2人で街を 1
彼女が、この家で暮らすようになってから、少しだけ内装を変えた。
彼1人の時には、あえて必要はなかったものだ。
「ちっと覗いて来てもいいか?」
「少しでも覗くようなことがあれば、きみの頭をカチ割る」
「ちぇっ! あんだけイチャイチャしといて、オレには分け前なしかよ」
「失礼にもほどがあるだろう、アリス」
アリスこと、アリスタス・ウィリュアートン。
貴族の中でも、大派閥であるウィリュアートン公爵家の双子の兄だ。
弟は当主であり、この国の宰相を任じられている。
頭の回転は、弟のリカことリカラスよりも速い。
が、アリスには、決定的に欠けているものがある。
「礼儀を知らないことを咎めはしないが、彼女を物扱いするのであれば別だ」
「わぁかった! 本気で言ったわけじゃねーよ」
それは、わかっている。
でなければ「軽く」弾き飛ばしていただろう。
アリスが、ニッと口の端を引き上げた。
好青年の雰囲気が消え「意地悪さ」だけが浮かんでいる。
ブルーグレイの髪と瞳。
キツネのように吊り上がった目に、ひゅるんとした細い眉。
彼との身長差は、ほんのわずか。
彼よりも、少しだけ低い。
「なにを考えているのか、当ててもいいかい?」
「よけいなことはしないほうがいいんじゃねーか? イライラするだけ損だろ?」
2人は、居間にいた。
彼はソファに座っており、その正面にアリスが立っている。
すらっとした細身の体といい、美男子であるのは、彼も認めていた。
たとえ「馬」になろうとも。
アリスは、魔術とは関係なく、変転という能力を授かっている。
弟のリカには、宿らなかった力だ。
変転を使うと、アリスの知っている、どのような動物にも姿を変えられる。
その上、変転中、アリスを遮れるものは、なにもない。
頑強な壁も柵も檻も、役には立たないのだ。
シェルニティは、未だアリスを「馬」だと思っている。
そして、美男子だと言う。
あげく、気に入っている。
「私がいない時は、湯に浸からないよう、シェリーに言っておいたほうがいいかもしれないな」
彼女のために、彼は風呂を造った。
彼1人であれば、転移で簡単に王都の屋敷に戻れる。
そのため、わざわざ、この家に風呂は必要なかったのだ。
が、彼女は魔力顕現していない。
転移に便乗させると、魔力影響で気を失うか、下手をすれば命を落とす。
だから、使っていなかった部屋を造り変え、風呂にした。
というのは、建前なのだけれど、それはともかく。
(点門を使えば王都との行き来は可能だが……)
平たく言えば、彼はシェルニティと「2人きり」でいたかったのだ。
5日に1度くらいの頻度で、屋敷には帰っている。
さりとて、それもシェルニティと一緒に、だ。
連日、屋敷に帰り、大勢に囲まれるのは、気が進まなかった。
「そんなに心配なら、一緒に入ればー? オレなら、そうするね」
「私は、きみと違って、紳士として振る舞うことにしている」
「面倒くせえな。オレは、紳士なんてものとは無縁でいたいぜ」
「心配しなくても、一生、無縁だろうよ」
言い捨ててから、彼は表情を変える。
アリスを呼んだのは、理由があってのことだ。
ここ数日、アリスは姿を見せていなかったので、あえて呼んでいる。
「言われる前に言っとく。絶対に嫌だね」
アリスは、とても頭の回転が速い。
周囲にある些細な情報だけで「解」を出せてしまう。
点と点を線で繋いでいったら、星の形が描かれた、とでもいうように。
どの点と点を繋ぐか、その選択肢は無数にあるはずだが、アリスにとっては簡単なことなのだ。
「きみが、昔からテディと相性が悪いからかい?」
「そーいうコト。オレは、あいつが嫌いだし、あいつもオレが嫌いなんだよ」
アリスは27歳で、セオドロスより3つ年上。
普通なら、懇意になっていてもおかしくないのだが、2人の間には、物心つく前から険悪さしかなかった。
「あいつは、リカの手を叩いたんだぞ」
「それは、リカが落ちていたものを食べようとしたからじゃないか」
「なにも叩くことはねーだろうが」
はあ…と、彼は溜め息をつく。
アリスは、過保護に過ぎるのだ。
そして、弟に「危害を及ぼした」者を、けして許さない。
さりとて、アリスにだけ険悪さの原因があるのではなかった。
セオドロスのほうも、アリスの不作法さを毛嫌いしている。
キサティーロの息子なだけあって、セオドロスには完璧主義なところがあるのだ。
「その件については、あいつにやらせる」
「なにを言っているのかね、きみは。リンクスは、まだ13だよ」
「あと半年も経たずに14になる。あいつは、もう大人だ」
リンクスとは、リカの息子、リンカシャス・ウィリュアートン。
14歳のリカが女性に騙された結果、できた子だった。
認知しているのは、当主であるリカだが、双子のうちの、どちらの子かはわからないと、周囲からは噂されている。
とはいえ、その噂自体が、弟を守るためにアリスが流した噂なのだけれど。
「アリス。きみの感情に、あの子を巻き込むのはやめたまえ」
「王宮のことは、あいつのほうが適任ってだけサ。ナルもいるしな」
セオドロスは魔術師だ。
王宮には、魔術師が大勢いて、情報収集するにも苦労する。
紛れ込むのは容易なのだが、王宮内で魔術を使えば、たちまち見つかるからだ。
たとえ入れても、魔術なしで情報を集めなければならない。
その点、魔術師ではないアリスのほうが、王宮内の情報は得られ易いと言える。
ナルというのは、現国王の甥オリヴァージュ・ガルベリーのことだ。
王族であるため、王宮への出入りは自由にできるし、その際にリンクスを伴うことも容易ではあるけれども。
「それは理由にならないね。リカは宰相だ。常に王宮にいる。きみが訪ねて行っても、なんら不自然ではない」
「オレは、日中、王宮を訪ねたりはしないんだぜ? リカがオレに頼ってるなんて思われちゃ困る。宰相としての腕を侮られるのは、リカにとって命取りなんだ」
「きみは、どこまでも過保護をする気か」
アリスは、返事をしない。
返事がないのが、返事だった。
「それに……あいつは、変転が使える」
「リンクスがかい?」
「オレも最近、知ったんだ。わかるだろ? あいつは、すっかり大人なんだよ」
変転は魔術ではない。
元は、ローエルハイドの能力でもあったはずなのだが、いつ頃からか、ウィリュアートンの血筋にしか現れなくなっている。
そのため、彼でも認識はできない。
使っている姿を目にするまでは。
「危険が、まったくないとは言えない」
「だろーね」
「それでも、リンクスにやらせると言うのだね?」
「そーだよ」
一応は、説得してみようとしたのだが、アリスがこれでは話にならない。
おそらく、キサティーロは、結果を予測しているはずだ。
セオドロスに、リンクスに危険がおよばないよう、指示している。
「きみは、息子よりも大人になりきれていないな」
「知ってるサ」
カタンという音に、アリスが、パッと烏に姿を変える。
すぐにシェルニティが姿を現すだろう。
アリスは、その前に、壁をすり抜け、姿を消していた。