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三途の館  作者: 天草一樹
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二重人格の少女

 白い壁。白い床。白い天井。

 どこを見渡しても全て真っ白。不意に目に入る自分の肌色の素肌と、着ている紺のジャケットだけが俺の網膜に刺激を与える。

 今がどこなのかなんてさっぱりわからないが、さすがにもう十分だろと思い走るのをやめる。

 まるで迷路のように入り組んだ建物。どれだけの広さなのか想像もつかないが、走ってみた感想としては実は結構狭いんじゃないかと思えた。というのも、どちらか一方に突き進もうとしても途中で壁が立ちふさがり、結果として元来た方向へと引き返さなければならないような道順になっていたからだ。

 それにしても……

「この場所をどう認識すればいいのか迷うな。俺の記憶が確かなら、飛行機事故に巻き込まれたのは間違いないんだ。それにさっき起こった異常事態。それらを考慮するならこれは夢なんかじゃなく現実であると言えるのだが――現実基準で考えるのもなんか間違ってるよな。頭に直接流れ込んできた言葉が確かなら生と死の狭間らしいし。三途の川を渡る人を選ぶために集められた建物なら三途の川近くにあるのかな?」

 とりあえずこの場所を『三途の館』と名付けよう。そう考えたところで、不意にすすり泣くような声が聞こえてきた。

 一瞬びくりと体を震わせるが、すぐにあれ(・・)ではないだろうと思い直す。あれ(・・)がすすり泣いているところなど全く想像できないから。ところで、あれ(・・)が死神だということは間違いないよな? まさかあれほど死神っぽい格好してながら、死神とは関係ない別の生き物ですとかだったら最悪なんて言葉では語りつくせない。

 と、いい加減すすり泣きの正体を確認するべきか。

 俺は慎重に声のする方へと足を進めていく。白い壁から顔を半分だけ出して、声のする空間をのぞき込むと、そこには一人の少女が座り込んでいた。

 この状況に恐怖してか、あたりを警戒する様子もなくぽろぽろと涙を流してしゃくり上げる少女。着ている洋服はこの館の色と一緒の真っ白いドレス。

 そういえば一度だけ機内で見かけた覚えがある。純白のドレスに身を包んだ長い金髪の少女。人形のように整った顔立ちで、ある種造形美的な美しさを醸し出していた。

 あと十年もすればそれはもう美人な女性になっただろうに、こんな幼いうちに死んでしまうなんて勿体ないことだ。いや、ここで死神に捕まることなく逃げ切れれば蘇れるのか。でも彼女が蘇るってことは俺が死ぬということだから、いささか許容できない事態であって……。

 ともあれ、俺も鬼じゃない。こんな場所で一人泣いている少女を放置することなんてできない。

 少女にできるだけ恐怖心を与えないよう配慮しながら、俺は優しく声をかけた。

「君、大丈夫かい? 突然こんな場所に連れて来られて怖いのは分かるけど、泣いてるとさっきの死神が来るかもしれないし泣き止んだ方が……ええと、聞こえてる?」

 話しかけても振り返ることすらせず泣き続ける少女。

 普段は全く子供と関わることがなかったため、こうした場合何をすればいいのかさっぱり分からない。無理に話しかけ続けるのも逆効果かと思い、彼女の横にしゃがみこんでじっと泣き止むのを待つことにする。

 一分経過。

 二分経過。

 三分経過。

 四分経過。

 五分経過。

 …………。

 そろそろ話しかけてもいいだろうか……。待てど暮らせど泣き止む気配も振り返る気配もない。

 いい加減存在くらいは認識してもらいたいし、このままここにいるのはやっぱりまずい気がする。俺は意を決して彼女の肩を軽く手で叩いてみた。

「おーい、いい加減泣き止んだ方が……って、マジか。こいつ気絶しやがった」

 肩を叩いた直後、首がねじ切れるんじゃないかという勢いで少女は振り返ってくれた。そして驚愕の瞳で俺の姿を見つめると、驚きのあまりか白目をむいてぱったりと倒れ込んでしまった。

 どうやら本当に俺の声が聞こえていなかったようだが――これはどうしたらいいものか? まさかこのまま放置しておくわけにもいかないが、かといって迷子センターとかあるわけないし。

 気絶した少女の横に立ち、ああでもないこうでもないと考え込むこと数十秒。俺の思考は突如聞こえてきた尊大な声により断ち切られた。

「お主、儂の体に何かしたかの?」

 ?

