言葉にできずに 3
シェルニティの不安を、彼は感じ取っていた。
カインとの会話は、そろそろ切り上げるべきだろう。
「私たちは、これからカフェに行く予定でね。お喋りはここまでにしておこう」
「市場の端にあるカフェがいい。人目につかない割に、ケーキがうまいんだ」
「では、そこに行くことにするよ。街に詳しいきみと話せて、得をした」
ふわっと、彼は、髪と目の色を焦げ茶色に変える。
カインは、それを見ても、少しも驚かなかった。
魔術に慣れているからに違いない。
シェルニティの手を握り、市場のほうに向かって歩き出す。
広い通りをまっすぐに行くと、広場があった。
そこには店を構えていない物売りが集まっており、市場として賑わっている。
「大丈夫かい、シェリー」
「悪い人には見えなかったけれど……なぜか不安になってしまったのよ。きっと、知らない人と話したことがなかったせいね」
彼は、絡めた指に力を入れ、シェルニティの手を握り締める。
彼女の言葉がなければ、間違いなくカインを「消して」いた。
苦痛を感じる暇もなく一瞬で、跡形もなく。
『少しだけ思い出してほしいの。人を殺せば、私が罪を負うのだってことをね』
思い出せば、自制が効くかもしれない。
シェルニティは、そう言った。
彼の罪を、彼女自身が引き受けると言ってくれたのだ。
その言葉を、彼は思い出している。
だから、殺さずにいられた。
(奴はシェリーに、わざと近づいた。最初から、彼女がいたと知っていたからだ)
彼は、リンクスと話しながらも、カインを目で追っていたのだ。
カインは、街の者たちに声をかけたり、かけかえしたりしながら歩いていた。
が、それは「時間潰し」をしていたに過ぎない
シェルニティが店から出て来たとたん、カインは、店のほうへと足早に近づいている。
「さっきの彼が教えてくれた店は、あそこのようだ」
「小さくて可愛らしいカフェね」
「確かに、人目にはつかなさそうだなあ。広場の真ん中にあるカフェが、先に目についてしまって、あんな端まで行く人は少ないだろうね」
心の中の「ぎざぎざ」を表に出さないよう注意しながら、シェルニティに微笑みかける。
せっかく初めて彼女と街に出かけてきたのだ。
よけいなことは考えず、楽しく過ごしたかった。
カフェのイスを引き、シェルニティが腰かけるのを待つ。
それから、隣の席に座った。
丸テーブルだったため、あえて向かいに座ることもないと思ったからだ。
「ケーキにするかい? それとも、軽くなにか食べようか」
「そうね。スコーンはどうかしら?」
「決まりだ」
スコーンは、パンよりは小ぶりだが、ふっくらとしていて軽食にちょうどいい。
クリームやジャムをぬって食べるため、デザートっぽくもある。
注文聞きの女性に、スコーンと濃厚なコクのあるクリームに苺ジャムを頼んだ。
もちろん、暖かい紅茶も一緒に。
「さっきのかた……カインと言ったかしら。あの人は、どういう人なの?」
彼は、その話はやめようと言いかけたが、口には出さずにおいた。
シェルニティが興味を持っているのなら、断ち切るべきではないと思ったのだ。
「彼は魔力持ちだと思うよ。魔力は感じられなかったがね。おそらく、あの指輪で隠しているのじゃないかな」
「魔力持ち、というのは、国王陛下と契約していない人のことだったわね」
「そうだよ。魔術師ではないが、魔力を持っている者のことだ」
王宮魔術師らは、半端者と呼んでいるし、それに倣って、貴族や平民ですらも、彼らをそう呼ぶことが多い。
が、ローエルハイド公爵家では、代々「半端者」は禁句とされている。
ただし、公の言葉でもないため、シェルニティは知らずにいるのだろう。
貴族教育では、とかく「建前」で語られることが多いのだ。
「なぜ、魔力を隠しているの?」
