ふわふわ
駅前の神社の横には老舗の写真館がある。
神宮寺写真館といったか、そこで写真を撮ると入学試験や入社試験の書類面接は審査に通過しやすいと評判で、足しげく多くの客が来る写真館だ。
デジタルカメラが主流となる昨今、この写真館ではフィルムを用いてのアナログな手法に拘る。だから最終的な補正作業は一切行わない。
だが、写りの良さを見ると腕が立つ写真に仕上がっているのだ。
コンビニやスーパーの横にはセルフで撮れる写真機があり、仕上がりの補正も自分で出来て費用も抑えられる。店の価格が倍以上するのに、それでも人気が有るのはこの店のサービスが良かったからだ。
仕上がった写真は隣の神社で合格祈願をしてくれるし、御守りまで付けてくれるサービスをしてくれるからである。
それと、この店の主である神宮寺 清彦は30歳手前にして、細身のスーツを常に着こなし、縁の薄い眼鏡を掛けていた。短髪でイケメン、執事のような風貌に若い女性に人気なのである。
私、取手 窈はこの写真館でアルバイトをしているのだが、働く切っ掛けは祖母の気紛れだった。
祖母が亡くなる前年に「遺影を撮りたい」と言い出したのと同時に、「家族の記念写真を撮りたい」と希望したからである。
当時、私は小学4年生だった。
反抗期に差し掛かっていて、写真に写ることは嫌だったが祖母の頼みとあれば無下にも断れず、写真館に渋々ついてきたのである。
まだ写真館も主は先々代の老主人で、祖母とは旧知の仲だった。だから祖母はこの写真館を選んだのだろう。二人はずっと他愛無い話をしていたのを覚えている。
確か、この主は写真館の主を本職としておらず、隣の神社の宮司を生業としていた。
本人曰く、趣味の写真撮影を副業としたらこれが当たったのだと言う。そして出来上がった写真に対して祈祷をするサービスを付けたらこれが当たったと言う訳である。
その写真館では今の主、清彦氏が助手としてカメラの勉強をしていた。当時、高校三年生だったと記憶している。
家族に連れてこられた私を見て、被写体として乗り気ではないと見抜いたのだろう。助手の合間に私の相手をしてくれたのだ。
無口で不器用ではあったが、幼い私には清彦氏に一目惚れをし、上手く乗せられるまま写真に収まったのである。
とは言え、笑顔の家族の中で私の顔は強張っていた。
写真に写る事が恥ずかしかったからでなく、彼に見られていると思う事の方が緊張したからである。
そのせいとは言わないが、私は仕上がった写真を見る気にはなれなかった。
祖母は出来上がった写真を気に入り、亡くなるまで部屋に大切に飾っていたが、初恋を悟られそうな気がして見る事は出来ないでいたのである。
祖母の他界後、写真館の主も鬼籍に入った。
代替わりで主の息子が跡を継いだまでは良かったが、"自分には写真の腕が悪い"と早々に宮司の道を選び、主の孫に当たる清彦氏に任せたのである。
つまりこの写真館でのサービスのからくりは家族経営が成せるシステムで、上手く噛み合っていたからに他ならない。
私がこのバイトを選んだのは、彼の気を引こうとカメラを学んで近づこうという下心だったが、逆に撮影技術にのめり込んだからだ。
用もないのに写真館に足を運ぶのも日課になり、学校帰りには当たり前のように写真館に寄る。
当然の事ながら私の相手をしてくれたのは清彦氏だった。無口だがニコニコと私の話を聞いてくれる。嫌な顔ひとつせず、相手をしてくれた。
それが店に訪れる若い女の人とは待遇が違うんだぞ、という自尊心だったのである。
私が私立中学を受ける時、受験票の写真を撮ったのもこの写真館だったし、撮影をしてくれたのも清彦氏だった。
試験を受ける事よりも、ファインダー越しに見られていると思う事の方がよっぽど緊張したのを覚えている。
「窈ちゃんが初めてなんだよ…」
清彦氏も照れ臭そうに言った顔が忘れられない。彼の初めての証明写真の撮影の被写体が私なんて…特別なような気がして嬉しくて、恥ずかしかった。
それに清彦氏は私に優しくしてくれる。
私立中学から合格の通知が届くと、「お古だけど…」と彼の愛用のカメラを私にくれたのだ。年期が入っていたが、よく手入れも行き届いていて、初心者に使いやすいカメラを私にくれたのである。
それが私の宝物だ。
奇しくも、中学の担任がカメラ好きであったこと。写真部の顧問をしていたばかりか、新聞部のカメラマンまでやるような人だった。
それどころか写真雑誌に投稿をするような、熱血的な人間だったからである。
