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揺れる心が 1

 シェルニティは、自分がここにいてもいいのか、判断できずにいる。

 なんとなく一緒については来たが、彼に促されたわけではない。

 屋敷に戻ってから、彼とは会話をしていなかった。

 というより、目も合わせていないのだ。

 

 彼がシェルニティを見ないので。

 

 胸の奥が、ざわざわする。

 ひどく居心地も悪かった。

 彼と出会って以来、こんな気持ちになったのは、初めてだ。

 

(ラドホープ侯爵令嬢と、関係があるのかしら……?)

 

 玄関ホールで、彼は、ラドホープ侯爵令嬢の肩を抱いていた。

 その光景が頭から離れない。

 しかも、ラドホープ侯爵令嬢は泣いていたようだったし。

 

(カイルが言っていたように……放蕩していた頃の……? 彼女は、彼のことにも詳しいようだったわ……嫌ね、またこんなことを考えて……)

 

 シェルニティは、気分を滅入らせながらも、溜め息をつくのは我慢した。

 お客の前ですることではないからだ。

 無理に、意識を、向かいにいる2人へと向ける。

 

 屋敷にいくつもある、小ホールのひとつ。

 入り口から少し離れた、食堂に近い場所にいる

 長ソファに、王太子とカイルが座っていた。

 向き合う形で置かれている1人掛けソファに、彼とシェルニティは腰かけている。

 彼の正面に王太子、シェルニティの向かいにはカイルがいた。

 

「もう契約をすませたのかい?」

 

 挨拶は、小ホールにつくまでにすませている。

 唐突にも感じられる彼の言葉にも、2人は驚いていない。

 シェルニティは「契約」の知識を頭から引っ張り出していた。

 ここにいる以上、少なくとも会話についていかなければと、思っている。

 

 訊かれるかはともかく、なにか訊かれるかもしれないし。

 

 王太子が、体を少し前のめりにした。

 膝に肘を置き、顎の前で、軽く両手を組んでいる。

 

「僕は、彼を信頼しておりますので、契約しても問題はないと考えました」

「側近に誰を選ぶかは本人の意思によるものでなければね。周りが、とやかく言うことではないさ。それとも、とやかく言われているのかな?」

 

 王太子は、ほんの少し困ったように笑った。

 彼の言うように、周囲から「とやかく」言われているのかもしれない。

 王太子は、ほかの王族とは違う。

 次期国王となるべき存在だ。

 その側近ともなれば、かなり重要な立場だと言える。

 

(彼は平民出ということで、重臣の方々から、良く思われていないのだわ)

 

 貴族は、とかく自らと平民とを「区別」したがっていた。

 立場を明確にし、秩序を保つためだと教わってもいたし、貴族は誰しもが、口を揃えて、理由をそう述べる。

 けれど、シェルニティは現実を知るにつれ、区別が必要だとは思わなくなった。

 ローエルハイドの屋敷の者と親しくなって、さらに、その思いは深まっている。

 

(爵位の有る無しに関わらず、善い人は善い人だし、悪い人は悪い人よね。身分で線引きはできないのじゃないかしら)

 

 実際、彼女を殺そうとしたのは、爵位持ちのクリフォード・レックスモアだ。

 民から命を狙われたことは、今のところない。

 そのため、貴族の「こだわり」が、シェルニティには理解できずにいる。

 理屈そのものに、どこか歪みがあるように感じられるのだ。

 

「俺は、平民ってだけじゃないからな」

「魔力持ちは、ひどく王宮を忌避しているものだ。それについて、きみ自身、どう考えているのかね?」

 

 王宮に属していない、魔力持ちは「半端者(はんぱもの)」と呼ばれているらしい。

 習ったわけではないが、ブレインバーグの屋敷にいた頃、メイドたちが話すのを耳にしたことがある。

 

「嫌いだよ、王宮なんてとこはさ。けど、アーヴィの頼みだからな。俺は、5歳の頃から、こいつの世話を焼いてきた。まぁ、弟みたいなもんだ。それに、エヴァの作ってくれた料理はうまかったんでね」

「カイルは、僕より7つ年上で、色々と面倒を見てもらっていました。そのおかげで、なんとか生きていけたのです」

「それは、大袈裟だろ。俺だって、まだ12歳だったんだぜ? それほど手助けができたとは思っちゃいない」

 

 カイルの王太子に向けるまなざしは、優しくやわらかかった。

 本当に、弟のように思っているに違いない。

 王太子のほうも、いつもより気楽な雰囲気をまとっている。

 やはり貴族たちの中にいる時は、気を張っていたのだろう。

 

(でも、王宮を忌避しているのが理由で魔力持ちになったのに、その気持ちが薄れても、魔力は消えたりしないの?)

