動揺に共鳴 2
「平気だよ、シェリー。もう治癒したからね」
彼と2人で、居間のソファに座っている。
見たところ大丈夫そうではあった。
けれど、シェルニティが、どうしてもと頼むまで、彼は治癒しようとしなかったのだ。
固く布を捲いて固定しておけば治る、と言って。
「アリスとは、時々……まぁ、じゃれあうこともあるのさ」
とても、じゃれあっていたようには見えなかった。
シェルニティは、喧嘩など見たことはない。
が、あれが喧嘩というものではなかろうか。
アリスは、いつも大人しく彼を乗せている。
なのに、さっきは、わざと振り落とした。
しかも、最後には腹を蹴ったのだ。
彼が弾き飛ばされる光景に、シェルニティは息が止まりそうになった。
「きっと私のせいだわ」
「そうではないよ。私が、アリスのご機嫌を損ねてしまっただけだ」
シェルニティは、首を横に振る。
アリスは動物だが、なにか通じ合うものを感じていた。
おそらく、アリスは、彼が自分を泣かせたと勘違いをしたのだろう。
それで、怒ってくれたのだ。
そんな気がする。
「シェリー……」
彼が、シェルニティを見つめている。
彼女も、彼を見つめ返した。
シェルニティに新しい世界を見せ、感情を与えてくれる人だ。
彼と出会って、シェルニティは「愛」を知った。
(彼は、いつも私のことを考えてくれているわ)
婚姻解消の時も、呪いを解いた時も、命を救ってくれた時も。
いつだって、シェルニティのことを思いやってくれている。
彼のしたことは、すべて彼女のためなのだ。
それを、シェルニティも、わかっている。
(なのに、私はどう? 彼の気持ちを考えたことがあった……?)
彼から前妻のことは聞いていたのに、ちゃんとは訊かずにいた。
ラドホープ侯爵令嬢から聞かされるまで、子供のことも知らずにいた。
それでいて「子供がほしいから婚姻して」などと言い放ったのだ。
「私……自分の不安を、あの子に打ち明けたの。それを、きっと誤解したのね」
「きみの不安は、私では解消できないものかい? きみが嫌でないのなら、話してくれないか?」
シェルニティは迷う。
彼女は、自分で決断をしたことが、ほとんどない。
これが正しいのかどうかも、わからなかった。
それでも、彼の気持ちを「思いやりたい」と思う。
「もし、あなたとベッドをともにする時は……予防措置をとってほしいの……」
「それは……」
「……子供は……いらないわ……」
彼女自身は、明るくて賑やかな「家族」がほしかった。
けれど、それは自分の「夢」に過ぎない。
そのために、彼を苦しめるかもしれないのだ。
常に、失った子供を思い出させることになるのだから。
「だが……きみは、子供がほしいと……急に考えが変わったのは、なぜだい?」
どう答えればいいのか、ここでも迷う。
彼のためだと言えば、きっと「気にしなくていい」と言われるに違いない。
不義の汚名すら一身に肩代わりしてくれるほど、優しい人だから。
「怖くなったの」
結局、自分の心にある気持ちを、言葉にしてみる。
それは、嘘ではなかった。
(彼は……たとえ、彼自身がどれほど苦しもうと、私の願いを……叶えようとしてくれる……)
自分との間に子をもうけることで、彼を苦しめる可能性が怖い。
彼の愛は、とてもとても深いのだ。
(でも、それでは彼にばかり負担をかけてしまうもの。私だけ、のうのうと自分の夢にひたることはできないわ)
シェルニティも、彼を愛している。
彼1人に重荷を背負わせたくないと感じている。
ある意味、シェルニティは自立していた。
感情面では遅れを取っているし、ほとんどの決断を人に委ねてもいた。
が、彼女は、ずっと1人だったのだ。
1人で生きてきている。
自覚のあるなしにかかわらず、自分を生かすために食事をし、清潔さを保つために着替えをして、疲れを癒すのに必要な睡眠をとる。
毎日が、それの繰り返しであったとしても、それは彼女自身のためだった。
そこに彼が加わっている。
感情が上乗せされ、楽しかったり、嬉しかったりすることが増えた。
いわば、彼は、彼女の半身なのだ。
普通の貴族令嬢が持つ「男性に頼ってあたり前」との意識がない。
だから、罪も分かち合う、との考えにも、自然に繋がった。
意識なしに、彼と自分とを対等な「人」として認識している。
頼りっ放し、甘えっ放しでいいとは、どうしても思えない。
彼の重荷を、自分もかかえたかったのだ。
「……きみが、そう言うのなら、私はかまわない」
「私たち2人だけでいいわ。そのほうが、気持ちが楽でいられるもの」
「そう……そうだね。きみといられるのなら、それだけで、私は満足だ」
「私も、そうよ。あなたがいれば、それだけでいいの」
彼が、シェルニティの手を握ってくる。
心の奥が、ちくちくしていたけれど、それを無視して、にっこりしてみせた。
彼に心配をかけたくなかったのだ。
「勝手ばかり言って、ごめんなさい」
「勝手などと思ってはいないよ。きみは、自分には選ぶ権利がない、と思っているかもしれないが、それは違う。きみにも、たくさんの選択肢がある。きみの選択を私は尊重したいと思っている」
彼が、シェルニティに向かって微笑む。
いつもの穏やかな笑みに、ホッとした。
「屋敷に行けば、嫌というほど賑やかだからね。ここにいる時は静かに暮らすのも悪くはないのじゃないかな」
「そうよね。ナルやリンクスが、どんなふうに育っていくのか見られれば、それで十分、楽しいと思うわ」
それも本当のことだ。
絶対に、自分たちの子供でなければならない、ということはない。
ひとつの選択肢として。
シェルニティの頬に、彼が軽く口づける。
それから立ち上がった。
「夕食までに、柵を直してくるよ」
「アリス、柵を壊したの?」
「何度目かの蹴りを、私に食らわせた時にね」
軽く肩をすくめる仕草も、いつも通り。
なのに、少しだけ、なにかが違う感じがした。
「体は、本当に大丈夫? 無理をしなくても、明日でもかまわないのじゃない?」
「明日は、屋敷に行く日だろう? それに、今日できることは、今日しておきたい性分なのさ。キットに躾けられたせいかな。壊れた柵が気になってしかたがない」
「それなら、私も畑仕事に戻ることにするわ」
「今夜の夕食の付け合わせのためにね」
軽口を叩く彼に合わせて、シェルニティも立ち上がる。
一緒に外に出て、2人で畑に向かうのも、いつものことだ。
「それじゃ、私は柵を治癒してくる。手作業だがね」
「怪我をしないように気をつけて」
手を振る彼に、手を振り返す。
彼に背を向けたとたん、泣きたくなった。
どうしてなのか、とてつもなく、寂しい気持ちになったのだ。




