動揺に共鳴 1
「シェリー、そこにいてくれ! 私は大丈夫だから!」
彼は、大きな声でシェルニティに声をかける。
彼女に伝わったらしく、だいぶ手前で、足を止めるのが見えた。
(どういうつもりだね、アリス)
(うっせえ)
アリスが、まさしく「突進」してくる。
ひょいっと軽く避けつつ、即言葉で話しかけた。
(なにを、それほど怒っているのか、襲われている側としては、訊きたいのだが)
彼の言葉を無視して、アリスが前脚を大きく掲げる。
普通の馬とは違い、まったくバランスを崩していない。
あくまでも、彼を「踏みつける」ための動きだった。
そして、本気を感じる。
(いいかげんにしたまえ)
(ムカつくってなら、オレを吹っ飛ばしゃいいだろ? お得意の魔術で)
アリスは、ほとんどの場合「新語」を多用していた。
王族であり、宰相でもあったユージーン・ガルベリー編纂の「民言葉の字引き」により、ロズウェルドの言葉は豊かになっている。
その後、ガルベリー17世と、その正妃が共著として出版した「民言葉の字引き その2」で、さらに表現方法が広がっていた。
公のものとはされておらず、俗語の扱いではあるが「新語」として、かなり普及している。
ただし、貴族は、特定の場所や状況でなければ使わないことが多い。
が、アリスは、知ったことではないとばかりに、よく使う。
アリスに「宰相」ができないのは、礼儀をわきまえていないからなのだ。
(それができるのなら、やっているさ)
(だろーな)
彼が避けても、アリスは追ってきた。
素早く向きを変え、突進。
噛みつこうとさえしてくる。
(オレは、シェリーの“お気に入り”だからな。オレに怪我をさせたら、シェリーは悲しむぜ)
(わかっているのなら、やめればいい)
(わかってっから、やめねーんだよ)
彼にすると、アリスの行動は意味不明。
そして、少しばかり、ムっとしてもいた。
アリスがシェルニティの「お気に入り」であることは、間違いないのだ。
たとえ、アリスからの攻撃を防ぐためであれ、怪我をさせることはできない。
(もしかすると、きみは、私に喧嘩を売っているのかい?)
(そーだよ)
(きみに喧嘩を売られる理由が、思いつけないな)
(今、オレが人の姿で、剣を持ってたら、アンタに手袋を投げてたサ)
(白の?)
(白の)
これは、喧嘩というより「決闘」のつもりのようだ。
それこそ、意味がわからない。
アリスとは、アリスが産まれた頃からのつきあいだった。
その27年の間、険悪になったことは1度もない。
(どうせ物理防御の魔術をかけてんだろ? だったら、1回くらい蹴られろ)
(暴れ馬を躾けるために、魔術など使わない)
(へえ。それなら、やっぱり蹴られるべきだな。シェリーに心配してもらえるぞ)
しかたない、と彼も気持ちを切り替える。
アリスの突っかかる物言いが、気に入らなかったのだ。
そもそも。
(誰が、シェリーと呼んでいいと言ったかね?)
(シェリーなら、嫌とは言わねーよ)
確かに、と思えるのが癪に障る。
アリスがシェルニティに「気がある」のは、わかっていた。
それが「本気」だと気づいたのは、魔術師に襲われた時だ。
アリスは、命懸けでシェルニティを守った。
リカを遺していく可能性すらあったのに。
あれだけ弟に過保護なアリスが、だ。
そして、アリスが死ねば、リカだって死ぬ。
それも承知で命を懸けた。
つまり、そこにはシェルニティに対する強い気持ちがあった、ということ。
単に、彼から護衛を任されていた、という義務感からではない。
(本気かね?)
アリスは応えずにいる。
それが答えだ。
であれば、彼も退くことはできない。
寛容になりきれる自信もなかった。
魔術は使わないにしても。
彼は、向かってくるアリスを、ひょいっと避ける。
同時に、アリスのたてがみを掴んだ。
地面を蹴り、アリスの体に素早くまたがる。
(アンタを乗せてやるなんて言った覚えはねーぞ)
(そうかい)
アリスが、ものすごい勢いで駆け出した。
畑の柵のほうに向かっている。
そのまま激突しそうな勢いだ。
もちろん、手前で止まるだろうことは想定している。
のだけれども。
アリスは止まらなかった。
止まるというよりは、別の動きをしたのだ。
後ろ脚を地面に滑らせる。
アリスの体が、弧を描くようにして大きく回転した。
元々、人であり、馬になっても自在に体を操れるアリスならではの「技」だろう。
その遠心力に、彼は、アリスから飛び降りざるを得なくなる。
着地した彼に、またもアリスが突進してきた。
「ここまでだ、アリス」
ぱんっ!
向かってきたアリスの顔を、真正面から片手で押さえる。
アリスが前脚で地面をかいていた。
が、彼は片手でアリスの力を制する。
(私は、きみが思うほど、ひ弱ではないのだよ)
素力もまた、常人を越えているのだ。
魔術なしであろうと、人並み以上に戦える。
もっとも、アリスが人の姿で、武器持ちであったなら、互角に持ち込まれていただろうけれど、それはともかく。
アリスは、彼と向き合い、動かない。
深い青が、彼の黒い瞳を、じっと見つめている。
(アンタが、シェリーを泣かすことしかできねーなら、オレがもらう)
言われて、彼は言葉を失った。
少し元気のないシェルニティの姿が思い出される。
彼が軽口を叩くと、明るく笑ってくれていたので、深く追求せずにいた。
彼女にも、話したくないことや1人で考えたいことがあると思っていたからだ。
(アリス……シェリーは……泣いていたのかい……?)
(ああ)
(なぜ、と聞いても、教えてはもらえないのだろうね)
(トーゼンだ。シェリーを傷つけといて、わかってもいねー奴になんか、教えたかねーんだよ)
サクッと、アリスの言葉が胸に突き刺さる。
シェルニティを傷つけたのは、自分なのだ。
そして、その理由も、自分はわかっていない。
(オレは、本気でムカついてんだぜ?)
くるっと、アリスが体を返す。
彼は、シェルニティを傷つけたことに、気を取られていた。
ひどく動揺していたのだ。
ドガッ!!
アリスに後ろ脚で、腹を蹴られる。
避ける暇もなかったし、気づきもしなかった。
後ろで、シェルニティの悲鳴が聞こえる。
彼は、弾き飛ばされ、畑に転がっていた。
さすがに、防御魔術なしに蹴られては、痛みから逃れることはできない。
あとで治癒するにしても、肋骨が折れていそうだ。
痛みを堪えつつ、半身を起こす。
その視界に、駆け去って行くアリスの姿と、駆け寄ってくるシェルニティの姿があった。
(私は、彼女になにをした……? いや、なにを、していない……?)
体より、心が痛む。
自分のなにかが、愛する女性を傷つけているということに。




