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頭痛に苦笑 2

 シェルニティは、彼の淹れてくれた紅茶を手に、居間のソファに座っている。

 昼食後に父を見送り、そのあとは、彼と畑仕事に精を出した。

 夕食をすませ、こうして寛ぐのが日常になっている。

 

(あら? 彼、なにか魔術を使っているみたい)

 

 シェルニティの魔術関連の知識は、たいして多くはない。

 貴族教育の一環で習ったことと、本に書いてあることだけだ。

 彼女自身は魔力顕現(けんげん)していないため、多くを学ぶ必要がなかった。

 それでも、基本的な部分は押さえている。

 たとえば、魔術の発動には「動作」が必要だということやなんかだ。

 

 ただ、彼の場合、ほとんど動作は見受けられない。

 料理中もそうだった。

 魔術を使っていると聞かされていても、気づけずにいる。

 彼は、特異な魔術師なので、動作は不要なのかもしれない、と思っていた。

 

 が、近くで「観察」していると、気づくこともある。

 どういう種類かはともかく、魔術を使っているのではないかと思える微妙な仕草の変化があった。

 

(これは伝えておくべきね。動作を読まれるのは、危険なことらしいもの)

 

 魔術は、発動に動作を必要とする。

 その動作がなにかを知っている相手には、対処されてしまうのだ。

 魔術師が動きの見えにくいローブを身につけているのも、そのためらしかった。

 けれど、彼は、ローブなんて着ない。

 ほとんど民服で過ごしている。

 

 今日は、青みがかった紫の上着に黒い幅のあるズボン姿。

 上着は、胸元が編み上げになっていた。

 そうした姿に見慣れているせいか、彼の正装や礼装姿に、シェルニティは、どきどきしてしまうのだ。

 

 堅苦しさがまるで感じられず、あたり前に着こなしていて、凛々しさが際立つ。

 民服の時の、穏やかでのんびりとした雰囲気とは違い、ピリッとしていた。

 どちらの彼も好ましいのだけれども。

 

「今、あなた、魔術を使っていたのでしょう?」

 

 彼が、少し驚いたような表情を浮かべる。

 やはり魔術師にとっては、重大事なのだろう。

 彼の動作は、動作というより仕草に近いため、わからないことも多くある。

 が、ひとつでも気づかれるのは、不本意に違いない。

 

「きみに隠し事はできないね」

 

 彼は、嫌そうな顔はせず、にっこりした。

 シェルニティは、逆に真面目な顔で言う。

 自分が気づいたということは、ほかの人にも気づかれる可能性があるのだ。

 危険が伴うのであれば、気をつけてほしかった。

 

「魔術を使っている時、ほんの少しだけれど、あなた、(まばた)きの間隔が長くなるの」

「へえ。それは、私も気づかなかったな」

「本当に、ちょっとだけだから、気づく人は少ないかもしれないわ。でも……」

 

 紅茶をテーブルに置き、シェルニティは、両手で彼の右手を握る。

 彼の瞳を、じっと見つめた。

 

「瞬きなんて、意識してするものではないから、気をつけるのは難しいことよね。でも、気をつけてほしいの」

 

 ゆるく彼の目が細められる。

 彼の左手が、シェルニティの手の上に重ねられた。

 

「きみが、そう言うのなら、精一杯、努力をするよ」

「あなたは大きな魔術が使えるし、とても強いけれど、なんでもできるというわけではないのだもの……あなたを失ったらと思うと……とても怖いわ」

 

 彼に会うまで、シェルニティは「不安」という感覚すら知らずにいた。

 叱られることはあっても、命の危険に(さら)されたことなどなかったからだ。

 けれど、少し前、クリフォード・レックスモアに、彼女は殺されかけている。

 死が足元にまで迫ってきたのだ。

 

 それが、彼には起こらない、とは思えなかった。

 まともに自死もできず、死からは、ほど遠かったはずの自分にさえも起こったのだから。

 

「私も、きみを失ったらと思うと、とても怖い。きっと恐ろし過ぎて耐えられないのだろうね。だから、怒りに置き換えてしまうのだと思う。そうしなければ、自分を保っていられなくなるから」

 

 自分が死ぬのだって、当然に、怖い。

 苦しかったり、痛かったりするのも嫌だ。

 けれど、彼を失うことは、比較にならないくらいに怖いと感じる。

 

「同じなのに……違うのね」

「そうだね。私も、そう感じるよ」

 

 自分が死ぬと、彼には会えなくなるし、ふれることもできない。

 彼が死ねば、彼には会えなくなるし、ふれることもできない。

 

 結果は同じだ。

 なのに、違う。

 

 遺される、という意味において。

 

 自分には感情も感覚もあるのに、相手がいない。

 きっと、その際に「感じるもの」が怖いのだ。

 実感したいなどとは、到底、思えなかった。

 

「私は、いなくなったりしないよ、シェリー。私がいなくなれば、これ幸いにと、きみの隣におさまろうとする者が現れるに違いないのでね。私以外の者を、きみの隣に(はべ)らせるなんて許せるわけがない」

 

 彼の軽口に、心が軽くなる。

 彼は、できないことは言わないし、できない約束もしないのだ。

 降りかかる危険を、ちゃんと()けてくれると信じられた。

 

「そんな人いるかしら? 私には、思いつかないわ」

「いるさ。たとえば、ほら、そう……アリスとか」

 

 ぷっと、シェルニティは吹き出す。

 アリスというのは、この近くに住んでいるらしき「馬」のことだ。

 彼に飼われているのではないが、呼ぶと現れる。

 呼ばれなくても、ひょっこり顔を出すこともあった。

 

 アリスは、シェルニティのお気に入りなのだ。

 たびたび、彼は、アリスが「馬」に見えなくなるらしかった。

 そして、彼女がアリスを可愛がると嫉妬をする。

 いくら「たてがみにしか口づけない」と誓っても。

 

「恋敵を蹴散らすためにも、私は生きていなくちゃあね」

「あなたが、そう思ってくれるのなら、それでかまわないわ」

 

 すいっと、彼が顔を寄せ、シェルニティの頬に口づけた。

 それから、なぜか小さく唸る。

 

「うーん、これでは、身がもたない」

「どういうこと?」

「きみを抱き上げて、ベッドに連れて行きたくなる」

「そうなの? 私、まだ、それほど眠くはないけれど?」

 

 彼が小さく笑いながら、シェルニティの耳元で囁いた。

 

「ベッドに行くのは、眠い時ばかりではないのじゃないかな?」

 

 一瞬、考える。

 すぐに気づいた。

 シェルニティは、貴族教育を受けているのだ。

 

(そ、そうよね。そうよ……だって、私たちは、婚約しているのだもの……)

 

 婚姻前にベッドをともにすることは、よくあることで、めずらしくない。

 意識すると、急に頬が熱くなってくる。

 今まで、シェルニティに性的なものを求める男性はいなかった。

 そのため、知識はあっても、慣れていないのだ。

 どう返答をすればいいのか、わからない。

 

「このまま、きみを連れて行ってしまおうか」

「えっ?」

 

 驚いて、シェルニティは、ぴょんっと飛びあがってしまった。

 彼が、くすくすと笑っている。

 

「きみは、本当に可愛いね、私の愛しいシェリー」


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