恋人はA4サイズ
高校時代に書いていた小説のデータが見つかったので投稿します。
是非お楽しみください。
チク、タク、チク、タク。僕と先輩しかいない空間で、時計の針だけがやけに煩く響いている。
人がひとり寝転べば足場が無くなるような小さな部屋。ここは漫画研究会の部室だ。正式な部活ではないにしても、この部屋はいくらなんでも狭すぎるんじゃないだろうか。
そんな部屋の壁には、たくさんのアニメやマンガのポスターが貼ってある。小さな棚には綺麗に並べられたフィギュアとコミックがあり、僕たちの頭上には、洗濯物を干しているかのように、沢山のケント紙が吊るされている。書きかけの原稿のインクを乾かすためだ。
ゴチャゴチャしたむさ苦しい空間の中で、僕は先輩に原稿を読んでもらっていた。もちろん、原稿を描いたのは僕。先輩からの許可が出れば、増刷して図書館に並べてもらえるのだ。
「あのー、どうでしょうか……先輩?」
先輩に原稿を見せて早二十分。痺れを切らした僕は、恐る恐る尋ねてみた。
「んー…そうだな……」
ようやく先輩が原稿から顔をあげた。そしてニカッと笑って言った。
「ボツ!」
「えー!なんでですか?!僕、今回超頑張ったのに!」
僕は、思わず立ち上がって机を叩いてしまった。しかし先輩はそれに動じないようだ。ボサボサの頭を掻きながら、平然とした調子で言う。
「確かにお前は頑張った。それは原稿からひしひしと感じられる。だがな、猫田。それじゃダメなんだよ」
猫田と言うのは僕のことだ。本名、角田ヒロアキ。入部当初、「描く」を「猫く」と間違えて書いたせいでこのアダ名になった。まぁ、僕自身がツリ目でくせっ毛だというのもある。
先輩こと高田マコトは唯一の先輩であり部活仲間だ。必然的に部長をやっている。くたびれた制服に野暮ったいメガネ。いわゆる陰キャラで、典型的なオタクだ。そして、この部室の九十五パーセントが先輩の私物だと言ってもいい。美少女フィギュアも萌え絵ポスターも僕の趣味じゃないので、悪しからず。漫画はプロ級に上手いが超辛口で鬼畜。このボツ宣言も何回目だろうか……。正直勘弁して欲しい。
「何がダメなんですか。ほら、見てくださいよこのコマ!背景の建物一つ一つを細かく描いたんですよ!?それにここ!服装のディティールも凝ってるでしょう?」
「あのなぁ、漫画ってのは一枚絵の美術品じゃねーんだよ。んな細かいとこまで着目する読者なんていないの。そこにこだわる前にもっと早く描けるようにしろ!」
先輩の助言は正論だが、いや、正論だからこそ気に入らない。ちぇ、なんだよ。前に先輩が褒めてくれたから丁寧に描いてきたのに。
そんなことを思っていると、それを察したのか、先輩の口調が少し柔らかくなった。
「悪ぃな。別にお前の努力を否定したいわけじゃないんだ。猫田の絵は上手い。それは十人中十人が口を揃えて言うだろう。ただ……俺は別の部分にその努力の矛先を向けて欲しいんだよ」
「先輩……!」
ペンだこのある先輩の手が、僕の頭を優しく撫でた。この手に、僕はいつも安心させられる。
「先輩!教えてください。いったい……僕の何がダメなんですか!?」
先輩はまたニカッと笑った。
「話がクソつまんない」
はぁ……。何もあそこまでストレートに言わなくてもいいんじゃないかなぁ……。僕は帰宅して自分の部屋に行き、机に向かった。勉強……ではなく、漫画を描くためだ。また一から話を考え直そう。そう思って、僕は引き出しからスケッチブックを取り出した。
「んー、やっぱり冒険モノかな……」
僕はほぼ無意識にシャーペンを動かし、勇者を描いていく。小さい頃からRPGモノの物語は大好きだ。描き慣れていることもあり、あっという間に描けた。大きな剣と盾に、革製のベルトにブーツ。頭にはターバンを巻いている。うん、どこからどう見ても主人公に相応しい。
……って……あれ?