 どこから声がしたのか分からず、慌てて周りをぐるりと見まわした。だが、当然のように人の気配はゼロ。この空間には俺と気絶している少女の二人しかいない。

 もしかしてまた頭に直接喋りかけられたのかと思い、目を閉じて意識を脳に集中してみる。と、急に足に痛みが走った。

「痛い……って、うん? 君、誰?」

 足に視線を落とした俺の目に飛び込んできたのは、真っ赤なドレスを着て、背筋が凍るような薄ら笑いを浮かべた不敵な面構えの少女だった。

 何が起こっているかよく分からず困惑している俺に対し、真っ赤なドレスを着た少女が口を開いた。

「お主、いつまでボケッとしているつもりじゃ。このままここにいては死神とやらが襲ってきて危険なのであろう? 早く移動した方がよいのではないか」

「ん、まあそうだな。一か所にい続けるってのは見つかる危険が高くなりそうだし、移動した方がいいか」

「ずいぶんと危機感のない男じゃな。まあよい、さっさと移動しようぞ」

「ああ」

 少女の指示に従い、さっき来た通路とは別の通路へと向かって歩き始める。妙に尊大な少女も、当然のように俺の後ろをついてくる。

 しばらく何も話さずに通路を適当に歩いていった後、俺は少女に言った。

「で、君誰なの? さっき俺を見た瞬間に白目をむいて気絶した少女はどこへ?」

「ようやくその質問か。あまりにもすんなりと受け入れてくるから、儂の方こそいつ質問しようかとそわそわしてしまったではないか」

「はぁ、それはすみません。それで、君はさっきの白目少女とどういう関係で? まさか全くの無関係なんてことはないよね」

「無論じゃ。儂はお主の言う白目少女と肉体を同じくする、全く異なる存在じゃよ」

「ああ、もしかして二重人格とかいうやつ? さっきの白目少女が主人格で、危機に陥ったりして精神が不安定になると君が出てくるとか?」

「……恐ろしいまでに理解が早いのう。まあお主の言う通りじゃな。あやつは――まあ儂自身のことではあるが――如何せん情緒が不安定なやつでの。昔からことあるごとに気絶ばかりしておったのじゃ。それでこのままだと生きていくのが難しかろうということで、儂という人格があやつの中に誕生した。先もわけがわからず泣いておる所に突然お主が現れたから、驚きで人格が儂と交代してしまったようじゃな」

「それって、謝ったりしたほうがいいことだったりする?」

「いや、あのまま泣き続けているようならいずれ儂と交代しただろうからの。遅いか早いかの違いだけであるし、お主が気にかけることではないの」

「それは良かったです」

 ――何だろうこの会話? あまりにも場違いな気がするんだが、これでいいのか? まあ死神から逃げ回る以外やることがないんだし、今は話して時間を潰すくらいしかできないか。

「ところで、君って名前なんて言うの? あ、二重人格――正式名称は解離性同一性障害だっけ――の場合主人格と別人格でそれぞれ名前が違ったりする? まあいいや、もし二つ名前があるなら両方とも教えてよ」

 少女は酷薄そうな笑みを浮かべると、俺を試すかのように聞いてきた。

「わざわざ名前を言う必要なぞあるかの? ここから蘇れるのは一人だけ。今儂の名前を聞いたところで、あと数時間後には無意味になろうぞ」

「数時間後に無意味になろうと今は意味あるだろ? 名前分かんないとなんて呼んでいいか分かりずらいし、小難しいこと言わずに教えてくれると嬉しいんだけど」

「……ほんとにお主は変わったやつじゃの。まあよい。儂の名前は天上院アリスじゃ。主人格の方の名は天上院ヨスガ。区別がつきやすいように下の名で呼んでくれて構わんぞ。それで、お主の名は何というのじゃ」