清彦氏とは友人で、私は清彦氏と顧問の二人の師匠についてカメラを学び始めたのだ。
だから私は自然と写真部に入部したし、写真の事で解らなければ写真館に向かっていたのである。
ファインダーで覗く世界、それが私達の接点だった。
勿論、高校でも写真部に入ったが、機材やらフィルムやらでお金が掛かるようになる。ともなればお小遣いで賄えなくなり、バイトを余儀なくされた。
結果として写真館のバイトとして働きだしたのである。
バイトを始めて判ったが、清彦氏の仕事は写真館に籠るだけではない。
依頼によっては外へ出掛ける事も多かった。例えば学校での集合写真や結婚式なんかの記念写真、自然風景まで撮影に走る。
そうなると店を空けておく訳にもいかず、私が店番をしたり館内の掃除などの雑用をこなしていた。それに空き時間は宿題をしたり、専門雑誌を読む事さえ許されていたのである。
たまに清彦氏からアシスタントを頼まれる事もあり、その時は嬉々としてついていった。ちょっとしたデート気分を味わえたからである。
だが、それは清彦氏にとって表向きの仕事でしかない。
それが解ったのは私が大学生になったある日の出来事だった。
「ねぇ、窈ちゃんって…幽霊を信じる?」
清彦氏は写真館の自分のデスクで、椅子の背凭れに身を預けながらスケジュール帳を見て、いきなり私に話を振ってきたのである。
「幽霊ですか?」
突然の質問に、私も思わず聞き返すしかなかった。
今日は清彦氏が外に出る訳でもなく、来館者もない。"もう少しでおやつの時間だから"、と私がコーヒーを淹れるために立ち上がった時にそう聞かれたのである。
「そう、幽霊。」
清彦氏は茶化す訳でもなく、実に真剣な眼差しで私を見た。端正な顔立ちで見られると思うと、ドキドキしてしまう。
「え、でも見た事もないですし…そもそも幽霊なんて居るんですかね?見れるなら見たいですけど?」
視線に耐えられなくなった私は給湯室へと逃げる。バイト歴は長いが、どうもまだ彼の眼差しには慣れない。
「で、どうだろう…信じる?信じない?」
やけに私に絡むなぁと思う。自分のと彼のマグカップを両手で持つ私にそう質問を繰り返す。
たまに変な所がある人だが、こういう風に聞くときは大抵の話、裏に何かを隠しているのだ。
「まぁ…信じる、信じないは個人差があるから良いや。なら怖いと思う?」
「怖いとは思いますよ。見たこと無いですし…納得もできませんよ。」
ふーん、と言うなり彼はスケジュール帳をパタンと閉じる。何かに悩んでいるようなスッキリしない物言いだ。一体、何を迷って要るのだろう?
「所で…今度の日曜日だけどさ、病院で写真撮影を頼まれてるんだ。一人だと大変なんで、アシスタントとしてついてきてくれないかな?」
「そういう事なら良いですよ?予定も空いてますし…」
清彦氏の申し出にあっさりと了承した私だが、それと幽霊なんて何の関係が有るのかは知る由も無かったのである。
ただその申し出を受けた事で後悔をするとは思わなかった。
で、概要を知らされないまま当日を迎えたのだが…
清彦氏の服装がいつもと違う。スーツでなくツナギを着ている。それだけでも違和感が有るのに、車に乗り込むと私に御守りを手渡してきたのだ。
そればかりか今日の撮影については何も語らない。
写真とは全く関係の無い話題ばかりチョイスしてくるのである。そればかりか街で唯一の病院がある地域ではなく、真逆の方向に向かって車を走らせていた。
全くもって意味が解らない。
そして車は目的地に到着をしたと同時に、私は激しく後悔をする事になったのである。
確かにそこは病院だった。
しかし周囲を有刺鉄線で囲まれ、人が入る事を拒んでいる。何処と無く建物から禍々しいオーラが漂っているようにも思えた。
錆びた鉄柵、割られた窓、興味本位で立ち入った若者達による無数のスプレーの落書き…
思わず私は清彦氏に顔を向ける。
だが彼は彼で全く気にもせずに機材の準備をしていたのだ。荷物を纏め、肩に担ぐと廃病院に向かって歩き出す。
「ち、ちょっと待ってくださいよ!」
思わず私は清彦氏を呼び止める。安全だから車で待機と言われても、一人で残されるのは嫌だ。自分の荷物もそこそこに駆け寄る。
「病院での撮影じゃ無いんですか?」
「だからここが病院。それに撮影と言うか…除霊?」
そんな事は私に聞くな!とツッコミを入れたくなった。それ以前にカメラを持って除霊とはどういう事だ?
