動揺に共鳴 4
キサティーロは、王都の屋敷にある執事の待機部屋にいる。
主や客を、すぐに出迎えられるよう、玄関に近い場所に備えられていた。
「テディ、お前の認識は、甘過ぎるのでは?」
イスに座り、足を組んだまま、立っている長男セオドロスに視線を向ける。
肘置きにある手の指先を、コツコツと鳴らした。
頭の端で考え事をしている時に出る癖だ。
「王太子殿下の周囲には、大勢の魔力持ちがいたのです、父上」
母親似の青い瞳に、影が差している。
しょげているような色合いが、キサティーロは、苦手だった。
妻をいじめている気分になる。
さりげなく、セオドロスから視線を外し、頬杖をついた。
なんでもない口調で問う。
「危険を感じたと?」
「いえ、それは……」
アーヴィング王太子は、王宮を1人で抜け出し、街の裏通りにある酒場にいた。
王宮魔術師らが「半端者」と呼ぶ魔力持ちが集まっている酒場だ。
そして、セオドロスの報告によれば、王太子は、魔力感知に引っ掛からなかったという。
王太子は、魔力を持っている。
当然だ。
なにしろ「あの」国王の息子なのだから、並みであるはずがない。
大きさ自体は、王太子のほうが、わずかばかり小さい。
とはいえ、もとより「あの」国王が異質なのであって、王宮魔術師と比較すれば桁違いと言える。
それほどの魔力を完璧に隠すことなど、できはしない。
キサティーロの主ならば、ともかく。
「王太子は、酒場の者たちと顔馴染みだったかと」
「そのようでした。中には、いい顔をしていない者もいましたが、大半は気さくに話しかけていましたから」
王太子は、15歳まで平民として暮らしている。
粘着気質の「あの」国王が探し出し、王宮に入ったのは5年前のことだ。
そもそも王太子が魔力持ちであったのなら、酒場にいた者と懇意にしていても、不思議はない。
王宮を極端に忌避するがゆえ、彼らは、国王との契約なしに魔力を維持できる。
しかし、それは「異端」である証でもあった。
そのため、周囲に悟られないよう、なによりもまず魔力抑制を習得する。
街で「持たざる者」の振りをしながら、ひっそりと暮らしているのだ。
王宮魔術師に見つかれば、否応なく王宮に連れて行かれることになる。
王宮を忌避している彼らにとっては、最も、避けたい事態なのは間違いない。
軟禁されたり、投獄されたりするわけではないが、一定の制限は受ける。
契約をするかしないかの選択を迫られはするし、解放されても監視はつくのだ。
魔力持ちは、王宮を忌避している。
当然と言えば当然だが、彼らが王宮に反旗を掲げることも少なからずあった。
ロズウェルドの歴史には、そうした事例が、いくつも残されている。
集団で王宮魔術師を襲ったり、他国と手を結び、反乱を起こそうとしたり。
その結果、彼らを危険分子として扱わざるを得なくなったのだ。
そういう者たちばかりではないとわかっていても。
「王太子のことは、ひとまず軽く監視する程度で」
「父上は、あの男、カインと呼ばれていましたが、そちらのほうが重要とお考えなのですか?」
「誰が、王太子の側近に抜擢されると?」
「まさか……あの男が?」
セオドロスは、信じられないという表情を浮かべている。
が、キサティーロは確信していた。
勘や当て推量で言ったわけではない。
「それほど驚くことではないのでは?」
王太子は、側近を選ぶことを求められている。
その時期に、あえて酒場に行ったのだ。
その男が平民であり、王宮を忌避していると知っていながら。
つまり、王太子は、その男に、それだけの信頼を置いている、ということ。
側近は腕の良し悪しではなく、忠誠心が求められる。
それは、同時に、誰よりも信頼できる相手である、ということも意味していた。
5年しか過ごしていない王宮内に、そういう者はいなかったはずだ。
とはいえ。
キサティーロは、王太子が誰を側近にしようが、どうでもいいと思っている。
身分を持ち出して、貴族らは騒ぐだろう。
だとしても、それをおさめるのは、キサティーロの仕事ではない。
宰相であるリカラス・ウィリュアートンの役目であり、最終的には「あの」国王の務めだ。
よって、キサティーロの懸念は、そこにはなかった。
キサティーロは、己が主の心にのみ従う者だ。
そこにしか興味も関心もない。
「その男が、シェルニティ様に話しかけたのが偶然だとでも?」
「故意に、シェルニティ様に接触したのですか?」
それも、キサティーロは確信している。
だから、気にしているのだ。
側近だのの話は「もののついで」に過ぎない。
「王太子より優先すべき事柄が、そこいら中に散らばっているが?」
ちらっと、視線だけを投げた。
セオドロスはうつむき、唇を噛んでいる。
自分の失態を悔いているのだ。
そして、恥じている。
が、けして、セオドロスは無能ではない。
むしろ、優秀だった。
キサティーロは、セオドロスを認めている。
息子の認識不足を、経験の差としか捉えていなかった。
先代のローエルハイド公爵から、多くを学んだ結果なのだ。
それをセオドロスにも学ばせようとしている。
ローエルハイドの執事は、なまなかなことでは務まらない。
「やるべきことは? テディ」
セオドロスが顔を上げる。
その瞳に、しょげた色は、すでになかった。
「あの男を、徹底的に追います」
「少しの不足もないように」
言ってから、キサティーロは、立ち上がる。
部屋の奥にある窓に近づき、腰の後ろで手を組んで、外を見た。
長年、見てきた景色だ。
月が出ていて明るい日もあれば、真っ暗で星ひとつない日もある。
そのどれもが、キサティーロには、同じ景色に見えた。
「ヴィッキー」
「父上、お呼びでしょうか」
次男のヴィクトロスが、姿を現す。
短い髪は焦げ茶色をしており、瞳は深い青色。
完全に母親似だった。
「リンクスから目を離さないように」
「ですが、私には殿下の……」
肩越しに振り向き、ヴィクトロスを一瞥する。
ヴィクトロスが、即座に口を閉じた。
コルデア家では、キサティーロの言うことは「絶対」なのだ。
それは、キサティーロが父親だからでも、立場が上だからでもない。
彼らの主「人ならざる者」の最側近だからだ。
キサティーロの言葉は、主の言葉と同等の重みを持つ。
主自身が、キサティーロに与えている「権限」なのだ。
キサティーロは、息子2人に的確な指示を出しつつも、別のことを考えている。
主の心を思っていた。
窓の外に見える空が、ほんのわずか濁っている。
誰にも見分けられはしないが、キサティーロにだけは、わかるのだ。
キサティーロの主は、今、せつなさと至福の狭間に、いる。




