動揺に共鳴 3
彼は、ベッドに入っても、寝つかれずにいる。
シェルニティの変化が、気がかりなのだ。
「怖くなった、か……」
つぶやきが、部屋の中に転がる。
消えていくはずの声が、いつまでも残っていた。
まるで、床に落とした小さな鉛の球のように、重く固く、留まり続けている。
溜め息も、つくたびに白い糸になって、彼に絡みついてくるようだった。
さっきまで暖炉に火を入れていたため、室内は暖かい。
なのに、吐く息が白く感じられるのだ。
「だが、私を怖がってはいない。私の子を成すのが怖いというだけだ」
言い聞かせるように、言葉にする。
悪いだけの話ではなかったことに、安堵すべきだと思った。
シェルニティは、彼と一緒にいることは望んでくれている。
彼とて、彼女に負担を強いてまで、子を成したいとは考えていなかった。
『私、リンクスやナルといる時の、あなたの表情も、とても好ましいと思っていて……とにかく、子供がほしいと思っているのは、確かなの』
『あなたと一緒に、子供を育てたい、と思ったの』
彼女は、慌てた様子で、けれど、とても懸命に、彼に、そう言ったのだ。
その時のシェルニティの表情を思い出している。
彼女が自分との子を望んでくれることに、一瞬、彼は驚いた。
が、次には想像していた。
自分とシェルニティ、それに自分たちの子供に囲まれた暮らしを。
きっと賑やかで楽しい日々になる。
どういう根拠もなく、そんなふうに感じたのは初めてだった。
子供がいなければ、得られないわけではない。
彼女と2人であれば、同じくらい毎日は楽しいものになるはずだ。
「そうとも。シェリーは、アビーとは違う」
ロズウェルドでは、子を成さないための「予防措置」は、完全に男性側に委ねられていた。
主に薬の服用であり、飲みかたに決まりがあって、ややこしい。
そのせいで、普及率は低かった。
貴族の男は、そうした面倒を嫌うことが多いからだ。
最初の妻アビゲイルは、隠れて彼に「予防措置」を取らせている。
食事や飲み物に、薬を混ぜていた。
当然に、彼は気づいている。
それでも、自分に言い訳をして、気づかないフリをし続けたのだ。
アビゲイルは、恐れていた。
彼のことも、彼に愛されることも。
だから、子を望まなかったのだ。
婚姻前から、薄々、気づいていたのに、彼は、それを無視した。
アビゲイルを愛している自分を、信じたくて。
愚かだった、と思う。
当時、自分が手にしていた、なけなしのものを手放せずにいただけなのだ。
その浅はかさの結果が、アビゲイルの死だった。
もっと早く見切りをつけて、手放していればアビゲイルは死なずにすんだ。
彼は、長く悔やんでいる。
「シェリーは、アビーとは違う」
彼は、同じ言葉を繰り返した。
少なくとも、隠れて薬を飲ませようとはせず、言葉にすることを選んでいる。
子供のことはともかく、一緒にいたいとは思ってくれているからだ。
「……きみは、自分を薄情だと言ったが……それなら、私はどうだ。冷血漢というところかな……」
アビゲイルは、本当に愛していた男の子を身ごもっていた。
彼は「予防措置」を取らされていたため、彼の子では有り得ない。
その愛する男、そして、その男の子とともに、アビゲイルは死んだ。
彼は、命を失った3人に対して、感情の揺らぎを感じずにいる。
シェルニティを失うかもしれないと思った際にいだいた恐怖や怒りは、どこにもなかった。
シェルニティに対する、自分の想いの深さを、彼は自覚している。
アビゲイルへの心情が、いかに「愛」ではなかったかを思い知ったくらいに。
いつも軽口を叩き、飄々としており、何事にも動じない彼が、アリスの放った、たったひと言に動揺した。
簡単に避けられたはずの蹴りを、まともに食らった。
それほどに、シェルニティは「特別」なのだ。
出会った当初から、彼女は、とても無防備で屈託がない。
彼に対して、言いたいことを言う。
最初は、彼の言葉に、ただ従っただけなのだろうが、今は、それが、あたり前になっていた。
ほとんどの者が、彼に対等な口はきけずにいる。
彼を恐れていたり、畏れていたりするからだ。
けれど、シェルニティには、そのどちらもなかった。
今までは。
彼は、それを恐れている。
シェルニティは、特殊な境遇に置かれて育った。
人から感情を与えられず、生きてきている。
そのため、彼女自身の感情も発展途上。
少しずつ、知識や現実に、感情が追いつきつつあった。
だからかもしれない、と思うのだ。
「いずれ……きみも……私を恐ろしいと、思うようになるのかな……」
これまでわからなかったことが、わかるようになる。
知識としてだけでなく、そこに感情が伴えば、いだく印象も異なるに違いない。
平気だったものが、平気でなくなることだって、ある。
そうなった時、自分は彼女の手を放せるだろうか。
とてもできそうにないが、同じ過ちを犯したくもない。
相手が、シェルニティであれば、なおさらに間違えたくなかった。
自分が間違えば、彼女は、この世から消えてしまうかもしれないのだ。
この世界のどこにも、シェルニティがいない。
そんな世界になるよりは、彼女の手を放すほうがいいと思える。
シェルニティと気持ちが通じ合うまでは、実際に、そうしようとさえしていたのだから。
「きみは、いつまで、私と一緒にいたいと……言ってくれるかな」
シェルニティの愛を失ったら、生きていける気がしない。
さりとて、彼女の身になにかあったらと思うと、死ぬわけにはいかない。
いずれにせよ、シェルニティの存在が、彼を、この世界に繋ぎとめている。
「この有り様では、アリスに蹴られても、文句は言えないさ」
痛くはないはずの、腹が痛んでいた。
無意識に、アリスに蹴られた場所に手を置く。
「私だけが幸せであっても、意味はない」
シェルニティには「いずれ、わかる」と言った。
が、彼女に「幸せ」を与え、教えるのが自分かは、わからない。
『怖くなったの』
彼女の声が蘇り、胸に突き刺さる。
彼は、今もまだ、アビゲイルの言葉に縛られていた。
『人ならざる者……あなたに愛されるほど、恐ろしいことはないわ』
自分の血が、心底、疎ましくなる。
愛する人に負担をかけ、罪を負わせることしかできない血だ。
彼は、自分の本質が、愚かで冷酷なものからできていると、知っていた。
そして、シェルニティを否応なく巻き込む。
彼が彼女を愛している、というだけで。
「それでも、きみとずっと一緒にいたいだなんて……私は、欲張りに過ぎるね」
今後、シェルニティが彼から離れたい願ったら、その手を放そうと思った。
離れていても、そっと遠くから見守ることくらいはできる。
たとえ、彼女が望まなかったとしても、だ。
シェルニティを守ることすらできないのなら、自分の持つ力になど、ひと欠片の意味もない。
「まったく、私ときたら……我ながら、呆れるほど理不尽な男だな」




