罪の重さから 2
シェルニティと、子供らの笑い声が遠くから聞こえてくる。
それを耳にしつつ、彼は、テラスで紅茶を飲んでいた。
隣にキサティーロが控えている。
いつものごとく、執事服を身につけたキサティーロは、完璧だ。
「シェリーが産まれたあと、消えた侍女。これはまた、怪しいねえ」
「実質、その侍女が実行犯であるのは、間違いございません」
「きみが言うのだから、そうなのだろうな」
言いつつ、彼も同意見だった。
相手が正妻だとはいえ、側室自ら給仕などしない。
イノックエルの正妻ロゼッティに性質の悪い魔術を仕込んだのは、その侍女だ。
侍女ならば、日々の飲食物に魔術のかかった薬を入れることは可能だし、それを運んでいても不自然ではない。
「ブレインバーグ公爵から問い詰められた側室の女性は、その侍女に唆されたと、言い訳をしておりました」
「ふぅん。その侍女と側室の間に美しき友情があったとは思えない。側室の依頼を断れなかった理由があったとも思えない」
仮に、依頼されたとしても、それをイノックエルかロゼッティに告げ口をすればすむ話だ。
侍女のほうに、側室に対する思い入れがあったとか、弱みを握られていたとかの理由でもあれば、別だけれども。
なにしろ、事が露見して割を食うのは、侍女だけなのだ。
実際、側室は「侍女に唆された」と言っている。
罪を押しつけられるとわかっていながら、実行した理由が不明瞭だった。
「そもそも、その侍女というのは、何者かね?」
「元はダリード男爵家の令嬢で、16の時、ルノーヴァ伯爵家に側室として嫁いでおります。その後、子が出来ず、20で婚姻無効を言い渡され、家を出されたようです。結果、ブレインバーグの勤め人となったのでしょう」
自らと同じ側室という立場に同情を覚えたのか。
イノックエルの側室側に思い入れはなくとも、侍女の側にはあったのか。
「なにやら、うまくはまらないな」
「どうせ危険を冒す覚悟があるのなら、ブレインバーグ公爵夫人を殺したほうが、手っ取り早い、ということでございましょう?」
「まさにね。側室の彼女には、そのような覚悟はなかったはずだ。イノックエルに見捨てられては、元も子もないからね。だが、側室の一存だと言うのなら、呪いを選んだ理由にも納得がいく。殺せなかったから、というだけのことだとね」
けれど、実際に手をくだしたのは、侍女であり、側室ではない。
危険を冒してもかまわない、というほどの思い入れがあったのなら、1人で罪をかぶり、ロゼッティを殺せばすんだ。
なのに、殺しはせず、「呪い」を選んでいる。
「実に、中途半端だ」
キサティーロも同じように考え、同じ結論に達しているに違いない。
彼が、気づいていることにも、同様に、気がついている。
そして、その結論に、彼が苛立ちを感じていることにも。
「その侍女は、この世にはいない。そうだね、キット?」
「さようにございます、我が君」
どのような死にかたをしたのかはともかく、死人に話は訊けない。
それが、苛立ちの原因だった。
「今後、そのことで、なにか害はあるかい?」
「可能性としては」
キサティーロは、否定をせずにいる。
つまり、まったく危険がない、とまでは言えない、ということだ。
呪いが解けても、まだシェルニティに害がおよぶ可能性はある。
さりとて、侍女は死んでいて、どういう危険があるかまでは、わからない。
現状「なにか」起きるまでは、できることがなかった。
「ところで、我が君、少々、苦言を呈させていただきます」
「苦言? 私は、35になっても、きみに叱られなくちゃならないわけだ」
「私は、ただの鏡ではございません」
「わかっているさ」
彼は、ティーカップをテーブルに戻し、両手を上げる。
5つ年上のキサティーロは、彼の師でもあった。
ローエルハイドの当主に仕えてはいるが、隷属する立場ではない。
とくにキサティーロは、主に物申す執事なのだ。
