記憶の共有
さっき俺たちがやってきた方向から歩いてくる、ふんわりとした雰囲気の少年。短めの黒髪で、目尻がかなり下がっている。歩き方もどこかふわふわとしており、全体的に穏やかで優しそうなイメージが伝わってくる。
俺は彼の呼びかけに応じようとするも、ついヨスガの反応が気になり彼女に目を向けた。すると、彼女の顔は怯えているかのように引き攣っており、体中が小刻みに震えていた。
――これは不味い。
そう思う間もなく、ヨスガは白目をむき俺に倒れ掛かってきた。咄嗟に抱き留めるも、たちまち彼女の体に異変が現れ始める。純白だったドレスが少しずつ真っ赤に染まってゆき、礼儀正しく穏やかだった雰囲気が霧散。不敵で酷薄に感じられる、どこか大人びた少女――アリスへと入れ替わった。
突然の少女の変化に驚き、垂れ目の少年は説明を求めるように俺を振り返った。
「これは、一体何が起こったのですか?」
「説明しようとすると長くなる……こともないか。端的に言うとその少女は二重人格なんだよ。さっきまで白いドレスを着てた方が主人格のヨスガ。なんかビックリすることがあると簡単に気絶するひ弱少女だ。で、この真っ赤なドレスを着ている少女がアリス。ヨスガが気絶したりして意識を失うと代わりに出てくる人格で、無駄に大人びた変な口調の女の子だ」
俺の説明を聞き、いまだ目を覚まさないアリスを困惑気に見つめる少年。そうすんなりと納得できることでもないだろうから、困惑するのも当然か。
と、少年は申し訳なさそうに口を開いた。
「もし今の話が本当なら、僕はヨスガさんを驚かせてしまったことになりますよね。何かしてはいけないようなことをしてしまったのでしょうか?」
まず最初にそっちを気にするか。随分と気苦労の多そうな少年だ。
「それは気にしなくていいと思うよ。俺が初めて会った時も、顔を見た瞬間速攻で気絶してたから。それに一度アリスになればしばらくは元に戻らないし、アリスの方は気遣いとか無用な変女だから」
「誰が変女じゃ、こら。人が気絶しているのをいいことに何好きかって言っておる」
俺の顎に強烈な頭突きを行いつつ、アリスは酷薄な笑みを浮かべながらそう言った。
思った以上の衝撃にくらくらしながらも、何とか言葉をひねり出す。
「アリス、お帰りなさい……」
アリスは華麗に俺の挨拶をスルーすると、垂れ目の少年に向き直った。
「初めましてじゃの。儂の名は天上院アリス。短い付き合いになるだろうがよろしく頼むの」
「あ、はい。僕は佐藤陸と言います。こちらこそよろしくお願いします」
俺を抜きにして勝手に挨拶を交わす二人。そういえばアリスの説明をしているばかりで少年の名すら聞いていなかった。ここは流れに便乗して俺も挨拶をせねば。
「俺の名前は霧切ミストだ。よろしくな、陸君」
「はい、宜しくお願いします」
握手を交わしながら、お互い笑顔で挨拶をすます。
彼のほんわかした顔を見ていると、ついつい気が緩むのを感じる。ヨスガとはまた違った可愛らしさの持ち主だ。きっと男にも女にもモテることだろう。
「して、陸とやらはどうして儂らに話しかけたのじゃ。ここにいるということは蘇るための条件も知っておるだろうに。徒党を組んでもあまり良い結果にはならぬと思うがの」
アリスは俺のような感慨には浸らないらしく、実に淡々と話を進める。全く、ヨスガとは違って可愛げのない少女だ。
そんな雑念が顔に出ていたのか、アリスがじろりとこちらを睨んでくる。必死に顔を背けていると、陸が口を開いた。
「お恥ずかしい話、一人でいるのがどうしても怖かったんです。一人しか生き返れない以上、こうして仲間を作るのはあまり正しい選択肢でないと分かっています。仮に裏切られたとしても文句は言えませんし、囮にされることだってあるでしょうから。でも、一人でいることの方がずっと……。挨拶をした後に頼むのは順番が逆で変な気もしますが、どうか僕をお二人の仲間に加えてもらえませんか。ただ一緒に行動させてくれるだけでもいいですから」
頭を下げて懇願される。
俺はアリスの肩を軽くたたくと、陸に向かって言った。
「こっちこそ挨拶した後で何だけど、ちょっとだけ考えさせてくれないかな。陸君には悪いけど、君が俺たちを嵌めるつもりで接触してきた可能性も考えないわけにはいかないからさ」
「もちろん構いません。でも、僕がお二人を嵌めようなどと思っていないことは事実ですよ」
そう答えた陸に対して軽く会釈すると、アリスを連れて少し場所を移動した。
陸に聞こえないよう声を潜め、アリスの耳元で囁く。