「なんだろ……どことなく先輩に似ている……?」
自分で描いといてこんなこと言うのも変だが、見れば見るほどこの勇者は先輩にそっくりだ。確かにこの勇者はメガネを掛けてないし、先輩みたいにだらしない格好をしている訳ではない。陰キャラでもオタクでもない……だが、顔立ちというか雰囲気というか、そういったところが先輩みたいだった。
ドッ……!
それを自覚した瞬間、僕は心臓の鼓動が早くなった。心なしか頬も熱い。
「そんな……ははは、気持ち悪ぃな、僕……」
そう。何を隠そう、僕は先輩が好きだ。もちろん、恋愛対象として。
いつから好きになったかは覚えていない。ただまぁ、僕はずっと学校の休み時間に絵ばかり描いているような奴だから、こうやって高校で漫研に入って毎日顔を付き合わせているのは先輩ぐらいだし、自然と意識してしまうのも無理はない……と思う。もちろん、こんなこと先輩に伝える勇気もないけど。
でもなぁ……。
僕はチラリとさっきの絵を見た。先輩に似た勇者がキメ顔でこちらを向いている。
そしてこの時、羞恥心よりも好奇心が勝ってしまった僕は、つい絵に向かって言ってしまったのだ。
「せ、先輩……好きです!」
しーん…………
静まり返った部屋に、僕の声だけが虚しく響いた。
「…………はは、なんてね」
馬鹿らしい。絵に告白するなんて、乙女か僕は。
さ、こんなことやってないで、さっさとキャラ構成を進めないとね。
僕は気を取り直して、次のキャラを考え始めた。うーん、勇者と張り合えるライバルが欲しいかな……。
「おい」
……ん?あれ、なんだろう。どこからか先輩の声が聞こえた気がするんだけど……。
「おいってば」
スマホを見ても、通話モードにもなってなかった。いったいどこから……?僕はとりあえず返事をしてみた。
「えっと、先輩ですか?どこにいらっしゃるんです?」
「ここだよ、ここ」
「どこですか?」
「ここだってば!」
部屋を見回しても、僕以外誰もいない。もどかしすぎてなんだかイライラしてきたぞ。
「だーっ!もう!ふざけないでくださいよ!一体どこですか!」
「だーかーらーお前の右手の下だよ!」
はぁ?!何を言ってるんだ先輩は。今僕は机に座ってスケッチブックに絵を描いてるんだぞ!もちろん右手にはシャーペンを握ってるし、その下にはさっきの絵しか……
「って、ええええええせせせせせ先輩?!」
「やっと気づいたか馬鹿者」
え、なんだこれ、こんなことあり得るのか!?こういうのなんて言うんだっけ?!ど根性ガエルみたいな……えっと、とにかく聞いてくれ!僕の絵が喋って動いてるんだ!
「まぁ、落ち着け。驚くのも無理はないがな」
先輩に似た勇者がそう言った。しかし、そう言われて落ち着けるはずもなく……。
「うわああああまた喋ったあああああああ」
「おい、暴れるな」
「また喋ったあああああああああ」
結局、僕が落ち着くことが出来たのは、あまりのうるささに怒った妹が隣の部屋から怒鳴り込んできた後だった。「おいコラ!クソ兄貴が!ゲームなら黙ってやれやオラァ!」
「……で、その……あなたはいったい誰なんですか……?」
僕は机にスケッチブックを立てかけて、正座してそれと向かい合った。我ながら異様な光景だと思う。しかしそれよりも異様なことに、スケッチブックの中で僕の描いた絵が動いているんだから仕方ない。まるでスケッチブックがタブレットみたいだ。今、勇者は僕が描いたポーズではなく、だらしなく胡座をかいて欠伸をしている。仕草も本当に先輩そっくりだ。
アニメ業界が喜びそうだなぁ……。そんなことを考えていたら、勇者が先輩そっくりの声で言った。
「誰だって?お前が最初に言ったじゃねぇか。俺の名前は『センパイ』なんだろ?」
「へ?」
「あー、お前、まさか漫画初心者か」
仕方ねぇな、というように先輩はため息をついて説明し始めた。
「まず、お前の知識を確認したい。小説でも漫画でもラノベでもいい。作家が『キャラが動かない』だの『キャラが勝手に動いてしまう』だの言っているのを見聞きしたことはあるか?」
「え?……は、はい。そういうのよく言いますよね。作家さんって」
「なんだ。知ってんじゃねぇか。ま、そういうことだ。俺らが動いてる姿は作家自身にしか見えねぇがな」
いや、全然わかんない!そういうことって、どういうこと!?
