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言葉にできずに 2

 シェルニティは、完全に上の空になっている。

 男性2人の会話は、耳に入っていなかった。

 ラドホープ侯爵令嬢の数々の言葉が、頭に残っている。

 

 『アビゲイルは本当に気の毒でしたわ。公爵様との、お子ができたばかりだったのに、強盗に殺されてしまったのですもの』

 『アビゲイルのこともですけれど、お子様を失われたのも、さぞおつらかったのではないでしょうか』

 『公爵様が放蕩されておられるのも、お2人を忘れられず苦しんでおられるからだと、もっぱらの噂でしたのよ』

 

 まったく知らなかった。

 彼は、シェルニティを救うため、レックスモア侯爵家を消し飛ばした。

 その際、周囲に被害も出している。

 人を殺してもいた。

 

 そうした話は聞いている。

 つつみ隠さず話してくれたからだ。

 けれど、前妻については、ほんのわずか。

 

 妻がいた、ということ。

 婚姻したのは17歳だったこと。

 3つ年上で、23歳で亡くなったということ。

 

 妻を亡くし、愛を失い、愛だったのかわからなくなった、ということ。

 

 それだけだ。

 訊いた時には、シェルニティも愛がどういうものかわからずにいた。

 お互いに「愛」の持ち合わせがないのだと思い、それ以上は、訊いていない。

 

 彼ではない相手から、唐突に聞かされたことで、シェルニティは混乱している。

 もとより彼女の感情は、あらゆる面で「普通」にまで追いついていなかった。

 周囲を観察し、なにが起きているのか推測することには長けている。

 が、相手の感情を推し量るのは、シェルニティにとっては難しいことなのだ。

 それは、自分に向けられている「悪意」にすら気づけないほどに。

 

 『公爵様は、それはお幸せそうに、お子様の話をなさっておられたとか。それがあのようなことになって、相当に衝撃を受けられたでしょうね。ですから、今後、お子を成すおつもりがなくても、気になさらないでくださいませ。事情が事情ですもの。シェルニティ様のせいではありませんわ』

 

 ラドホープ公爵令嬢は、そう言い残し、シェルニティから離れて行った。

 なのに、残された言葉は、シェルニティから去っていかない。

 ただ、ただ、シェルニティを混乱させている。

 

(私は、彼に、子供がほしいって言ってしまったわ……彼は、どう思っていたの? でも、いらないと思っていたのなら、そう言ってくれたはず……)

 

 彼は、できないことはできない、と言う人だ。

 思った時、ハッとなる。

 

(彼は……子供がほしい、とは言っていない……一緒に子育てがしたいと言ったら、悪くないと、言ってはいたけれど……)

 

 自分が、先に「子供がほしい」と言ったため、明確に拒絶しきれなかったのかもしれない。

 彼は、大事な者のためには、どんなことでもする人だ。

 たとえ、自らの心を闇に落としても、どれほど傷つこうとも。

 

 前の妻を失い、彼は愛を失くした。

 が、今の彼に、愛されていることは、わかっている。

 ただ、その「愛」を大事にするあまり、彼は己を縛っているのではなかろうか。

 子を成す気はなかったのに、努力しようと。

 

(なにも知らず……私は身勝手ね……彼に訊くべきだったのよ。なのに、あたり前みたいに言ってしまって……)

 

 彼が、前妻について多くを語らなかったのは「楽しい話ではない」からだ。

 実際、彼は語る前に、そう言っていた。

 妻だけではなく、お腹にいた子供まで失っていたことを、シェルニティには話さなかった。

 

 シェルニティは、彼女自身が殺されかけた時の、彼の恐怖や怒りを知っている。

 妻子を同時に失った彼の嘆きは、どれほどのものだったか。

 彼女には、想像もつかない。

 彼に会うまで、シェルニティは、ずっと独りだったから。

 