「シェルニティ様と、お話し合いをされましたか?」
「したさ。どういうことでも、2人で話し合って、決めている」
「そのようには見受けられません」
ぴしゃりと言われ、彼は顔をしかめる。
いくらキサティーロでも、シェルニティとの関係には口出しされたくなかった。
とても繊細な状況であったし、彼自身、心の揺らぎを感じているからだ。
図星をさされて、いい気分になる者はいない。
「シェルニティ様は、お子を望んでおられます」
「彼女は、子供はいらないと言った」
「言葉が、必ずしも心を語るわけではございません」
「シェリーは、嘘などつかない」
「嘘だとは申し上げておりません、我が君」
さすがに、カチンと来る。
まるで、キサティーロのほうが、彼よりも、シェルニティを知っていると言わんばかりの言い様が、癪に障った。
彼とて、シェルニティとの関係が、微妙にぎくしゃくしているのは感じている。
痛いところにさわられて、喜ぶ者だっていやしないのだ。
「アビーの時も、それくらい口を出してくれるとよかったのだがね」
アビゲイルとの婚姻について、キサティーロは、なにも言わなかった。
屋敷に寄りつかなくなっても、苦言のひとつも口にせずにいた。
キサティーロからは、連絡すら取って来なかったほどだ。
彼が呼べば返答はあったし、必要なことはしてくれたが、それだけだった。
「シェルニティ様は、あのかたとは違います。我が君も、あの頃とは違います」
「そりゃあね。私も成長しただろうさ。だが、17歳の頃の私のほうが、今より、よほど、きみの“苦言”を必要としていたと思わないか?」
「いいえ。率直に申し上げて、あの頃の我が君には、どのような苦言も、とどきはしなかったでしょう」
キサティーロは完璧だ。
いつも、物事を客観的に判断し、平気で主観を切り捨てる。
彼も感情を制御することに長けてはいるが、キサティーロほどではない。
「キット……シェリーは……怖くなった、と言ったのだよ」
自分以外に、こうした話ができるのは、キサティーロだけだった。
弱音を吐いたところで、キサティーロが慰めてはくれないと知っている。
だからこそ、言えるのだ。
「なにが、怖くなったのか、お訊きになられましたか?」
「訊いちゃいないが、それは明白だろう?」
「我が君が、思い込んでおられることを、明白とは申せません」
「私の思い込みだと言うのかね?」
「あのかたのことがおありなので、先入観で判断されておられるのでしょう」
シェルニティは「怖くなった」とは言ったが、「なにが」とは言っていない。
そして、彼も、それについては訊いていなかった。
明らかだと思っていたからだ。
「なぜ、そう思う?」
「シェルニティ様が、我が君を愛しておられるからです」
「だが、それと子を成すということは、話が違う」
「確かに、シェルニティ様の感情には、未発達な部分がございましょう。それが、ご心配なのも、わかります」
キサティーロは、淡々とした口調を崩さない。
が、返ってそれが、彼を落ち着かせている。
彼は、まだ半分以上も残っている紅茶を、じっと見つめていた。
「ですが、我が君。シェルニティ様が、最初に掴んだ感情は、我が君への愛にございました」
言われて、ハッとする。
「シェルニティ様は、あのかたとは違うのですよ、我が君」
シェルニティの感情が、自分に対する「愛」を基盤にして、枝葉を伸ばしているとしたら、どうだろうか。
彼の耳に、シェルニティの声が聞こえる。
『私には大事な人というのが、よくわかっていなかったの。大事な人がいなかったからだと思うのだけれど……でも、あなたのことは、大事なのだと思うわ』
キサティーロの言う通り、すぐにでもシェルニティと話し合う必要があった。
そう思い、立ち上がりかけた、彼にキサティーロが言う。
「残念ですが、お客様のようです。お茶を淹れかえなければなりませんね」




