目覚まし代わりの 2
彼は、一気に不愉快になる。
シェルニティとの時間を邪魔されるのは、面白くない。
(呼びもしないのに、勝手に来られては迷惑だ)
ここは、彼の領域だった。
辺境地の森の中、彼の造った山小屋で、2人は暮らしている。
2人とも貴族であり、王都に屋敷もあった。
が、好んで、ここに住んでいる。
「お客様が来たのでしょう?」
「きみは、魔術師より優秀だね」
ここ、ロズウェルド王国には、魔術師がいる。
その存在は、ロズウェルドにしかなく、そのため諸外国に対し、大きな優位性を保っていた。
中でも、彼は、王宮に属していない稀有な魔術師なのだ。
「でも、あなたと違って、誰がいらしたかまでは、わからないわ」
「それは、たいして重要ではないよ、きみ。私たち以外の者ってだけのことさ」
軽く肩をすくめてみせる。
しかたなく、立ち上がった。
どうせ、間もなく扉が叩かれるとわかっている。
無視し続けるわけにもいかないし、家に閉じこもりっ放しでもいられない。
結局、迎え撃つことになるのなら、先手を取っておくべきだろう。
「私は、座って待っていればいいのかしら?」
以前、客が来た時、シェルニティに、そう言ったことがある。
それを思い出しているらしい。
彼女は、少し首をかしげ、彼を見つめていた。
苺色をしためずらしい金髪が、艶やかに肩から胸元に向かって流れ落ちている。
肌は、畑仕事や釣りをしていても、日に焼けておらず、白いままだ。
薄茶色だった瞳が光を弾くと、まるで金色に見える。
もし頬に痣がなければ、彼女は、とっくに「人妻」だっただろう。
彼女はとても美しく、愛らしい。
とはいえ、彼は、シェルニティの外見に惹かれたのではなかった。
外見より内面のほうが、ずっと愛らしいと思いつつ、微笑んでみせる。
「とりあえずはね。私は、3人で話す前に、彼に、ちょいと言っておきたいことがある。嫌味や当てこすりの類だから、あえて、きみに聞かせる必要はないのだよ」
いつものごとく軽口を叩くと、シェルニティが笑った。
彼女の笑顔を見るだけで、心が凪ぐ。
少しの不愉快さはあれど、さっきよりはマシになった。
彼は、居間から入り口に向かう。
扉が叩かれる前に、開いた。
思った通りの人物が、今まさに馬車から降りる姿が目に映る。
彼の瞳に冷淡さが宿った。
グレーの貴族服に身を包み、いかにも俗物といった雰囲気を漂わせている。
彼にとっては「招かざる」そして「好ましからざる」人物だ。
とはいえ、彼の好む貴族など、ほとんどいないのだけれども。
「きみは、早起きが趣味なのかね、イノックエル」
彼に呼び掛けられ、馬車から降りた際にかぶったシルクハットを、すぐに取る。
わざわざシルクハットをかぶる意味がわからない。
ここは、王都の屋敷でもなければ、夜会の会場でもないのだ。
イノックエル・ブレインバーグ。
シェルニティの父親だった。
金色の髪に、水色の瞳をしていて、若々しい外見ではあるが、48歳になる。
男性は30から35、女性は30から40歳くらいで容姿の変化が乏しくなっていくのだが、貴族は、概ね、その外見に、こだわりが強い。
見た目を重視し、一定の基準に満たない者を嘲る傾向にあった。
イノックエルも、ご多分に漏れず、だ。
そのせいで、シェルニティは、ほとんど外に出ない生活を強いられていた。
彼女の存在をイノックエルが「外聞が悪い」としていたのを、彼は知っている。
「こ、公、公爵様、ほ、本日は……」
彼は、眉をひそめた。
イノックエルの怯えように「心当たり」があったからだ。
この辺りには、彼の魔力が散らしてあり、入って来る者がいれば、すぐ気づく。
だからと言って、魔力を持たない相手の場合、個までは特定できない。
ただ、森を訪れる者がほとんどいないことと、彼の「心当たり」から、イノックエルだろうと、推測していたに過ぎなかった。
「きみに報告を頼んだ覚えはない」
「で、です、ですが……」
