82話目 修学旅行三日目 楼明からの贈り物
前回の直後からです。
今回も女子は出ません。
「んじゃま、俺はそろそろ御暇させてもらうわ。もう、日が変わっちまってるし」
絶対に譲れない案件を楼明に確約させた後、他にも細々とした決め事を確認したり、世間話をしたり、剣が妹自慢を始めると楼明も負けずに孫自慢をしたり……なんだかんだで打ち解けている二人であった。
「そうか?ふむ……儂に畏まったり遜らぬ相手との会話など幾ばく振りか……それが、こうも楽しいとはのう。では……最後にコレを進ぜよう」
そう言って、楼明は風呂敷に包まれた、長方形の箱状の包みを剣に差し出した。
「いや、こんな嵩張る物を貰っても……」
「まあ、そう言わず。中を改めてくれんか?」
「くれた本人が良いってんなら開けるけどさ……」
打ち解けたが故に、流石に土産をその場で改めるような行儀悪い真似をしなかった剣であるが、贈り主から頼まれては無下にも出来ず、従う事にした。風呂敷の結びを解くと、中には長方形の木箱。汚れてはいないが、所々欠けたり凹んだり、色褪せたりしていた。見ただけで、相当古い物だと推察出来る代物であった。
そして、蓋を開けようとして、箱に隙間が出来た瞬間、剣は箱から即座に手を離した。
「……爺さん、何だ、コレは……」
「一応、我が家の秘蔵の品だが……使いこなせる者が長いこと居らんくてな、剣殿ならば、もしやと思うたのだが……」
「使えるかってより、気が合うかが問題だろうな……」
剣が思わず手を離したのは、箱から微かに魔力が漏れだしたからであるのと、それと同時に、頭の中にノイズが走ったからである。
正確には、声が聞こえたのだ。まるで泣き喚く子供のような、支離滅裂な叫び声が。
「まさか……地球で同類に会える日が来るとはね……解った、コイツは俺が預からせて貰うよ」
箱の中には、白木の鞘に納められた、小刀が一振り入っていたのであった。
明くる朝、剣は習慣通りに目を覚ますと、支度を整え外出した。しかし、日常通りに散歩をする為だけではなかった。
剣は昨日歩いた道を逆に辿り、裏京都(剣は呼び方をコレに統一した。鑑の都と書いてキョウトと読むのは、なんか駄目な気がしたのだ!)の出口となっていた社に到着した。
「さて……ここなら誰も来ないかな?」
辺りを見回し、耳を澄ませる。人影は無く、聞こえてくるのは風に揺れる木と葉の囁きのようなサワサワとした天然のリラクゼーションミュージックと、歌のような小鳥の鳴き声のみ。
その確認を終えると、剣は腰のベルトに挟んでいた小刀を、鞘から抜き放った。朝陽を照らし返す刀身は、僅かに赤みがかっていた。
「ヒイロガネ……日本の神話に伝わる神秘の金属か……秘蔵の品だなんて言ってたけど、家宝どころか国宝でも可笑しくないよな……」
公には存在していない金属製の小刀。それが今、剣の手の中に在る。元々は葛乃葉家の女性に代々受け継がれていた護身刀だったのだが、いつ頃からか所持者が叫びや悲鳴等の幻聴に悩まされるようになり、呪われた品として封印されていたのであった。
貴重な品であるため処分も出来ずに持て余していたのだが、尋姫から剣との会話を報告された事で、楼明は小刀による幻聴が呪いではなく、付く物神化して明確な意思を得たが故に、何らかの理由で所持される事を拒否しているのではないかと、思い至ったのであった。
ならば、似た境遇の前世を持つ剣であれば、小刀も心を開くのではないかと考えたのである。
剣としては、体よく押し付けられた感も僅かにあったのだが……自然に朽ちるまで、狭い箱の中に封印され続けるのではと、我が身に置き換え考えると、引き取らずにはいられなかったのであった。
箱を開いた時に溢れ出た魔力から伝わった小刀の感情は、嘆きや悲しみ、怒りや憎しみが混ざりあい、剣ですら驚きを隠せない程の、強烈な負の思念であった。
しかし、現在こうして抜刀してみても、小刀からの反応はゼロであった。次いで、素早い動作で何度も素振りをして空を切ってみても、小気味良い風切り音がするのみであった。
「……だんまりかよ。いや、混乱してるのかな?」
封印から目覚めてみれば、葛乃葉家とは縁も所縁もない、馬の骨に進呈されていたのである。状況を飲み込めていないのも無理からぬ事であった。
「お~い……無視ですか?」
小刀に語りかける剣であったが……反応は、無い。握り締めている柄から感じる魔力も穏やかなものである。
「意思を持っているのは間違いないし、念話も出来る筈なんだが……相当人間不振なのか、嫌な事でもあったのかな……?」
自分自身に置き換えてみれば、それも有り得ると剣は思い至った。武器として、闘いに、殺す為に使われていた日々は、心を荒ませるには充分であったし、実際人と積極的に話す事など、たった一人の例外を除いて、無かったのだから。
「仕方無い、気長にやるか……それにしても、見事な刀だ。余程の刀匠に打たれたんだろうな。この薄い刃、どんな物でも簡単に切り裂けそうな……痛っ?マジかよ……少し切っ先撫でただけなのに……」
本当に軽く触れただけなのに、指先の薄皮が裂け、血の雫が指を伝って、小刀の刀身に滴り落ちた。長さ2ミリ程度の、舌で舐めてしまえば簡単に止血出来そうな程度の傷で、騒ぐほどの事もないと、剣が判断した瞬間に、それは起きた。