『キャラが動く』……僕はずっと、話の展開によって、そのキャラが性格や気性的にどんな行動に出るかを予測することだと思ってたんだけど……。まさか、文字通りキャラが『動く』ってことか?!
「ま、まぁ……百歩譲ってそれが起きたとしましょう。ただ、疑問があるんです」
「おう、なんでも聞いてくれ」
「どうしてあなただけが動いて喋ってるんですか?……僕、一応これでも漫研に所属してるんです。それなりに今まで多くの漫画を描いてきました。なのに、他のキャラは動いてないし……」
いや、たしかに、絵に描いたキャラが動くこと自体がそもそも不思議なんだけどね。
すると、先輩に似た勇者は驚いた顔をした。……そして、少し赤面した。
「そ、そうか……なんだか照れるな」
「ん?どういうことですか?」
「……俺ら二次元のキャラクターが動くには条件があるんだ。それは……『描き手に愛してもらうこと』、なんだよなぁ」
「えっ……」
勇者が赤面するもんだから、つられて僕も気恥ずかしくなってしまった。……そうか、僕は初めて自分の描いたキャラを好きになることができたんだな。逆に言えば、今までのキャラは心から気に入ってなかったんだ……。
「せっかくだ。お前の過去に描いた絵も見せてくれないか?」
言われるがまま、僕は今までボツにされてきた原稿を取り出して勇者に見せた。すると勇者はしばらくそれを見つめた後……。
「なんだこのクソ漫画!この漫画はSFだよな?宇宙人の言動が情緒不安定すぎる!ヒロインも最初と最後で性格変わってんじゃねーか。えっと……これは恋愛漫画か?ああーこれも酷い。幼なじみと恋敵が都合のいいように喋らされてる!話になんの緩急もない」
うぅ……。アドバイスという名の暴言が、僕のガラスのハートをズキズキと刺激する。
しかし、それももっともなのかもしれない。確かに、僕は自分の描きたい話をただただ勝手に描いてきただけなのかもしれないな。それこそ、キャラのことを考えずに。
「なんとなく、分かった気がする。どうして先輩が僕の漫画をボツにしてきたのか……」
「お?呼んだか?」
あ、そうだった。この勇者は自分の名前が『センパイ』だと思ってるんだった。
「いや、あなたじゃないです。僕と同じ漫研の高田マコト先輩のことです……なぜ、あなたはご自身が『センパイ』だと思ったんですか?」
「簡単さ。お前が言っただろう。『先輩、好きです!』って……」
てことは、この勇者はあの時から動くようになったってことか……。ああー、恥ずかしい……。
「も、もうそのことは掘り返さないでください……。実は、僕はあなたが先輩に似ているので、先輩に見立ててつい言ってしまっただけなんです」
「そうだったのか。……はは、少しその『センパイ』とやらが羨ましいな」
へ?どうして……?
「お前、『センパイ』を好きすぎるあまりに、無意識のうちにその人に似た俺を描いてしまったんだろ?愛されている証拠じゃないか。……まぁ、少しキモいが」
その言葉を聞いた途端、僕の心がカッと熱くなった。そして、とある衝動に駆られてしまった。
会いたい。今すぐ先輩に……!
