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27話目 剣、母との別れ

十六年前の六月。


聖家に、双子の女の子――翼と希が生まれた。


新たな命の誕生を祝い、喜びに包まれている筈の聖家。


だが、父親の敏郎も。長女の光も。笑顔を見せる余裕がなかった。


母親の芽生(めい)が、帝王切開による出産中に意識を失い、目を覚まさずにいたからである。


正しく言えば、このまま二度と、目を覚まさないかもしれないからだ。


病魔に侵され、体力を失っていた芽生には元々、通常の出産に耐えられるだけの力は残っていなかった。それは、帝王切開での出産であっても変わりはしない。どちらにしろ、産後に回復出来る見込みは無かったのである。


近所でも評判の若く美しかった容姿は面影を残すのみで、頬は痩せこけ、表情からは生気が抜け落ちている。


病室のベッドで眠る芽生の傍らで、敏郎と光が寄り添い、共に憔悴仕切った顔で芽生の手を握り続けていた。産後から丸一日以上、二人は家に帰れずにいたのである。


扉がノックされ、若い女性と、その女性に手を引かれて剣が入ってきた。


「兄貴、光、メシ買ってきたから少し休みな。義姉さんは私達が見てるからさ」


敏郎を兄貴と呼ぶ若い女性。聖(ひびき)は敏郎の実の妹である。この当時、敏郎の家に居候して大学生をしていた。


「響、でも……」


「でもじゃねぇだろ。ひっでぇ顔してるぞ光も!義姉さんが起きたら逆に心配されんだろーが。メシ食う気力がねーなら、せめて顔でも洗ってきやがれ!」


口調は荒々しいが、敏郎達をとても心配しているが故の言動である。響も、本当は芽生を傍で見守っていたいと思っている。だが、それでは幼すぎる剣の世話をする人間がいない。ある意味、敏郎よりも保護者として責任感が強かった。


そんな中、剣は光にトコトコ近付くと、優しく背中をさすさす撫でた。


「お姉ちゃん。ごはん、たべて」


「剣……うん。ありがと」


光は剣を短く抱き締めると、響からコンビニ袋を引ったくるようにして、病室から出ていった。涙を流しながら。


「ほら、光より聞き分けねー事してんじゃねーよ。義姉さんが目を覚ましたら直ぐに呼びにいくから……少しでもマシな顔を用意しとけよ馬鹿兄貴」


「……ああ、そうだね」


後ろ髪を引かれながら、敏郎も病室を後にした。


響は敏郎と入れ替わりに椅子に座り、自分の膝の上に剣を座らせた。剣を抱き締め、頭を撫でながら、今にも泣き出しそうな、悲壮な表情で芽生を見つめる。


「響ちゃん、ありがと」


「な、何がだよ剣?」


「お父さんとお姉ちゃんを休ませたくて、わざと乱暴に言ってくれたでしょ?あのままだと、倒れちゃうから」


膝の上から響を見上げる剣の表情は、無表情である。言葉も、淡々としている。まるで、感情の無いロボットが決められた台詞を喋っているかのようにも見える。


だが、見慣れない者にとっては不気味にも映るであろう剣の挙動は、生まれた時から面倒を見ている響にとっては、むしろ好ましい反応であった。


「……あ~あ、剣には判っちまうんだな。ホント、子供らしくねー奴!でも、優しくて可愛いわ!」


響は剣の頭を撫でていた手を、掻き回すように髪を乱暴にわしゃわしゃした。


「お前はさ、もうちっと甘えた方が良いな。ったく、人の心の機微には悟いくせに、どうして自分の感情が表情に出ないかね?」


それは、生まれつき前世の記憶を持つが故の悪癖とも云えた。


人間に転生した時点で理性が既に完成していた為、剣は普通の赤子が本能的に行う行動の全てを、理性的に考えてから行動に移していた。


本来、成長過程で自然に学習すべき言語や生活に関わる知識も理性的に学習した為、本能的に感情を表現する事が苦手になっていたのである。


「……僕は、やっぱり、普通じゃない?」


「そーだな。光が今の剣ぐらいの頃は、比べ物にならないぐらい、我が儘でな。ホントにちみっこらしかったな。好奇心旺盛で、目を離すと直ぐ勝手にどっか行っちまうって、義姉さん……私に楽しそうに愚痴ってたなあ……」


「そう、なんだ……僕が普通な方が、お母さん、良かったのかな?」


「……さあな。でも、義姉さんは一度だって剣にそんな事を望んだりしなかったよ。不思議がってはいたけどな。でも……そうだな、義姉さんが目を覚ましたら、おもいっきり甘えてやれ。それが子供の役目ってもんだ」


「うん。……わかった」


響にとって、剣は本当に聞き分けの良い子であった。都合の良い子と表現した方が正しかったとすら云える。


芽生が妊娠して、病気に侵されている事が判明してから、光の方が我が儘で困らされたと響は実感していたぐらいだった。それは、まだ小学生にもなっていない幼児なのだから当たり前で仕方のない事である。