「大した話じゃないよ、この廃病院に集まった荒魂を写真に撮るのが今日の仕事。放って置くと厄介だし、早く壊して跡地を利用したい人も居るんだよ。」
さらりと説明するが、それってかなりヤバいんじゃないの?と疑いたくもなる。そもそも荒魂だの除霊だの言われてもピンとこないし、カメラを持って言われても説得力が無い。
まだ僧侶の一人でも居るなら納得もしよう。
「大丈夫、大丈夫。ほんの二時間程度で終わる仕事だから。」
こんな所に二時間も居ろと?正気なのだろうか、むしろ私はこんな仕事を引き受けずにさっさと帰りたい。
私の不安は何処へやら、清彦氏は「行くよー」とだけ言って、建物の中へと入って行く。ここで置いてかれるのは嫌だ、まだ清彦氏について行く方がマシだ。
「どうしてこんな仕事を…」
「正直に話したら断るだろ?」
それもそうだ。誰が好きで心霊写真を取りに行く。世の中にはそういう人が居るのは知っているが、怖い体験など私はしたくないのだ。
「放って置けないんだよ、こういう場所は特にね。」
そう言いながら機材が詰まったバッグを私に手渡すと、各部屋に入ってはシャッターを切る。
病院の受付、看護師の待機室、病室、オペ室…順番に丁寧に撮影を進めていった。
時計を見ればまだ昼の時間だが、鬱蒼とした森の中にあるせいか建物の中は薄暗い。廊下に響くのは私達の靴音であり、それが余計に怖さを覚える。
それでも清彦氏は慣れているのか、さっさと進んではカメラを構えていた。
今、私が頼りにしているのは手元の懐中電灯だけ。電池も新しい物だし、きちんと廊下を照らしてくれる。
これが無いとフィルムの交換や、見取り図の確認も出来ない。
「何も…起こらないですね。」
「起こって喚かれても困るけどね。」
何も起こらなければ問題はない。寧ろ何も起こらない事につまらなそうにする清彦氏が私には怖い。
今、仮に何かが飛び出て来た日には、腰を抜かしてへたり込むか、大声で喚きながら外へと走り逃げるだろう。
「粗方は終わったな、最後は…霊安室か。」
そのフレーズだけは聞きたくなかった。見取り図によると霊安室は地下に有る。
確か地下室に行くにはこの廃病院の北側、裏庭に抜ける入口の横にひっそりと階段が有ったはずだ。電気なんてとっくに切れてるからエレベーターなんて動きやしない。
階段まで移動して、そして降りなければならないのである。
ただでさえ怖い場所にいるのに、更に怖い所へ行くなんて…
それに私は気付いてしまった。この廃病院には私達以外に誰かが居ると言うことを…
「き、清彦さん。…ここに居るのって私達だけですよね?」
二人だけしかいないのだから、わざわざ小声になる必要はない。それなのに私はそいつに気取られないよう、そっと清彦氏に耳打ちする。
「僕達だけだよ。好きでこんな所に来るやつなんていないさ。」
いや、私は含めないで欲しい。私は貴方に連れてこられたんだ
と言いたくなった。好きで来たんじゃ無いんだから…
私の不安を吹き飛ばすかのように明るく良い放つが、その心遣いが返って私を不安にさせる。
暗くなる私の顔を見て、清彦氏は何かを悟ったらしい。
「何を見た?」
清彦氏の目が私の瞳を捉えた。そこまでマジマジと見つめられるとドキリとする。私が感じた不安もさることながら、清彦氏の視線は背中がうすら寒くなってしまう。
私がここで気配を感じただけで、何を見たと言うわけではない。だから清彦氏には素直にそう答えただけだ。
「なら聞き方を変えよう、それは何処から気配がするんだい?」
