言葉にできずに 4
シェルニティは、畑仕事の手を止める。
そして、すぐに駆け出した。
「アリス!」
ここのところ、ずっと姿を見ていなかったアリスの姿に嬉しくなる。
ひょこひょこと歩いてきたアリスに近寄り、首元を撫でた。
アリスが、頬に鼻をすりつけてくる。
「あなたったら、ちっとも来てくれないんだもの。とっても寂しかったわ」
シェルニティも、アリスの頬に、頬ずりをした。
暗い青色をした美しい馬のアリスは、シェルニティのお気に入り。
同じ色の瞳を覗き込む。
「放蕩していて、私のことなんか忘れてしまっていたのでしょう?」
ブル…と、アリスが鼻を鳴らす。
違う、と言いたげな仕草に、笑った。
どうしてなのか、アリスには言葉が通じている気がするのだ。
そして、シェルニティにもアリスの言いたそうなことが、わかる。
「あなたは美男子だから、女の子に追いかけられるのはしかたがないわ」
言いながら、頭を、そっと撫でた。
暗い青をした瞳が、シェルニティを見つめている。
その目を見て、ふと思った。
「あなたに、子供はいないの? いるのなら、紹介してね。男の子でも女の子でも、きっと可愛らしいに違いないわ」
アリスが、体をふるっと震わせる。
それから、肩でもすくめるように、首を後ろに引いた。
その仕草に、シェルニティは、少し眉をひそめる。
「子供は……いらない?」
その言葉を理解したかのように、アリスが首を上下に振った。
シェルニティの気持ちが沈んでいく。
「そう……あなたも……子供は、ほしくないのね……」
無意識に「あなたも」と、口にしていた。
シェルニティは、アリスの首を撫で続ける。
ふれていると、とても暖かいのに、なぜか寂しかった。
「男性は後継ぎをほしがるものだと思っていたわ。子供が好きかどうかはともかく、子を成すことを否定する男性はいないって……思い込んでいたのよ、私……」
人には、様々、事情というものがある。
その中で、子供に対しての考えかたも違ってくるのだろう。
学んだことや本に書かれてあることと、現実には齟齬がある。
気づいていたのに、どうしても知識頼りになってしまうのだ。
街に出てから、5日。
家に帰ったあとは、なるべく考えないようにしてきたことが、頭をよぎる。
「私は、自分のことばかりに、一生懸命なのね……」
人は、誰しも、少なからず、そういうものだ。
が、シェルニティには、その「誰しも」がいなかった。
そのせいで、自分のことしか考えていないように感じられてならない。
「少しは、わかってきた気がしていたけれど……やっぱり、わかっていないのよ」
王都の屋敷で会う、執事のキサティーロや、リンクスにナル。
メイドのエミリーやサラとも、話すようになった。
彼らに恐ろしいことが起きてほしくない、と思う。
彼らの大事な人にも、もちろん。
「大事な人ができるって、そういうことなのかしらって……」
シェルニティは、アリスの首に抱きついて、顔を押しつける。
胸が、ひどく痛かった。
「なのに……1番、大事な人が、大事にしていた人たちを、私は遠ざけているの。考えたくなくて……考えると怖くなってしまうから……」
彼は、人を、とても深く愛する。
シェルニティ自身、それは実感していた。
今、彼に向けられている愛を疑ってもいない。
けれど。
もし、彼女と子供が生きていたら、自分は、ここにはいないのだ。
彼は、自死しようとしたシェルニティを助けたかもしれない。
とはいえ、そこから先の、今に続く道はなかった。
「それに……もし……私が犠牲になることで、過去を変えられるとしたら、彼は、どうするかしら……なんて……考えてしまうのだもの……酷いわね、私……」
シェルニティを犠牲にして、前妻を生き返らせることができるとしたら。
彼は、どうするだろう、どちらを選ぶだろう、と考えたりする。
それは、シェルニティにとって、彼が大事な人だからだ。
失いたくないと思い、失うのが怖いからだった。
彼女の心が成長している証でもある。
が、シェルニティに、そこまでの自覚はない。
「命を天秤にかけるようなこと、できるわけがないのに……まるで……彼の不幸を喜んでいるように思えるの……」
ひたすら、自分の愚かさが悲しく、恥ずかしかった。
胸がキリキリと痛み、とても苦しくなる。
アリスに顔を押しつけ、伏せていた目から涙がこぼれた。
「ねえ、アリス……私、痣があった時よりずっと……醜くなってしまったみたい……こんなふうでは、いつか彼を傷つけてしまう気がして……それが怖いわ……とても……」
彼に、前妻のことを、再び訊くことができずにいるのも、それが理由だ。
シェルニティは、自分の心を、薄情で醜いものだと感じている。
それを知られ、彼の愛を失うのが怖かった。
今まで考えもしなかったことだ。
どうしようもなく、不安に駆られる。
「お父さまに、彼と婚姻すれば幸せになれると言われたの……でも、私には幸せがどういうものか、わからない……私にわかっているのは……」
彼を愛している、ということだけ。
ずっと一緒にいたいとの気持ちは、日増しに強くなっている。
彼の求婚が嬉しかったのも、婚姻が待ち遠しかったのも、これからずっと一緒にいられると思ったからだ。
あの時は、なにもかもが、とてもシンプルに感じられた。
けれど、ほんのわずかな間に、すべてが複雑になっている。
シェルニティの理解が追いつかないほどに。
「お願いよ、アリス、私のお気に入り。あなたは、私を嫌いにならないでね」
シェルニティ自身、どうしてこうなったのか、わからずにいた。
毎日は楽しくて喜びに満ちていたはずなのに。
「もし、ここを離れなくちゃならない日が来たとしても、あなたが会いに来てくれると嬉しいわ」
アリスが、シェルニティの頬をペロリと舐める。
それだけで、ひどく慰められた。
大丈夫だと言ってもらえている気がしたからだ。
が、次の瞬間、アリスが駆け出す。
畑の奥にいた彼のほうに向かって一直線。
いつもは、アリスは畑の中にまでは入らない。
なのに、今は、野菜を踏みつけることさえおかまいなし。
「アリス! どうしたのっ? アリス!」
慌てて、シェルニティも後を追った。
もちろん「馬」の足には、到底、追いつけなかったけれど。