『嫌あぁぁぁ!血、血ぃ、血ぃぃ!!嫌だぁぁぁ!!!』
「うわっ!?ぐっ……この、頭が割れそうな……」
剣の頭の中で、金切り声の大きな悲鳴が盛大に反響した。正に、半狂乱とでも言うべき、恐怖に脅えた悲鳴である。
「コイツ……血が怖いのか?……ぐ、マジで、頭が割れそうな……」
頭に締め付けられるような刺激痛を感じながら、剣はズボンのポケットからハンカチを取り出すと、傷付いた指を包み、小刀の刀身から血を拭い去った。
「ど……どうだ?血は、もうないぞ?」
『……うあぁぁ……嫌だ……もう、血は嫌だよぉ……もう、人を、私で切らないでぇ……』
少し落ち着いたのか、剣の頭からズキズキするような頭痛は和らいだのだが、それに代わり、小刀から胸を締め付けるような、悲痛な啜り泣きの念話が送られていた。
「まるで、PTSDじゃないか……武器としては、終わってやがるな……」
子供みたいな泣き声で脅える小刀を握った手をだらんと落として、剣は天を仰ぎ、深い溜め息を吐いたのであった。
『ごめんなさい……ごめんなさい……私、血が、もう……駄目なんです……もう、私を使って死なれたく、ないんです……』
小刀――銘を〝緋波〟と言うらしい――は、心を落ち着かせると、何度も剣に謝罪をした。念話で伝わる声が少女のようであったので、剣には手のひらの上で、何度も懸命に土下座を繰り返す少女が幻視して見える気すらした。
「ま、いいって。俺も……緋波の事情を知らなかった訳だしさ。別に武器として使えなくても、壊したり捨てたりしないから安心してくれよ」
『ありがとうございます……主様!』
「主……まぁ、それでいいや。宜しくな……ヒナ」
『ヒナ?主様、私の銘は……』
「分かってるって、でも、お前はもう葛乃葉家の守り刀じゃないし。それどころか、刀としての役目すら果たせないポンコツだ。だから……心機一転、新しい名前で一からやり直してみろってこった」
『あぐ……ポンコツ……』
反論しようにも出来ない程に論破されてしまっているので、悔しそうにいじけるしかない緋波……改めヒナ。
「それにしても……ヒナのメンタルって、女子っぽくないか?代々葛乃葉家の女性に受け継がれていたと聞いてるけど……持ち主からの影響なのかな?」
『そうなのですか?自分では特に意識していないのですが……主様、気になりますか?』
「まあ、少しな。俺も前世は剣だったからさ、そん時は性別なんて気にもしてなかったんだが……精神的に、どっちかに偏るなんて在るんだなーって思ってさ」
『え?主様は、剣から人間に輪廻転生されたのですか!?』
「ああ。ま、偶然世話好きな気紛れ女神様と知り合えたからなんだけどな。ヒナも転生したいか?何なら、今度会えた時に頼んでみるか?」
『……い、いえ……その、驚き過ぎで、考えが纏まりません……それに転生って、一度死ぬって事ですし……』
「……そっか。ま、焦って決める必要もないか」
剣は僅かな会話の中で、ヒナには死に対して強い忌避感がある事を察していた。それは自身の命は当然ながら、所有者に対してでもあった。誰も死なせたくないから、誰も殺したくないから、所有されるのを拒否する為に、負の感情を濃密に圧縮したような叫びを激流のような勢いで念話によって流し込む事で、呪いの刀とされ、人と関わらないで済むであろう選択をしたのだろう……死を、近くに感じない為に。
「……なぁ、ヒナ。刀でありながら死や血を怖れる理由……お前の過去に、何があったのか……聞いてもいいか?」
『聞いて……どうするのですか?』
積極的に話したくは無さそうな様子に、剣は無理強いするつもりは無い旨を伝えた。
「別にどうも?単なる興味だとでも思ってくれ。これから長い付き合いになるかも知れないんだし、迂闊に心を抉るような事を言わない為にな」
軽口のような口振りであったが……ヒナにとっては、生まれて初めての自分に対して向けられた、優しい気遣いの言葉に思えたのであった。
『主様は……優しいのですね』
「そんな事言われる要素、あったかな……あまり買い被るなよ?他人からの俺の評価って、ロクなもんじゃないから幻滅するぞ」
『そうなのですか?それは自虐的過ぎるのでは……』
「その内解るさ……」
剣からしてみれば、ヒナは素直で無垢が過ぎていた。少女のような精神レベルでありながら、既にトラウマを抱えている……下手をすれば、心に取り返しのつかない傷を与えてしまいそうで……正に、義理の娘との距離感を掴めない義父になったような心境であった。
(ん?こんなこと、前にもあったような気が……あ、そっか、ヴェルティエの時とは、逆になってるけど……)
『どうされました?主様』
「いや、長生きしてると、思わぬ事が色々起きるもんだなぁ……って感慨深くてさ」
武器の身で少女に生きる為の知識と力を与えた前世。
そして、人の身となり、今度は心を宿した武器の保護者となった現在。
(共感や同情した相手に対して、案外世話焼きなのかもなぁ……)
図らずも符合した自身の二つの生きざまに、剣は彼方を見つめて苦々しく笑みを浮かべたのであった……
女子は出ませんでした。……らしき物は出ましたが。
ヒナちゃんは刀剣女子として、御自由に脳内で擬人化して下さい。
次回は、普通に修学旅行します。