私は答える代わりに震える手で廊下の奥を指差す。この廊下の先は霊安室に繋がる階段がある。
当然ながら私が指差した先には誰も居ない。
「…何だ、誰も居ないじゃないか。」
清彦氏はそう言って優しく微笑んだ。だがその優しい笑みも、私を怖がらせない為の優しい嘘だと、私は直ぐに悟ってしまったのである。
顔を見れば左の口の端がくいっと上に上がっていた。これが清彦氏が嘘をついた時に見せる表情なのを、私は知っている。
ここには何かが居るのだろう。それが何かは解らないが、私は背中に冷や水を浴びせられたような、冷たさを感じた。
「行こうか…」
清彦氏は何事も無かったかのように、廊下の奥へと歩き出す。
「ち、ちょっと待ってくださいよ!」
もう私は泣き出したい気持ちで一杯だったが、置いていかれる方が辛い。とにかくここに残ることだけは避けたい。
「大丈夫だから、行くよ。」
私の方に振り向いて話す清彦氏の向こうで、白っぽい人影がすうっと通り抜けたような気がする。
ついておいで…そんな風に誘導しているかのようにも思えた。
「…所で窈ちゃん。何でこの病院が潰れたか知ってる?」
歩みを止めるでもない。清彦氏は廊下を進みながら私に聞いてくる。
何かあったか、と事件を思い返しても何ら該当する話は浮かんでこなかった。
「知りませんよ、何かありましたっけ?」
「知らないなら良いよ、むやみに怖がらせるのは良くないからね。」
こんな廃病院に人を連れて来ておいて、今さら何を言うのであろうか。もう既に私は怖い思いを現在進行形でしている。これ以上の恐怖はしたくないのだ。
かと言って“むしろ危険だから”とここに置いていかれるのも嫌なので、嫌でもついていかないといけない。
ああ、霊安室に繋がる階段が近づいてくる。黄泉路に繋がるような、暗い階下に降りなくてはならないなんて…
先を進んだ白い人影はすうっと階段を滑り降りるように消えていった。何で私達はあんなものを追い掛けなければならないのだろう…
考えるだけで悲しくなってくる。
清彦氏も何かに取り憑かれたかのように、階段を降り始めた。
私は躊躇して、ここで待とうかとも思ったが…残されるのも嫌なのと、「明かりを持ってきて」という清彦氏の指示に従い、階段を降り始める。
足元の明かりを便りに、一歩一歩踏みしめるように歩みを進めた。
―ぴちょん
水音がする。
明かりに照らされたのは、水面だった。
水道管の破裂なのか、はたまた雨水が壁から染み込んできたのかは解らないが、床面が水浸しになっている。
それに…まとわりつく湿気と何かが腐ったような臭気。そんな陰気な場所でも清彦氏はずかずかと、階下の奥にある部屋へと進んでいった。
階段の下で私が佇んでいると、カメラのシャッターを切る音が聞こえる。同時に暗い室内を照らすかのように、ストロボのフラッシュが瞬間的に明滅した。
「窈ちゃん、悪いけど入り口まで来て部屋の中を照らしてくれないかな?」
水に浸かりながらそこまで来いと?確かに膝まで浸かる水量ではないが、お気に入りのスニーカーは諦めるしかなさそうな状況である。
意を決して水面に足をつけると、じわりとスニーカーに水が染み込んで来るのが判った。気持ち悪さはこの上無い。
パシャリパシャリと水音を立てて部屋の入り口まで進む。
「あ、そこからで良いよ。そこの壁を照らしてくれないかな?そう、もう少し右かな。」
清彦氏が壁に向かって指差す方に、私はライトの光を当てる。何の変哲もない壁なのに何かに取り憑かれたかのようにシャッターを切った。清彦氏には何かが見えているのだろうか?