(私は、どうしてこうも薄情なのかしら……彼しか大事な人がいなかったから……まだ……彼と子供に囲まれた暮らししか思い描けずにいるなんて……)

 

 自分のことが、恥ずかしくなる。

 右頬に痣があった時には感じたことのない、痛みを伴う恥ずかしさだった。

 

「シェリー?」

 

 彼が、手の甲でシェルニティの頬を、そっと撫でている。

 気づいて、シェルニティは、彼のほうに顔を向けた。

 瞳に気づかわしげな色が漂っているのが見て取れる。

 

「疲れているようだね」

「平気よ。ただ、ちょっと……思っていたより、種類が多くて迷ってしまったの」

 

 話をするとしても、この場ではできない。

 知らない男性に、彼の私的な事柄を明かすことになる。

 

「かなり刺激的なものもあっただろ?」

「え……ええ、そうね。見たことのないようなものもあったわ」

 

 その男性が、普通に話しかけてきて、戸惑った。

 相手が平民だからというわけではない。

 シェルニティも彼も民服を着ているし、貴族らしくない貴族でもある。

 貴族教育で教わった身分での「区別」を、シェルニティは重視していない。

 

 ただ、見知らぬ相手、しかも男性に話しかけられる経験がなかったので、戸惑ったのだ。

 街では、そういうこともあるのかもしれない、と思う。

 

「公爵様のために、努力してるってわけだ」

 

 男性に笑われ、頬が熱くなった。

 なにしろシェルニティが入っていたのは下着を売っている店だ。

 それが、なにを意味するかくらいは、わかる。

 

「しかし、公爵様も放蕩が過ぎるね。人の奥方を寝取るなんてな。まぁ、これだけ美人なら、わからなくもないが」

 

 なんだか、嫌な感じがした。

 シェルニティは、相手の感情を読み取っているわけではない。

 が、気さくな口調や視線の中に、冷たさがあるような気がする。

 

(なんだか……彼を怒らせようとしているみたいだわ……)

 

 不安になって、視線を彼に向けてみた。

 彼の表情に変化はない。

 穏やかな笑みを口元にたたえている。

 

「私は、ひと目で、彼女に恋をしてしまってね。奪わずにはいられなかったのさ。そもそも、あの男は彼女にふさわしくもなかった」

 

 彼が、軽く肩をすくめた。

 本当に、怒ってはいなさそうだ。

 かなり不躾なことを言われているのに、平然としている。

 しかも、男性の言葉を否定するどころか、肯定した。

 

「ところで、きみは、細工師のようだね、カイン」

 

 シェルニティが上の空だった間に、自己紹介をすませていたらしい。

 男性の名は、カインというようだ。

 

「それが本業ってわけじゃないんだ。頼まれれば、なんでもする、雑用屋みたいなものだからな。平民は、高級な装飾品は手に入れられないだろ? だから、時々、装飾品を造ったりもするってだけだ」

 

 カインが、右手をひらひらさせる。

 中指に、金色をした指輪がはまっていた。

 

「真鍮や硝子は、金や宝石より安くて、それなりに見栄えがする」

「そうかな? その装飾品は、見た目より実用向きに造られていると思えるがね」

「長持ちするって意味じゃ、実用向きかもな」

 

 カインは、面白そうに笑っている。

 なのに、やはり笑っているように見えない。

 深緑色の瞳の中に、陽気さがないのだ。

 それこそ、硝子玉のように冷たい。

 

「私にも、ひとつ造ってもらえるかい?」

「それは身に余る光栄と言いたいが、公爵様が身につけるような代物じゃない」

「そいつは残念だ。使い古しでもいいから譲り受けたかったのになあ」

「悪いね。民にとって、公爵様は英雄なんだ。それに見合ったものを、身につけたほうがいい。でなきゃ、譲った俺が割を食うはめになるんだよ」

 

 2人の会話は落ち着いていて、どこにも不審な点はなかった。

 にもかかわらず、シェルニティは、今までになく不安になっている。


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