03
あれほど騒がしかった店内が一瞬の沈黙に包まれる。まるで、写真を見せられているような錯覚に見舞われるほど、皆が動きを止め、静まり返っていた。
ハッと客の一人が思い出したように拍手を送ると、止まっていた時間が動きだし、周りも拍手や指笛などでエールを送る。
先程、裏へ連れて行かれたナバリがステージの上に座っているが、店に訪れた時の如何にも旅人といった格好が嘘のように、しっかりとした衣装に身を包んでいる。
額には大粒の汗が滲む。おそらく舞台化粧もしてるのと思われるが、この汗では落ちているのではないか心配になるほどだ。
いつも路上でやっている演奏とは違い、ここではナバリを見てくれるために立ち止まった人々ではなく、そこにいる人々に聞かせる演奏である。
路上ならばナバリの演奏を好んで止まった人々だから、終わればそれなりに盛り上がってくれる。だが、今、目の前にしている客は全員が、ナバリの演奏を聴きたいわけではない。
気に入らなければブーイングだって巻き起こるだろう。
今ままで旅をしてきても、それは異質な緊張感であった。
時間にして三、四十分といったところだろうか?
出し切った。今できる最高のパフォーマンスができたという自信はあったが、それでも受け入れてもらえるかの、不安は拭いきれずにいた。
だが、結果はナバリの不安をかき消すには、十分すぎるほどではないか。
席を立ち一礼すると、それまでのエールが一層大きくなり、ナバリがステージの裏へ回るまで続いた。
「お疲れさん!あんた凄いじゃないか!」
興奮気味のシュリに裏でタオルを手渡たれる。
「親父の客だって言われた時は、どこの馬の骨かと思ったが、いい馬の骨じゃないか」
「馬の骨には変わりないんですね……」
「あはは!冗談だよ!」
そういってシュリは上機嫌に笑っていた。
「そういやあ、自己紹介がまだだったね。私はシュリ。この店の看板娘で未来の店主さ」
よく考えてみれば、彼女とは自己紹介が、まだであった。
しかし、自分で看板娘とか言っちゃうか。と思っても口にしてはいけないと先程のやり取りを見て学習済みである。
確かに口を開かなければ、かなりの美女である。だが、この性格だからこそ、彼女目当ての客も多いのではないかと思う。
「私は大陸の辺境の地に住む歌の民、名をナバリと申します」
「よろしくな!ところで、なんで旅をしてるんだ?」
「探している場所があるのです」
「探している場所?どこなんだい?」
ナバリはその問いに答える為、カバンから一冊の本を取り出すと、しおりを挟んでいる場所を開きシュリに手渡す。
「我々、歌の民の先祖が残した御伽話に登場する、精霊との約束の地「千寿の桜花」を探しているのです」
「何のために?」
その問いにすぐには答えられなかった。
今まで考えたこともなく、物心ついた頃にはそこへ行くと決めていた気がする。
だが、答えはきっとこれしかないだろう。
「好奇心ですかね?先祖の旅した道を私も見てみたいのです」
「そうかい。で、このあたりに、その何とかの桜花はあるのかい?」
「ええ、この地方にあるはずなのですが、詳しい場所は、正直、わかってないんです」
笑顔で返すナバリに、シュリは少し呆れた顔をする。
その顔をみてナバリは昔、千寿の桜花を探しに行くと言った際の、周囲の顔を思い出した。
そんなのはお話だとか、存在する訳ないと散々言われたことを。
「お前、良くそんなんで旅に出れたな」
「よく言われます……」
「で、お前さんはいつまでうちに居る予定だ?」
苦笑いを浮かべていたナバリに対して、シュリは問いかけた。
これはさっさと出て行けと言う事のなのだろうか?
恐る恐る、ナバリは答える。
「明後日の朝には出る予定とジュドとは話しています」
「明後日か、……よし、それまでに客からそれっぽい情報を持ってないか、聞き出しといてやるよ!」
否定的な言葉を掛けられるとばかり思っていた。
しかし、彼女の口からは自分を手伝ってくれるかのような言葉が出たのだ!
これにはナバリも動揺を隠せない。
「え、いや、あの、え、バカにしないんですか?否定しないんですか?そんなのあるわけないって?」
「なんだ?否定してほしかったのか?
「いや、そう言う訳では……」
「夢があっていいじゃねえか!そういう夢持ってるやつはきらいじゃねぇんだ」
今まで否定ばかり受けていた夢を初めて認めてもらい、どのような言葉を出して良いかわからなくなってしまった。
「シュリさん!早く戻ってください!」
表のホールからヘルプが飛びそれに対し、シュリは今いくと短く返す。
「うちは客には商人も多いからよ、そいつらなら何か知ってるかもしれねえし、聞いてみるさ。じゃあ、私は戻るよ」
「ああ、ありがとう」
「いいって事よ。その代りあんたは、うちにいる間、いい演奏頼むよ」
そういうとシュリはステージ横の扉からホールへと出て行った。
残されたナバリはうれしさとちょっとした気恥ずかしさ、そして、人から受けた優しさを噛みしめるように、余韻に浸ってしばらく立ち尽くしていた。