「ああ…窈ちゃん。」
清彦氏は振り向き様、私を呼んだかと思いきや私に向かってシャッターを切ったのである。「きゃっ!」と私は叫んだ。急なストロボの光で瞬間的に視界が遮られたからで、周囲がボヤけて何も見えない。
「ちょっと!清彦さん!いきなり何をするんですか!」
「ごめん、ごめん。間違えてシャッターを押しちゃったよ。大丈夫かい?これで仕事は終わったから帰ろうかと言おうとしたんだ。」
暗闇でまともに見たストロボの光は強烈だった。大分、周囲を把握できるようになったが、まだ視界ははっきりしない。仕事が終わることにホッとする自分も居たが、何より清彦氏の口許の端が上がっている事は想像できる。
カメラのプロである清彦が、手慣れたカメラで操作ミスをするとは思えなかったからだ。
その事をどうこう言うつもりもない。
車に戻り、持参したポリタンクの水でスニーカーやらを簡単に洗うと、荷物を車に乗せ帰路に着くこととなる。これで帰れるという安堵の気持ちと、何か疲れたという思いが肩に乗し掛かった。
「大変だったね、つかれたでしょ。」
清彦氏の言葉にも突っ込む気力すらない。確かに疲労感はある。喉の渇きも訴えたかったが、“早く帰りたい!”という思いが強かったからだ。
車の中は終始無言だったし、話そうという気も起きない。会話する気力もない。
どことなく二人で居るこの時間が重い。
そんな沈黙を破ったのは清彦氏で、淡々と語り出す。
「今回の依頼主はM建設の社長さんでね。あの廃病院を潰してホテルを建てることにしたんだって。
ただあの病院が曰く付きでさ、表向きは“資金難で採算が取れなくなって廃業”って話だけど、実は違うんだ。」
そうなんですか…と呟くように返事をしたと思う。今の私には真実なんてどうでも良い。お構い無しに清彦氏は話を続ける。
「本当の理由は“医療ミスが続いたこと”さ。内情を揉み消したから公表してないけど、何人かを新薬の投与と言って殺人を楽しむサイコパスな医者が居たんだ。
事件が明るみになって警察に捕まる前に悪徳医師は自殺。病院も揉み消しの為に多額の口止め料を払って資金難になったと言うべきかな。
それに…あの病院では看護師が一人、行方不明になったままさ。」
聞きたくなかった。そんな話を最初に聞いていれば、私はこんなバイトを真っ先に断っている。
そんな私の気持ちを察してか、清彦氏はハンドルを握ったまま無言になった。
写真館に着いた時、ぐったりとしている私は事務所のソファーで休ませて貰う。その間に清彦氏は車の荷物を片付けたり、撮った写真の現像に取り掛かり始めたのである。
清彦氏が用意した麦茶を少し口にした時、張り詰めていた緊張が緩んだのだろう。うとうとする内に私は寝てしまっていた。
私が気付いた時には病院の受付に居る。
受付から見る病院の待合室にはそこそこの人が居て、テレビを見たり、雑誌を読む人が見受けられた。しんどそうに母親に倒れ混む子供も居る。おしゃべりな老人のグループも見受けられた。
ありふれた病院の風景といったところか…
「本日はどうされましたか?」
唐突に白衣を着た看護師が背後から声を掛けてくる。そもそも私は病院に厄介になるような病気がない。強いて言えば体が重ダルいぐらいだ。
にっこりと微笑む看護師とは初対面なはずなのに、何故だろうか何処かで出会ったような気がする。そんな気がして仕方がない。
私が「大丈夫ですから…」と断ろうとしても言葉にもならないのだ。話そうとすればするほど、あうあうと言うしかできない。
そんな私を彼女はにっこりと笑って見つめている。それだけじゃない。彼女の背後には細身の白衣を着た医師が、うすら寒い眼差しで私を見てニヤニヤしていた。
何か獲物を見つけた獣のような不気味な印象にも思える。
医師が近づく。本能的に関わってはいけないと、心臓が早鐘を打つ。逃げよう、叫ぼう、そう思っても何一つ体は言う事を効かない。
叫び声が呻き声にしかならないのだ。そして医師に上腕を掴まれると、激しく体を揺すり始める。
私は抗えない、されるがままに体を揺すられる。
「窈ちゃん!窈ちゃん!…大丈夫?」
揺すられながら聞き覚えのある声が聞こえた。清彦氏が寝ていた私を起こしてくれたのである。思わず私は清彦氏に抱きつきたかった。
「しんどそうだったし、もう少し寝かそうと思ったんだけどさ、何かうなされていたから…」
起こしてゴメンね、と清彦氏が私の上体を起こしながら謝る。寧ろ助かったのは私の方だ。
「さっき撮った写真を現像したんだ。窈ちゃんには見せるべきではないとも思ったんだけど…君に見てもらいたいともおもったからね。」
そう言って、清彦氏は数枚の写真を机に並べる。
写真にはあの荒れ果てた病室の写真が写っているが、私は思い出したくなかった。それなのに見てみたいと思う自分も居る。
一枚目、二枚目とさして変哲も無いような写真にも思えるが、何だかふわふわとしたものが写っていた。発光体と言うべきか、変に丸く明るいモノが写り込んでる。
「“オーブ”って言われるやつさ。どの写真にも写っているが…問題はそれじゃない。この写真と最後の写真さ…」
清彦氏が手にした写真を見て、私の血の気が引いていくのを覚えた。
一枚は廊下を撮ったもの、もう一枚は清彦氏が間違えて私を撮ったという写真である。
廊下の奥には白衣を着た男らしき人影が写っていた。背格好からあの夢で見た医師にも似ている。そして私が写った写真には、斜め後ろに夢で見た看護師が写り混んでいたからだ。
私が見た白い影はこの二名の内、どちらかと言うのか?