ブレインバーグは、十ほどある公爵家の中では中間どころに位置している。
さりとて、公爵という爵位自体が、貴族全体で見れば高位の存在なのだ。
そして、イノックエルは王宮の重臣も務めており、それなりに力を持っていた。
彼が相手でもなければ、怯んだりはしなかっただろう。
彼は、己の力の在り様を知っている。
イノックエルも、相応に、彼の力を感じているに違いない。
(つまり、彼にとって芳しくない事実が見つかった、ということだ)
小さく溜め息をついた。
ここで、ぶるぶるされても、地面に冷や汗の水溜まりができるだけだ。
相変わらず、イノックエルは両手にシルクハットを握りしめており、ハンカチで汗をぬぐえずにいる。
「ここで、きみと長話をする気はないのでね。入ってくれ」
「よ、よろしいのですか?」
探るような目つきをするイノックエルを、冷ややかに見返した。
イノックエルの汗が、さらに、だらだらと流れ落ちる。
整えていたはずの髪も汗に濡れ、ぴったりと額にくっついていた。
「よろしいもなにも。それを訊くのであれば、はなから、来なければよかったのではないかね」
「ご、ご、ごもっともで……」
「中に入ったら、もう少し、まともに話したまえ」
言い捨てて、彼は体を返す。
イノックエルは、黙って後ろをついてきた。
(まったく……私は、まだなにもしちゃあいないというのに)
そもそも、イノックエルは、シェルニティの父親だ。
彼女を疎外し、産まれながらに、半ば幽閉して、まったく関わろうとしなかったとはいえ、血縁の否定はできない。
彼には、魔術とは関係なく、血脈が見える。
シェルニティとイノックエルは、確かに、血脈の糸で繋がっていた。
さすがに、愛する女性の実父を簡単に殺すことはできない。
いくら、極めて不愉快な相手であろうと。
シェルニティは、イノックエルと正妻ロゼッティの長女として産まれている。
その際、かけられた性質の悪い魔術によって、右頬に大きな痣があったのだ。
そのため、イノックエルは、彼女の存在を周囲の者から隠し続け、しまいには、レックスモア侯爵家に嫁がせた。
しかも、ブリッジで賭けをし、その勝利の対価としている。
負けて娘を奪われたのではなく、勝って娘を「受け取らせた」のだ。
(そうした偶然が重ならなければ、私はシェリーに出会えていない……と、思って我慢することにしよう)
はっきり言えば、ブレインバーグもレックスモア同様、消し飛ばしたいくらいの気持ちがある。
今のシェルニティは、彼が「呪い」を解いたため、右頬に痣はなかった。
が、その前後での、イノックエルの態度の違いが気に食わない。
シェルニティは、誰からも「感情」を与えられず、ただ生き、成長せざるを得なかったのだ。
それでも、生来、持っていた資質からか、彼女が歪むことはなかった。
屈託のない強さと明るさを持っている。
とはいえ、それは結果論なのだ。
彼女の両親やブレインバーグの屋敷の者が「貢献」したわけではない。
きっと「あれはしかたがなかった」と、彼らは、今でも思っている。
だから、痣がなくなった途端、平気で手のひらを返したのだ。
まったくもって、イノックエルは「貴族らしい」貴族だった。
貴族はそういうものだとわかっている彼にして、不愉快にならずにいられない。
そうした彼の心情を、イノックエルは察している。
察しがいいのが、イノックエルの取柄だからだ。
「まあ、お父さま」
居間に入ると、シェルニティが立ち上がった。
客が父親だとは思っていなかったのだろう。
それくらい、彼女とイノックエルの間には「親近感」がない。
彼は、シェルニティのほうに歩み寄りつつ、魔術でイスを出す。
肩越しに、ちらっと振り向き、小さくイノックエルを睨みつけた。
イノックエルが、ガタンっと、イスに否応なく腰を落とす。
というより、ほとんど腰を抜かしていた。
見てから、彼は、シェルニティに優しく微笑む。
「挨拶は抜きでかまわないようだよ、シェリー」