僕はスケッチブックを引っ掴むと、部屋を飛び出し、自転車をすぐに出す準備をした。
「おい、お前どこ行くんだ?!漫画を描くんじゃなかったのか?」
「もちろん描きますよ!でも、少しだけ待っていてください。今は漫画じゃなくて実写ドラマを作りたい気分なんです!」
自転車の前カゴにスケッチブックを入れ、思い切りペダルを踏んだ。
「僕が主演の、ありきたりな恋愛ドラマですけどね」
すぐさま家を飛び出して学校へと向かった。目指すは、小さくて汚いあの漫画研究部の部室だ。
十数分後、学校に着いた。先輩がいつも遅くまで学校にいるのは知っていたので、僕は勢いよく扉を開け、叫んだ。
「先輩っ!」
今日も相変わらず、先輩は原稿に向かいながら黙々と作業を続けていた。
「おわっ……なんだ猫田か。驚かすなって。ベタがはみ出たらどうすんだよ」
「い、今はベタとかどーでもいいです!そんなもん、後で僕がいくらでも直してやりますよ」
先輩の向かいの机、つまり定位置に座り、ひとつ深呼吸。
「どうしたんだ?猫田。……な、なんだよ。俺に文句でも言いに来たのか?」
深呼吸の意味もなく、僕の心臓はバグバクと波打っている。もし、失敗したら……。もし、嫌われてしまったら……。
すると、先輩が僕の頭に手を伸ばし、優しくくせっ毛の髪を掻き撫でた。
「大丈夫だよ。思ってることを素直に言えばいい」
いつもと変わらない、優しい声。それにつられるかのように、僕の口が勝手に動いた。
「……好き、です」
「……!」
カラン。先輩の持っていたGペンが床に落ち、軽く音を立てた。
「え………?」
「好きなんです。先輩のことが」
「ば、馬鹿なこと言うなって。ドッキリか何かか?カメラでも仕掛けてあんのかよ〜。もー!」
先輩が真っ赤になって上ずった声でこう言う。僕も大概おかしな表情になってるんだろうな。でも、ここは冗談なんかで済ませたくない。
「本気です。最初は先輩の画力に憧れただけでした。……だけど、先輩は僕が思ってるよりずっと優しくて、でも不器用で、そこが可愛いっていうかなんていうか……」
「もういい」
「え」
「もういいってば……!」
うわっ!
次の瞬間、僕の顔面にジャンプコミックが押し付けられた。あれ、怒っちゃったのか?
……そんなことはないみたいだ。先輩はジャンプを押し付けた手と反対の手で顔を抑え、ニヤケ顔を必死に堪えている。
「やっぱり、先輩可愛いじゃないですか」
「ふん、うるせ」
「これは……両思いってことでいいんですかね?」
「……そうなんじゃねーの?」
やったー!勇者に上手くいったことを伝えようと思い、僕はスケッチブックを開いた。
しかし……
「あれ……?」
「ん?どうしたんだ?」
「勇者が動いてない……」
勇者は、僕が最初に描いたポーズを決めたまま静止していた。
「猫田も、キャラが動いてるのを見たことがあるのか?」
「え?先輩も?」
当然だと言いたげな顔で、先輩が頷いた。
「何年漫画を描いてると思ってるんだ。ただ、あいつらキャラは気まぐれでな。数分で動かなくなることもあるし、三日以上動くこともある」
「あ、制限時間とかあるんですか」
「まぁ……会いたけりゃ何度も描けばいい。愛情を持って接するほど、あいつらは喜ぶもんだ」
そうなんだ。でも……やめておこう。今は本物の先輩を好きになるのに精一杯だから。それに、よく見てみると、勇者の右手がグーではなく、ピースマークになっている。僕の成功をどうやら見届けてくれたようだ。
そう思って、僕はスケッチブックの次のページを開いた。新しいキャラを考えるためだ。
「お、ここでキャラ構成を練るのか。手伝ってやろう」
「いいんですか?」
「いくらでも付きやってやるよ。その……今日から俺はお前の彼女……でもあるんだし……」
ふふっ。僕はクスクスと笑って、先輩に言った。
「先輩、女の子なんだから、一人称もそろそろ『俺』から『私』に変えてもいいんじゃないですか?」
「よ、余計なお世話だよ!」
先輩はそう言いつつも、ぐしゃぐしゃのスカートのしわを伸ばした。
僕はシャーペンを握り、新しく線を引いていった。
僕と先輩の漫画研究会は、今日も続く。
初めての投稿です!
叙述トリック的なものを目指して書きました。最初はBLかも?!……と思った方も居るのではないでしょうか。トンデモ設定のお話ですが、楽しんで読んでいただけたのなら幸いです。