「取り敢えず今に至るまでの経緯だけど、ヨスガとしばらくこの建物を歩いてたら死神を見つけたんだ。すると、その死神がここにある壁をスーッと通り抜けて消えるという事件が起こって、どういうことなのか調査を行ってみた。で、よく分からんという結論に達したところで陸が出てきてヨスガが気絶。そしてアリス再登場というのがここまでの流れだ――って、どうした? そんな変な顔して」
せっかくここまでの経緯を説明してやったというのに、なぜかアリスは怪訝な表情で俺を見つめてくる。どこで機嫌を損ねるようなことをしたのか考えていると、アリスが口を開いた。
「なぜ、わざわざそんなことを説明する? ヨスガがそこまで話したのか?」
「そこまでってどこまで――ああ、もしかしてヨスガの記憶をアリスは共有してないって話?」
「そうじゃ。ヨスガは儂が動いている際の記憶を丸ごと有しているが、その反対はない。このことはお主に告げていなかったはずじゃが?」
「いやさ、普通こういう二重人格とかって、主人格だけが全ての記憶を有しているってイメージがあったから。それにアリスの服がヨスガと違う理由。もし二人が同じ記憶を共有しているなら、どちらの服も飛行機事故が起こる直前にヨスガが着ていた服になってるはずだろ? なのにアリスの服が違うってことは、アリスはヨスガの記憶を共有してないってことになる」
「しかし、儂はさも今の状況を知っているようにお主と話をしていたじゃろ。この建物にいることを当然のように受け入れ、死神からの説明だって知っていた。むしろ儂とアリスが同じ記憶を共有していると捉える方が自然なのではないか?」
「そんなことはないよ。ヨスガと話してて思ったんだけど、会話しようと思えばヨスガとアリスって会話できるんだろ? ヨスガが君のことを話すときは、何だか自分のことというよりも友人について話してるみたいだったし。それに何より最初の言葉。『お主、儂の体に何かしたかの』って聞いてきたよな。もし記憶を共有しているなら俺が何もしてないのは分かるはずだし、こんなことを聞いてくる道理はない。つまり、アリスはヨスガの記憶を共有してないってわけだ」
淡々と説明を言い終える。まあ実際のところ、一番最初に言った二重人格に対するイメージが最大の要因だったりする。それ以外の要素は後からとってつけたもので、アリスに聞かれるまで真面目に考えたりはしていなかった。
そんな俺の本心とは裏腹に、アリスは感心した様子で頷いている。
「成る程の。言われてみればその通りじゃ。特に隠し立てしていたことではないが、そこまで思考を巡らせ儂とヨスガの関係に気づけるとは。少しばかり認識を改めなくてはならんの」
「ちなみに今までの俺への認識ってどんなだったの?」
「危機感の欠如したポンコツ人間じゃな」
「想像してたよりずいぶんとひどい評価だ!」
ちょっぴり涙が出そうになる。そりゃ大したことは何もしてないし、影がないことにも気づかなかったけど!
まあ今回のことでちょっとでも評価が上がったのならいいか。
無理やり自分を納得させると、放置したままの陸へと視線を向けた。
「さて、彼の参加は認める? それとも認めない? そもそも俺たちの間にも明確な同盟関係はないし、こんなことを聞くのも変な気はするけど。でももうしばらくの間は一緒に行動するだろ」
「そうじゃの。いざというときの盾を失いたくはないしの。あの男の加入に関しては、認めるべき、というのが儂の答えじゃ。お主はどうなのじゃ?」
「俺もアリスと同意見だよ。この建物内で罠を仕掛けるのは現実的じゃない。同じ場所に戻るのも困難だし、まず罠を掛けるための道具がない。やるとしたら死神に出くわしたときに裏切って俺らを囮に使うくらいだろうけど、その程度ならいくらでも対処できる」
「目の届かないところにいられる方が恐ろしくもあるしの。では、加入を認めるということで決定じゃな」
お互い頷きあい、一人寂しく佇んでいた陸の元へ向かう。
戻ってきた俺たちを見て、陸はビクビクしながら尋ねた。
「それで、僕はお二人に付いていってもよろしいのでしょうか?」
「はい。困ったときはお互いさまって言いますし、歓迎しますよ」
にこやかな笑顔を浮かべながら頷く。隣にいるアリスが気味の悪そうな目で見つめてくるが気にしない。
陸は瞳を輝かせると、何度も頭を下げて感謝の言葉を告げてきた。
それらの言葉を適当に受け流すと、指を通路の先に向けて言った。
「じゃ、そろそろ移動しましょうか。あんまり一か所に長居し続けるのは危険な気がしますから」