「アリスとヨスガね。それにしてもこんな不思議な場所でアリスに会うなんて、なんか運命じみてるなぁ。あ、俺の名前は霧切ミストだ。宜しくな、アリス」

「人のことは言えんがお主もかなり変な名前じゃの。ではしばらくの間宜しくの、ミスト」

 律儀にも、お互い握手を交わして自己紹介を終える。

 漫画や小説ならこの瞬間に死神が出てきて一方が死んだりするのかもしれないが、特にそんなことは起こらず再び一緒に歩き出す。

 しかし歩いているとはいえ、目的地があるというわけではない。死神から逃げるというのが一番の理由なのだろうが、そもそも死神がどこにいるのかも分かっていない以上歩くことが本当に正しいのかどうかも微妙だ。実際に死神に出くわしたときのことを考えて、体力温存のためにじっとしている方がいいのかもしれない。

 ――まあ歩くけど。

 ふと、俺は隣を歩くアリスへと目を向ける。彼女の存在についてはさっきの回答で満足――というわけではないが、今ここで詳しく知ろうとする必要性は感じないので置いておく。それよりももっと不思議なことが一つ。

 俺はしっぽの様にゆらゆらと揺れるアリスの髪を見ながら聞いた。

「ところでアリス、君がヨスガと入れ替わったこと自体は納得したけど、それでどうして服の色まで変わったのか教えてくれないか? いくらなんでも人格が交代したからと言って着ている服まで変化したりはしないと思うんだけど」

 ヨスガが着ていたドレスと作りこそ全く同じだが、その色は純白から艶やかな赤色に変わっている。記憶が間違っていないのなら解離性同一性障害は超能力とかの付与効果を有していたりはしなかったはずだ。

 アリスは自分の着ているドレスを眺めながら、「そんなことか」と呟いた。

「ミストだって理解しておるだろうが、ここは普通の世界とは少しばかり異なる世界――もとい空間のようじゃ。儂らの本体は今病院に運ばれているらしいからの。では、ここにいる儂らとはどのような存在なのか? 陳腐な言い方になってしまうが、おそらく魂なのだろう。ある意味今の儂らの体は偽物で、自分自身のイメージがここにいる儂らを形作っているのであろうな。今儂が着ている赤いドレスは、以前儂がヨスガと入れ替わった際に着ていたものじゃ。人格が儂に交替したことで自身を形作るイメージも少し変わったのだろうの」

「イメージで作られた虚像が今の俺、か。しかしそうすると、やろうと思えば別の顔や服装になり放題だったりするのか? だとすればなんか面白そうなんだけど」

「さあの。どんな場所にしろ一定の制限はかけられておるだろうし、何でも可能ということはないじゃろ。まあ試すこと自体は自由だがの。それにしてもこの場所では影がおらんから今自分がどっちに向かっているのか分からず不便じゃな」

「ん、影なくなってるのか?」

「今まで気づいておらんかったのか? ほれ、自分の足元をよく見てみろ。影なんて映ってないじゃろ」

 アリスに言われるまま足元に視線を落とす。確かに彼女が言っている通り、俺の足元からもアリスの足元からも影が一切伸びていなかった。

「なんていうか、マジで異世界に来たって感じだな。ちょっとだけテンションが上がる」

 そんな呑気な発言をしていると、アリスがどこか憐れむような視線を投げかけてきた。

「お主には危機感というものがないのかの? もっと慌てふためいてパニック状態に陥るのが当然の反応だろうに」

「ああ、俺って感情がないっていうかすっごく薄い人間なんだよね。幼少期から一貫してあだ名が『ロボット』だったし。驚くべきことにこのあだ名がぶれたことは一度もないんだよ」

「そんな自信満々に言われても反応に困るのじゃが……」

「しかし俺もそうだけどアリスもかなり落ち着いてるよな。子供とは思えないというか――アリスって今何歳なの?」

「儂に年齢なんて概念は存在せんよ。ヨスガの年齢は八歳だが、それは儂とは関係ないものでな。わしの存在理由を考えるなら――と、あやつもだいぶ落ち着いてきたようじゃ。ミスト、お主には迷惑かもしれんがしばらくの間ヨスガを頼むぞ」

「え、おう」

 俺が返事をすると同時にアリスが床に倒れ込んだ。大丈夫かと聞こうとする前に、アリスの体に変化が起こり始める。先程まで漂わせていた酷薄な雰囲気が掻き消え、真っ赤なドレスが白に染まっていった。

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