芽生が、もう助からないであろう事も、遠からず死が訪れるであろう事も、光には理解しきれてはいないのだろう。


だが、響には剣が芽生の事を理解しているのだと感じられていた。剣に芽生の病気について説明をしたことすら無いのに、光よりも、或いは敏郎以上に、現実を理解して向き合っているように思えていた。


敏郎も光も、自分の事以外に余裕が無い中、剣だけは家族への思いやりを忘れたいなかったからだ。現に今も、眠り続けている芽生に声すらかけようとせず、響の膝の上で、小さな拳を、ぎゅっと握り締めている。じっと堪えている。誰よりも。


「う……」


それは唐突に、静かに呼吸しているだけだった芽生が、呻いた。


剣を抱えたまま、響は恐る恐る芽生の顔を覗き込んだ。すると、ゆっくりと、芽生が瞼を開いた。


「……剣?……響、ちゃん?」


「……ああ!私だよ……義姉さん!」


「……ここは?……そうだ、赤ちゃん……は?」


「大丈夫だよ。二人とも、元気に生まれたから……そうだ!医者呼ばないと!剣はお父さん達呼んでこい!」


「うん!」


剣は響の腕から解放されると、直ぐに病室から飛び出して行った。その間に響はナースコールで医師への連絡を済ませる。


「ふう、これで良し、と。……義姉さん、身体は?」


「駄目……全然、力が入らない……」


「いや、動くなっての。帝王切開してんだし。判りきってただろうけど、冗談じゃなく死ぬから」


「……あはは、本当に死んじゃう人に、それは酷いや……」


「ふん。言ってやりたい文句はたっぷりあるんだ。こんなんじゃ足りねえよ。……でも、まあ……よく頑張ったんじゃねーか?……おめでとうさん」


「ありがとう……響ちゃん」


その後、光と剣を両脇に抱えて、敏郎が息を切らせて駆け込んで来た。敏郎も光も言葉にならない程に泣き咽び、芽生の手を握り続けた。そして、剣は芽生のベッドの隅に肘をついて、静かに家族を見守っていた。響には、剣の表情がほんのり優しく、そして、哀しそうに見えていた。


やがて、医師と看護師により、双子が芽生のもとへ連れられてきた。敏郎と響に支えられ、芽生は双子を抱き締めた。


それが、翼と希が、実の母に抱かれた一度きりの機会だった。




ずっと芽生に付きっきりであった敏郎と光に、遂に限界が訪れ、二人は響の運転する車で家へと帰された。現在、病室には芽生と剣しかいない。


それは、響から剣への心遣いでもあった。父や姉への気遣いが過ぎる剣に、母親を独占出来る時間を与えたかったのである。


「ねえ、剣」


「何?お母さん」


「剣も、これでお兄ちゃんね」


「うん」


「翼と、希。二人もいて、大変だと思うけど、大切にね」


「分かってるよ。約束する」


「そう……不思議だけど、剣は、本当に、解っているのね……」


「…………」


「ごめんね。お母さん、剣が良い子で、甘えちゃってたね」


「ううん。僕の方こそ、上手く甘えられなくて……ごめんなさい」


「……本当に、どうなっているのかしら……子供にこんな事

言わせちゃうなんて……」


「……お母さん。僕、お母さんに隠してた事があるんだ。僕が、普通じゃない理由が。……僕の話、聞いてくれる?とても、信じられないと思うけど……」


芽生の手を握る剣の手から、震えが伝わっていた。剣が話そうとしている事は、芽生に拒絶されるような内容なのだと、少なくとも剣はそう考えていると、芽生には理解出来た。


「うん。話して。剣が話してくれることなら、お母さんは信じるから」


「ありがとう、お母さん。……それじゃ話すね?」


剣は自身の前世での経験を、芽生に語り出した。




「世界を、人間達を守る使命と、その為の力を神様から与えられた女の子は、最後の最後で、全てを捨てたんだ。ボロボロになった、ずっと共に在った、喋る剣だけを守ろうとして。その子にとって、その剣に比べたら、世界なんて守るに値しないと気付いてしまったんだ。そして、そんな女の子は、剣にとっても護りたい存在……娘みたいに想っていたんだ。だから、その剣は女の子を殺そうとする敵へと自ら突き刺さり、道連れにして、折れて砕けた。……その剣が、僕の前世なんだ」


要約しても、二歳の幼児が話すには長く、理路整然とした内容だった。芽生にとっては、想像すらしていなかった異世界での物語である。信じ難い内容だったが、話したのは剣なのだ。一体誰が、こんな話を入れ知恵出来るというのか?


