頭痛に苦笑 3
シェルニティを部屋には連れて行った。
が、軽い、おやすみの口づけだけをして、その場を離れている。
彼女から離れるのは、容易なことではなかった。
自分の気持ちに流され、理性を欠いた行動を取りそうになって困る。
(なにも知らない、というわけではないのが、問題だな)
貴族教育の中で、男女の関係についても学んでいるのだろう。
たいていの貴族令嬢は、政略的な婚姻をすることが多い。
経験はなくとも、なにも知らずに嫁ぐ女性はいないと言える。
(シェリーは、きっと婚姻するのだから当然だと考えている。だが、義務や責任でベッドをともにすることはない)
シェルニティの理解が追いつくまで、彼は待つと決めていた。
知識にある「妻としての役割」とは違うと、わかってほしかったのだ。
(だとしても……彼女は子供をほしがっている。どうしたものかな……)
彼自身の自制の問題もあるが、それ以上に、子供のことがある。
シェルニティは18歳。
25歳まで子を成せるとはいえ、年々、死の危険が伴うことになるのだ。
早いほうがいいのは確かだった。
彼女を失うなど考えられない。
少しの危険も遠ざけておきたい、と考えてしまう。
心に対する配慮と、身体に対する配慮が相反している。
シェルニティの心の成長を待つ気持ちはあれど、体に負担をかけたくもない。
本来的には、精神的なものを優先させるべきだとわかっているのだけれど。
彼が悩むには、悩むなりの理由があった。
父が19歳、母が23歳の時に知り合い、2人は婚姻している。
彼の母親は、24歳で彼を産んだ。
それが起因かはわからないが、母は40歳という若さで他界した。
翌日、彼の父は、母を追い、自死をしている。
当時、彼は、自分の意思で物事を決められる16歳という歳になっていた。
そのため、彼の存在は、父を引き留めるものには成り得なかったのだ。
あの頃は、父の自死の理由に納得できていなかったように思う。
が、シェルニティと出会い、その意味を知った。
口先だけの安っぽい台詞ではなく、本当に「生きていけない」と感じる。
もとより、ロズウェルドの女性は男性より短命だ。
母のように、さらに命の期限が早く来てしまう場合だってある。
できる限り、シェルニティの体に負担をかけたくないと思ってしまうのも、それがあるからだった。
ほかの国の女性が違うとは言わない。
子を成す大変さは、どの国でも同じだろう。
だとしても、ロズウェルドでは器を作るがゆえに、女性は、さらに過酷に、自らの命を削って、子を成しているように感じられるのだ。
(私が、神経質になり過ぎるのは良くないな。シェリーを不安にさせるだけだ)
前妻とのことがあってから、自分の子を持つなど考えなくなっていた。
今も、本音を言えば、シェルニティに、わずかにでも危険があるのなら、無理をしてまで子を成す必要はないとさえ思う。
彼にとって、なにより大事なのは、シェルニティなのだ。
さりとて、大事だからこそ、シェルニティの想いも大切にしたかった。
彼女は、子供をほしがっている。
(こういう時は、本当に、あいつが憎たらしく思える)
彼の頭に、幼馴染みの顔が浮かんだ。
現国王フィランディ・ガルベリーは、常に、どちらかに振りきれている。
悩んでいる姿など、ほとんど見たことがない。
長いつきあいの中で、1回か2回程度。
なにしろ思いきりのいい男なのだ。
諦めるか、諦めないか。
やるか、やらないか。
すべてが万事、そんな調子。
諦めないと決めたら、とことん諦めない。
なのに、諦めると決めたら潔い。
未だに、彼は、幼馴染みのことが理解しきれていなかった。
どうして、そんなふうになれるのかが、わからずにいる。
(いいさ。別に、私がランディになる必要はない。なりたくもないしな)
幼馴染みを頭から追い出した時だ。
別のものが入ってくる。
(我が君、今、お時間、少々よろしいでしょうか)
王都の屋敷を任せている、執事のキサティーロだった。
即言葉という魔術を使い、彼に呼びかけている。
即言葉は、特定の相手と話すためのもので、ほかの者には聞こえない。
(かまわないよ。きみの頭も、ランディに悩まされているようだね)
(まさか、そちらにも?)
(いや、来てはいない。それとは別件だ)
(あの者は、誰の頭も悩ます存在にございます)
ほとほとうんざりした雰囲気が漂ってきて、彼は、小さく笑う。
キサティーロでさえ、フィランディを相手にすると、この有り様なのだ。
(厄介事を引き起こすくせに、言うことは正しいのだから、困りものだよ)
(その件で、テディを貸し出しました)
(まぁ、そう気に病むことはないさ、キット)
セオドロスをフィランディに「貸す」のは、不本意だったのだろう。
キサティーロの言葉には、わずかばかりの棘があった。
押し切られてしまったのを、恥じてもいるらしい。
キサティーロは、常に完璧を目指しているので。
(ところで、我が君、ブレインバーグ公爵にハンカチは貸されましたか?)
(きみに冗談は似合わないね)
イノックエルが来たと、キサティーロが知っていることにも驚かなかった。
彼が「なんでもきちんと心得ている」のは、キサティーロの教育の賜物なのだ。
彼の知っていることを、キサティーロが知らないはずがない。
(きみも、イノックエルの報告についちゃ不満が残るところだと思うよ)
(ブレインバーグ公爵の報告など聞くに値しません)
(きみの報告のほうが、より詳細だったのは確かだな)
キサティーロからの声が、すぐに戻って来なかった。
イノックエルの報告より詳細であれ、キサティーロは納得していないのだ。
彼も、わずかに引っ掛かりを覚えてはいる。
(そちらを調べている最中に、テディを貸すことになってしまって残念だ)
(差し障りがあるようなら、私が動こうと思っております)
(きみが? へえ、本当かい? 穏便ではないね)
キサティーロは、滅多なことでは、自ら動くことはない。
息子らは、いずれも8歳で魔力顕現して以降、こき使われていた。
ヴィクトロスは、フィランディの弟、エセルハーディに泣きつかれ、彼が「貸し出して」しまったのだけれど、それはともかく。
(私は、程度というものを存じております、我が君)
(そうかい)
キサティーロ自身が定めている「基準」は、主を中心にしている。
そのためキサティーロの「程度」は、一般的なものとは、かけ離れているのだ。
直接、主を害すことがなくとも、ささやかな悪意をいだいただけで「消す」理由に成り得る。
少なくとも、キサティーロにとっては。
ローエルハイドの執事は「人ならざる者」の側近でもある。
主の心にのみ従う者でもあった。
つまり、主以外の者に対しては容赦がない。
そこは、主の性質に似ている。
(キットのすることに文句をつけたことはないだろう?)
(…………今のところは)
ほんの少し含みを持った言いかたが気になったが、あえて問い返さなかった。
彼は、キサティーロを信頼している。
ふと、またフィランディを思い出した。
彼ら2人が、11歳の時だ。
『たとえ好いた女がいても、お前が命令せねば、キットは婚姻せぬのだぞ』
声が蘇り、彼の口元に、笑みが浮かぶ。
瞬間、キサティーロから、ぴしゃりと言われた。
(私は、あの者に感謝などしておりませんよ、我が君)
人の頭を覗き見る魔術はないはずなのに、と、彼は苦笑いをもらす。