 

 考えているシェルニティのほうへ、不意に、カイルが視線を向けた。

 ぱちっと、目が合う。

 なぜか苦笑された。

 

「ずいぶん、不思議そうに見るんだな。めずらしい生き物にでもなった気分だ」

「あの……申し訳ありません。不躾でしたわね」

「いや、そういうのいいから。俺は堅苦しいのが苦手なんだよ。タメ口で頼む」

 

 シェルニティは、目をしばたたかせる。

 急いで、頭の中から「民言葉の字引き」を引っ張り出した。

 カイルが使ったのは「新語」と呼ばれる民言葉だ。

 公のものにはされていないが、ロズウェルドでは、かなり普及している。

 

 かつての宰相ユージーン・ウィリュアートンが、ガルベリーの名で出した著書。

 貴族言葉にない表現が、様々、載っていた。

 その後、ガルベリー17世と、その正妃の共著「民言葉の字引き その2」が、出版されている。

 シェルニティは、そのどちらも、知識として頭に入れていた。

 使ったことは、ほとんどないけれど、それはともかく。

 

「新語は使い慣れていないけれど、普通に話してよければ、そうするわ」

「お、いいね。そのほうが、こっちも気が楽だ」

 

 言って、カイルが笑う。

 店先で会った時とは印象が違う気がした。

 が、あの時は、少し神経質になっていたので、そう感じたのだろうと思う。

 カイルではなく、自分のほうに問題があったのだ。

 

「それで? なにを、そんなに不思議がっていたんだ、お嬢さん」

「カイル、シェルニティ姫は、ブレインバーグの公爵令嬢だよ?」

「いえ、かまいませんわ、王太子殿下。堅苦しくしないと申し上げたのですから」

「では、僕にも、堅苦しくしないでもらえると嬉しいね」

 

 王太子とカイルに挟まれた会話に、シェルニティは戸惑う。

 けれど、彼は、口を挟んでは来なかった。

 シェルニティの戸惑いは伝わっているはずなのに。

 

「ええと……私……王宮を忌避する気持ちが薄れても魔力を維持できるものなのかしらと思っていたのよ。それが、不思議がっているように見えたのね」

 

 カイルが声をあげて笑ったので、シェルニティは、びっくりしてしまう。

 いつも思うのだが、彼女は、なにも面白いことなど言った覚えはない。

 

「見た目にそぐわず、ズバッと言うなあ」

「え……?」

「確かに、矛盾してるように思えるよな。だけど、魔力持ちってのは、そもそもが矛盾した存在なんだよ」

「本来、王宮に属さなければ、魔力は自然に消えていくものだからね」

「1度、魔力を維持できるようになったら、それは変わらないということ?」

 

 カイルが、軽くうなずく。

 が、すぐに両手を広げ、肩をすくめた。

 

「ただ、俺は、もう契約をした。今後、魔力分配を止められたら、終わりだ」

「どういうこと? ちっともわからないわ」

 

 くくっと、カイルは、また面白そうに笑う。

 魔術に対しても、それなりに知識はあったが、魔力そのものについては、あまり詳しくない。

 詳細に記載されている本がないからだ。

 

「つまり、今までの俺は、どの酒瓶からでも酒の注げるグラスだった。けど、今は王宮ご用達の酒瓶からでなきゃ酒が注げないグラスになったってことさ」

「それが、契約?」

「そうだよ、お嬢さん」

「とても分かり易い説明だったわ」

 

 感心して言うと、またカイルが笑った。

 明るい雰囲気に、ほんの少しだけ気分が上向く。

 隣で、黙ったままでいる彼を、気にしてはいたけれども。

 

「酒を注がれなくなったグラスは埃をかぶって、そのうち壊れる。そうなったら、もう魔術師ではいられないんだよ」

 

 王宮魔術師が「契約によって縛られている」と言われている意味を、初めて理解できていた。

 魔術師は、自らが魔術師でいるために、王宮に従っているのだ。

 

「俺は、元々、それほど、たいした魔力持ちじゃないんだけどな」

 

 言って、カイルは、やはり明るく笑う。


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