようが、しなかろうが、変わらない態度で接してくるとも思うのだ。
だからこそ、魔術師長の非業の死を、冷ややかにしか受け止められずにいる。
くだらないことだ、と。
(人は、すぐに誰が誰を裏切っただのと騒ぐ。しかし、裏切者だと決めつけて非難していることには気づかない)
アーヴィングは、カイルに笑顔で話しかけている。
カイルの瞳にも、アーヴィングに対する親しみであふれていた。
アーヴィングが5歳から15歳までの十年間、ともに兄弟のように暮らしていたというのは本当だろう。
「カイル」
「なんだい、公爵」
カイルは、彼に対しても口調を改めていない。
店先で会った時と同じように話してくる。
それを、彼も、不快には感じていなかった。
人の話しかたなど、気に留めていないからだ。
「アーヴィが王宮に入ることになった時、きみは嫌ではなかったかい?」
フィランディがイヴァンジェリンを見つけたのは、つい5年前のことだった。
彼が、アーヴィングをフィランディの子だと証したことで、イヴァンジェリンはフィランディの求婚を受けたのだ。
その後、息子であるアーヴィングと一緒に、王宮入りしている。
「俺が王宮を嫌ってるからって、アーヴィにまで嫌えと言うつもりはなかったよ。父親が苦労して見つけてくれたんだぜ? 普通じゃ考えられないだろ」
「ランディは普通ではないからなあ」
「王族なら、エヴァを諦めて、別の女を正妃にするくらいできただろうに」
「それが、フィランディ・ガルベリーという男なのさ」
カイルは、ばつが悪そうに、鼻の頭を人差し指かいた。
ははっと、小さく笑いながら、肩をすくめている。
「なんていうか……羨ましいって気持ちはあったかな。俺には、父親なんてもんはいなかったし、母親も俺が8歳の頃に死んじまってたからさ。あんなふうに迎えに来てくれる親もいるんだって……そう思ったよ」
「ランディが特殊なだけさ。きみには、ほかに家族はいなかったのかい?」
「いない。天涯孤独ってやつだ。けど、細々と雑用を引き受けてたら、街の奴ら、良くしてくれてね。食うには困らなかった」
カイルの表情に、悲壮感や感傷的なところは見受けられない。
街で「顔が利く」と言っていたのも、嘘ではなかったようだ。
雑用を請け負っている内に、顔見知りが増えたのだろう。
カイルは、要領も愛想もいい。
当時は幼かったというのも手伝って、街の者が、カイルを温かく受け入れたのは容易に想像がつく。
貴族とは異なり、街にいる民は、世話好きな者も少なくないのだ。
助け合わなければやっていけない、という事情があるにしても。
「俺は、公爵様の、眼鏡にかなったかな?」
訊いたカイルより、アーヴィングのほうが緊張している。
彼は、ふっと、小さく笑った。
「私は、まだ眼鏡を持っていないのでね」
首をかしげているカイルに、軽く片手を振ってみせた。
気にするな、という意思表示だ。
「私には、とやかく言うつもりはない、ということさ」
アーヴィングが、緊張を解く。
その時、ふと思った。
「ランディは、反対しているのかい?」
「いえ、父は、僕が決めたのことなら、と仰ってくださいました」
「ランディが肯とした以上、誰も口出しはできやしないね。誰も、彼に口で勝てはしないよ」
アーヴィングが、嬉しそうにうなずく。
父であるフィランディが、カイルを認めたことを喜んでいるに違いない。
カイルがフィランディを褒めている際も、アーヴィングは嬉しそうだった。
(2人の間に挟まれることになっていたら、アーヴィは苦しんだだろう)
彼は、彼の幼馴染みを思う。
フィランディは、アーヴィングとの失われた15年を取り戻そうと必死なのだ。
怪我をしないよう危険を排除し、まっすぐに歩けるよう道を整えている。
(度の過ぎた過保護は、感心しないよ、ランディ)
彼は幾度も間違えたが、彼の幼馴染みは、彼の知る限り、常に正しくあったのだ。