「普通じゃない……どころじゃないよね?人間でも、動物でもなく、生き物ですらない……化物だったんだから。中身が化物でなければ、聖剣(ひじりつるぎ)は、普通の子供らしく育ったんだと思う。ごめんね。僕みたいな変なのが生まれてきて……」


「剣!ごめんねなんて、言わないで……逆よ。貴方が私の子に生まれてくれた事に、私は感謝をするしかないの……だって、普通の子供なら、こんなに小さかった頃の事なんて、きっと、忘れちゃうもの……嬉しいなあ……剣はきっと、お母さんをずっと忘れずにいてくれるから……」


「お母さん……僕みたいな、化物でも、お母さんの子で、いいの?」


「うふふ……だって、私達似た者親子じゃない?お互い、自分の娘を守りたくて命を捨てちゃうんだから……とんでもない馬鹿親子だあ……」


「……うん。そうだね」


「何だろ……無事に翼と希が生まれてくれただけで、充分過ぎる程幸せだったのに、こんなに愉快な気分にもなれちゃうなんて……剣、私の分も、翼と希を、幸せにしてあげてね」


「うん」


「光と、仲良くね。支えてあげてね」


「うん」


「お父さんは……弱い人だから、そのうち、お母さん以外の人と結婚するかもしれないけど……許してあげてね?」


「うん」


「響ちゃんの言うこと、ちゃんと聴くのよ?」


「うん」


「剣、みんなを幸せにして、貴方も幸せに、なりなさい」


「……うん」


剣の瞳から、一筋の涙が零れていた。


「……剣の、涙。初めて見たわ。ありがとう……剣が、普通の子でも、化物でも……関係ない……とても、優しい……私の子ども……」


「あかあ……さん」


「ありがとう……剣のお陰で、何も……心配、なくなっ……ちゃったよ。とても……安らか……でも」


芽生は、今まで剣が見てきた最高の笑顔のままで、瞳を閉じた。


「もっと、みんなと生きたかったなあ……」


その翌日、目を覚ますことなく、芽生は息を引き取った。


とても美しく、穏やかな笑顔のままで。




「……と、まあ俺達の母さんは、自分の命を犠牲にして翼と希を産んだわけだ。自分か子供か、どちらの命か天秤にかけてな」


剣は、芽生との離別の思いでを、小町に優しく語りかけた。無論、前世云々は包み隠したままで。


小町は当然、遥と希にとっても初耳であり、それとなく察していた桜は目を伏せていた。


「小町の意見と、どっちが正しいのかなんて問題じゃない。自分の命や、家庭的事情を優先する判断を、将来小町が選択したとしても、俺は尊重するつもりでいる。でも、俺も姉さんも、母さんが命掛けでした選択を、子供を優先してくれた事を尊敬して、感謝しているから。そうせずには、いられないんだ」


「そんな事が、あったなんて……私、浅はかだ……」


「だからって、どんな理由があっても子供を産むべきだとは思ってないからな?強姦されて出来た場合とか、望まない場合だって世の中にはあるからな。……ただ、そうでもなく、ちゃんと避妊せずに出来た場合は、責任とるべきだと思うけどな」


そういった意味で、光は責任逃れはしていないのである。


「ん……納得した。話してくれて、ありがとう。兄さん。……もし、光姉さんに何かあっても、私がその子を責任もって育てるから安心して!」


「小町ー?お姉ちゃん健康だからね?ちゃんと育てるからね?」


「こまたん、極端」


「剣が過保護なのって、お袋さんと約束したからか?」


「義母上様の願い通りに、翼姉様と希姉様は、のびのび幸せに育たれのであります」


「お母さんには、感謝するのみ」


「たった一度。でも、その事実で充分過ぎる」


翼と希の部屋には、たったの一度、両親と光、剣との、六人での記念写真が飾られている。その写真に写る母の顔は、とても窶れているのに、誰よりも幸せな笑顔を浮かべていた。


「まあ結局、姉さんが婚約しようと、妊娠しようと、俺達は納得するしかないんだけどな……ただ、皆に共有してもらいたい事として」


その時、電話の着信音が鳴った!


「あ、すいません私です。お母さんからです」


実鳥の携帯電話だった。スマホではなく、ガラケーである。


「もしもし?お母さん?」


「実鳥?どう?元気にしてる?変わった事はない?」


「うん。みんな元気だよ。変わった事……これ、お義父さんにはまだ内緒にしててね?光さんが」


剣さんの第七感(セブンセンシズ)!予感を越えた、未来が見えた!


「ちょっ!?実鳥ちゃんストップ!」


「赤ちゃん出来たって」


……間に合わなかった。


どがっしゃーん!


携帯から、実鳥の耳に、劈くような激しい落下音と、美鈴の悲鳴が響いた。


「な、なにこれ?」


「実鳥ちゃん。ケータイ、ちょっと代わって……美鈴さん?剣ですけど」


「剣くん?た、大変なの!敏郎さんが足を滑らせて!ああ、血が!誰か救急車!レスキュー呼んで!ごめんなさい!後でまた連絡するから!」


プツン!ツー…………どうやら、あっちはスピーカー通話だったらしい。


「えーと……桜、燕が帰るの遅れそうかも」




後日。


敏郎の怪我は生命に別状ない事が判明して、みんな胸を撫で下ろした。だが、頭を打った後遺症か、事故前後の記憶だけ定かでなくなっていたそうな。


「もっかい、あんのか……?」




……オチは平常運転でした。

次回は、四月の高校っぽい話。

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