「私が、日頃は、髪や目の色を変えているのと似たようなものさ」
「見つかると騒がれるから? でも、それって悪いことかしら?」
「良いことばかりではないね。異端であることは、否定できない」
「それは……そうね。わからなくはないわ……」
シェルニティが、そう言って、うつむく。
彼女自身、自らが「異端」であったことを知っているのだ。
右頬に痣があった頃、彼女は周囲から「異端」扱いされていた。
「シェリー、きみは、もう誰からも疎外されることはないのだよ?」
「わかっているわ。それに、以前は、そういう意識はなかったもの」
心なし、シェルニティは元気がない。
理由を訊こうとした時、注文したものがテーブルに届けられた。
2人の前に皿が置かれる。
しかたなく、いったん、話は棚上げにした。
「食べようか」
「美味しそうね。このクリームは、クリームというよりバターに近い色をしているわ。すごく濃厚そう」
添えられていたクリームを乗せ、さらに、その上にイチゴジャムを乗せる。
それを口に運んでから、シェルニティが、にっこりした。
ようやくの笑顔に、彼は安堵する。
「とても美味しいわ。あなたのデザートにも負けないくらいよ」
「それなら、私も、しっかりと、この味を覚えておかなくてはいけないね」
「いいのよ、覚えなくても」
「なぜだい? 家でも食べられるほうがいいのじゃないかな」
彼の手に、シェルニティの手が、そっと重ねられた。
彼女は、小さく笑っている。
「だって、家で食べられるなら、ここで食べる必要がなくなるでしょう?」
「また、ここに来たいと言っているのかな?」
「そうよ。あなたと手を繋いでね」
「覚えるのはやめにしよう。私も、きみと手を繋いで、街歩きをしたい」
シェルニティとの時間は、それがどのような場所であっても、彼にとっては至福になり得るのだ。
彼は、シェルニティに、にっこりして言う。
「まだ、新たな命題の答えも見つかっていないしね」
「繰り返していれば、きっと見つかるわ」
シェルニティとは、出会ってすぐ、一緒に暮らすようになっている。
この5ヶ月余り、森と屋敷にしか行っていなかった。
夜会は堅苦しいし、貴族とのつきあいも楽しいものではない。
ダンスはともかく、シェルニティだって彼らとの会話を望んではいないだろう。
(もっと早く、街に来ていれば良かったかもしれないな)
シェルニティにとって新しい世界は、美しい景色や広い空だけではない。
彼は、彼女に、たくさんの新しい世界を見せたいと思っている。
それが、シェルニティの感情を成長させ、豊かにさせるものだからだ。
彼女の中には、まだ多くの感情が眠っている。
(私は、今のままでも、いいのだがね。シェリーは、感情を取り戻す必要がある)
元々、シェルニティが手にするはずだったものだ。
与えられずにいたのは、育った境遇が特殊だったからに過ぎない。
たとえ、彼が、知ってほしくない、と思うものが混じっていたとしても、封じるつもりはなかった。
「どうかな。このあと、冬用の民服を買いに行こうか」
「これから、もっと寒くなるの?」
「森には雪が降る」
「雪! 本で読んだことはあるけれど、見たことはなかったわ。白くて、ふかふかしているのでしょう?」
彼は、ぷっと笑う。
シェルニティが、実際の雪を見たら、きっと驚くに違いないと思ったのだ。
「きみの言う、“ふかふか”を否定はしないが、残念ながら、枕のような感触とは言えないね。どういうふうだったか、感想を聞くのを楽しみにしているよ」
「私も、楽しみだわ。初めての冬だもの」
ブレインバーグの屋敷には、おかかえ魔術師がいる。
そういう屋敷では、魔術により室内は常に適温に保たれているのだ。
雪など降るはずがない。
「その時には、ナルやリンクスも呼ぼう。彼ら、雪なげをしたがるだろうからね」