もう私は限界を感じ、泣きながら自分が見た夢について清彦氏に捲し立てたのである。説明しようにも言葉にもならないのだが、清彦氏は優しく抱きしめ背中を擦りながら私の言葉を聞いてくれた。嫌な顔一つせず、じっと私の話を聞いてくれたのである。
話終えた私は、麦茶を飲んで喉を潤した。溜まっていた不安や恐怖を吐き出す事でスッキリしたのだろう。
清彦氏は写真を纏めると、私に「一緒に親父の所へ行こう」と言い出した。何故、ここで清彦氏の父親が出てくるかはピンとも来なかったが、私は言われるがまま頷いて了承したのである。
ゆっくりと起き上がっても、頭がフラついてボンヤリするが、清彦氏が手を引いてくれたのだった。
清彦氏の父親の所と言っても、写真館の隣の神社である。
歩いても敷地を抜けるだけなので、直ぐに到着するような距離だ。
事前に清彦氏から話を聞いていたのか、出迎えてくれた親父さんは映画で見た陰陽師のような装束に身を包み、私を待ち受けていたのである。
そのまま社殿に通されると、厳かに儀式が始まった。
横に座る清彦氏の話では、私と写真に写った荒魂を払い清めるのだと言う。
親父さんが祝詞を上げ始めた時、何故だかホッとしだした私が居る。段々と、心の中に溜まったモヤモヤが剥がれ落ちるような感覚を覚えていった。気持ちと体が軽くなるような…そんな感じを覚える。
儀式が終わると、見も心もスッキリした。何と言えば良いのだろう、“清々しい”という言葉がしっくり来る。
これで本日のバイトが終了する事となった。
実はこの話には後日談が有る。
清彦氏が御霊を写真に納め、建物から排除した事で解体工事が滞りなく進んだと言うのだ。それはそれで良い。
問題は…建屋を壊し、耐震の為に地下を工事する事となったのだが、霊安室の有った地下を掘り起こした時に警察沙汰となったのである。
実は霊安室には隠し部屋が存在したのだ。
隠し部屋の入り口は新たにセメントで塗り固められ、薄暗い部屋の中では見分けがつきにくくなっていたのである。
その壁を壊し、中に入ると棚には無数の瓶が並んで居た。臓器のホルマリン漬けで、中には胎児のものまで有ったらしい。
それだけでも辟易するのに、部屋の隅には白衣を着た白骨死体が転がっていたのである。
骨格から成人女性であり、年齢は20代から30代であろうと思われた。しかしこの死体は歯の治療痕から、この病院に勤めていた看護師であることが判明。首に縄が巻いてあった事から、死因は絞殺による窒息と思われる。それが警察の見解だった。
「まぁ…これで事件は片付いたんじゃないのかな?」
病院のオーナーも他界している事や、当時を知る者も少なくなり、真相は闇の中といった状況なのである。
もうあの日の事は語りたくもない。
だが、たまに思い出してしまう事も有るのだが…なるべくなら忘れたい。
写真に写ったあの“ふわふわ”は、あの病院で亡くなった人の御霊ではなかろうか思うのだが、もうあの時の写真も無いのだから…