2人で街を 2
シェルニティは、湯に浸かり、さっぱりした気分でいる。
ほかほかとした体にある熱が、秋の空気に気持ちがいい。
(本当に、彼って、なんでも造れてしまうのね)
家も彼の手造りだし、風呂も、あっという間に造った。
きっと、女性である自分のためだ、と思う。
木を伐る時も、普段の彼は、魔術を使わない。
が、風呂を造る時には、伐採から組み立てまで、ほとんど一瞬だったのだ。
おまけに、彼の用意した魔術道具により、火を炊かずして湯を沸かせる。
魔術を使ったのは「急ぎたかったから」だという。
そして「王都の屋敷に行くのが面倒」だからだとも言っていた。
(点門なら、すぐに行けると思うのだけれど……夜の移動は面倒なのかしら)
5日に1回程度、2人は、王都にあるローエルハイドの屋敷を訪れている。
その際、点門と呼ばれる魔術を使い、移動をしていた。
特定の場所を繋ぐ魔術で、2本の柱を門に見立て、通り抜ければ目的地に到着。
本で読んだ限りでは、魔力消費が大きく、難易度も高いはずだ。
それを、彼は、とても気軽に使う。
ここは辺境地なので、馬車に揺られて移動するより、楽だし、早い。
シェルニティも、点門での移動に、すっかり慣れていた。
だから、彼が「面倒」という理由が、よくわからないのだ。
彼は、それほど面倒だという様子を見せたことがなかったので。
(でも、そうね。お湯に浸かるためだけに、お屋敷に行くなんて、向こうに迷惑をかけてしまうわ)
屋敷には勤め人たちがいる。
彼とシェルニティが行くとなれば、それが短時間でも「仕事」は増えるはずだ。
お茶を用意したり、着替えを用意したり。
実家にいた頃、シェルニティは自分では、ほとんど着替えなどしていなかった。
用もなく彼女と会話をする者はいなかったが、身の回りの世話は、メイドたちがしていたのだ。
(今は自分で着替えられるのに、彼女たちの手を煩わせるのは申し訳ないもの)
ずっと屋敷で暮らすのなら、世話をしてもらう必要がある。
それが、彼女たちの「仕事」だからだ。
とはいえ、屋敷には、たまにしか訪れていない。
もとより、女主人としての役割も担ってはいなかった。
にもかかわらず、湯に浸かる時にだけ手を貸してもらうのは、気が引ける。
しかも、毎日となると、よけいに心苦しくなりそうだ。
思えば、この家に風呂があるのは、ありがたい。
彼の造ってくれた石鹸も、いい香りがして、とても気に入っている。
(それに……)
考えかけただけで、頬が熱くなった。
湯上りの彼に近づくと、自分と同じ香りがする。
気づくたびに、なんとも言えない気持ちになるのだ。
彼との距離の近さを感じる。
ほんわりした気分で、居間のほうに歩いて行った。
そこから階段を上がったところに、シェルニティの部屋がある。
彼の部屋は、ぐるりと回った反対側にあった。
シェルニティは、そこに入ったことはない。
彼に誘われていないからだ。
「シェリー、少しいいかい?」
「え、ええ、もちろん」
居間にいた彼に声をかけられ、慌てながら答える。
シェルニティは「おかしなこと」を考えていると、悟られたくなかったのだ。
同じ匂いだとか、部屋のこととか。
ぽすんと、いつもの定位置に座る。
彼がシェルニティの手を握り、頬に軽く口づけてきた。
心臓が、どきどきと波打っている。
「いい香りだね」
「そう? あなたと……同じよ?」
なんだか、考えていたことを見透かされている気がして恥ずかしくなった。
頭の中を覗く魔術がないと知っていても、だ。
彼は、とても勘が鋭いので。
「そうかな? とても同じ石鹸を使っていると思えないくらい、きみからは、いい香りがする」
顔を近づけた彼の鼻が、シェルニティの耳の縁に、つんっと当たる。
感触に、心臓の鼓動が、いよいよ速まった。
(わ、私……普通の寝間着……こういう場合は、どうするのだったか……)
どきどきし過ぎて、よく思い出せない。
貴族教育で「ちゃんと」教わったはずなのに。
(た、確か……それなりの装いを……ああ、困ったわ……)
シェルニティは「それなり」の装いをすることができない。
実家にはあったかもしれないが、ここには持ってきていなかった。
婚姻解消後、この家には、身ひとつで来ている。
その頃は、彼とベッドをともにすることがあるかもしれないなんて微塵も考えていなかった。
なにしろ彼は、シェルニティには興味がない、と、2度も言っていたのだ。
彼女自身、自分が男性に関心を持たれるとは思っておらず、彼の言葉を、あたり前に受け止めていた。
「あの……ひとつ……訊いておきたいのだけれど、かまわない?」
「ひとつと言わず、いくらでも」
考えをまとめようとしているのだが、うまくいかない。
彼が、シェルニティの耳に、ゆるく唇を押し当てているからだ。
今夜は、うーん、と、シェルニティのほうが呻きたくなる。
「きみから訊かれることには、常に誠実に答えると誓うよ」
「それは……知っているわ……」
耳元で話され、そのたびに息がかかり、言おうとしたことを忘れそうになった。
このままベッドに運ばれても抵抗はしないだろうなんて、頭の端で考えている。
彼にふれられるのを、少しも嫌だと感じていない。
クリフォードにさわられた時には嫌悪感しかなかったのを思い出した。
(彼だから、よね……ほかの人とは違って……彼を愛しているから……)
思った時、唐突に、言葉が口をついて出る。
「私、こういう寝間着しか持っていないの」
「え?」
彼が、体を離し、ぽかんとした顔で、シェルニティを見ていた。
ついで、顔を横にして、ぷっと笑う。
「きみは、本当に……」
「なにも面白くないでしょう?」
「ちょっぴり不愉快な気分かい?」
「そうよ。だって……真面目な話をしているのに、笑うだなんて失礼だわ」
「あんまり、きみが可愛らしくてね」
言いながらも、彼は、くすくす笑っていた。
詫びているようには見えなくて、シェルニティは、唇をとがらせる。
「本当は、式の話をしようと思っていたのだが、吹っ飛んでしまったよ」
「私が、おかしなことを言ったからね」
「いや、おかしなことではないさ」
彼の手が、シェルニティの顎を、そっと掴んだ。
軽く持ち上げられ、唇が重ねられる。
唇をなぞっていく、やわらかな感触に、体が小さく震えた。
怖いとは思っていないはずなのに、と不思議な心持ちになる。
「明日、街に行こうか」
「街?」
彼は、名残惜しいとでも言いたげな視線を、シェルニティの唇に向けている。
男性であるにもかかわらず、その視線は、とても艶っぽく感じられた。
「きみと一緒にいるのが楽しくて忘れていたけれど、私たちは、まだ街歩きもしていない。買い物がてら、どうかなと思ってね」
「街……私、まだ行ったことがないわ」
「良かった。これで、きみの初めてを、また新たにひとつ手に入れられる」
彼に笑われたことも忘れ、シェルニティの胸が弾む。
彼女にとって、街は地図の上にしかないものだったからだ。
様々な店があるのは知っていても、実際に見たことはない。
シェルニティは彼の胸に寄り添い、にっこりする。
(これが新語で言う“デート”というものね、きっと)




