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本を借りました

 しょんぼりしながら自動ドアをくぐる。

 これで三軒目。個人経営じゃない、チェーンの大きな書店は全部回った。全滅だ。


 今日はバイトはお休みで、わたしは安里さんの本を探しに本屋さんをはしごしていた。

 家で調べてみたら、安里弦で引っかかってくる本はほとんどなかった。

 その中で一番最初に出版された本が五年くらい前のもの。何かの賞をとったらしいその本は、ネットで買おうとしても品切れで再入荷未定。二冊目と三冊目も同じ。

 それでも一生懸命調べたら、文芸誌に時々書いているってことはわかったけれど、掲載されてる号がわからないとバックナンバーのお取り寄せもできない。

 思った以上にマイナーな作家さんなのかもしれないと思うと、ますますぴかぴかした真新しい本を買って読んであげたくなる。

 だから、わたしは大きな本屋さんを回って、安里さんの本を探そうって思ったんだ。結果は惨敗だったけど。


 てくてくと駅への道を歩く。

 楽しみにしてたシリーズの新刊。面白そうだなって思った文庫本。絵がとっても可愛いなとついつい衝動買いした少女漫画。

 わたしのバッグの中はいろんな本でいっぱいだけど、安里さんの本はない。

 あのひとはどんなお話を書くんだろう?

 からころと下駄の音をさせて、綺麗に着付けた着流し姿で、いつもおっとりと微笑んでくれる安里さん。年下のわたしにも丁寧にお話ししてくれる、優しいひと。

 時折、着物からふわりといい匂いがする。


 電車を待っている間、ぼうっとそんなことを考えてしまう。

 わたし、なんだか変だ。


 がたごとと電車はわたしの身体を運んでくれる。

 車内はクーラーが効いていて、火照った身体を冷ましてくれた。ぼうっとしてた頭も少しずつ落ち着いてきて、わたしはほうと息を吐く。


 吊り広告をぼんやり眺めてみたり、車窓を流れる見慣れた景色を見るとはなしに見てみたり。そんなことをしている内に地元の駅に到着する。

 電車を降りるとすぐ暑い。

 湿気をはらんだ熱は身体中にまとわりついてくるみたいで不快だ。どうせならからっとしていたらいいのに。


 家に向かって歩きながら、わたしはふと思いついた。

 そうだ。真新しい本が見当たらないなら、古本を探せばいいんだ。

 天啓が下りてきたような気がして、わたしの心は明るくなる。

 今日は日曜でお店はお休み。明日バイトの時に店主さんにきいてみよう。そう決めて、スキップでもし始めそうな気持ちでわたしは帰路を急いだ。


 翌日、出勤して早々店主さんに詰め寄ってみたら、「安里君の本? ああ、ちょっと待ってごらん」などと言いながら二階に上がっていってしまった。

 未知の空間である二階のお部屋にはお宝の山があるはずなのに、マイナー作家と思われる安里さんの本が置いてあるんだろうか?

 首を傾げながらも、わたしはカウンターに座って店番をしながら店主さんを待った。


「すずちゃん、これでいい?」


 しばらくして戻ってきた店主さんが差し出してくれたのは、ネットで見かけた安里さんの処女作の書影と同じ物だった。

 白っぽかった表紙がなんだかちょっと色褪せているし、紙は日に焼けて変色してる。

 それでも、ソールドアウトの画面を指をくわえてみているよりもずっといい。

 ぱあっと表情を明るくしたわたしに、店主さんが意味ありげに笑った。


「これね、安里君からもらったんだよ。ほら、サイン。いいだろう」


 表紙をめくって、店主さんが見せてくれたのは遊び紙に書かれた安里さんのサイン。流れるような字で安里弦と書いてある。

 ぱたんと表紙を閉じて、店主さんが本を差し出してくれた。わたしはそれを受け取って、じーっと表紙を見つめる。ほうとひとつ吐息を漏らして、今度は裏表紙。

 嬉しい気持ちがじわじわと込み上げてくる。口元が緩んでしまいそう。


 銀と白の中間みたいな色だ。淡い色。それが少しだけ変色して黄色っぽくなってる。紙はすっかり焼けて色を濃くしてしまっていて、真ん中から伸びてる栞紐は先がほつれてた。

 ちっともぴかぴかしてないけれど、わたしはこの子が欲しかった。安里さんや他の常連さんたちも、もしかしたらこんな気持ちで本を探しに来るのかもしれない。


「おじさん、これ、いくら? わたし、買ってもいいかな?」

「え? ああ、これはだめだよ。もらいものだから」


 一瞬で奈落の底に突き落とされたような気がした。

 しょげてしまったわたしを見て、店主さんが苦笑する。


「読みたいなら、貸してあげるから」


 こくんと頷く。


「誰かが売りに来たら、わたし、買ってもいい?」


 店主さんが面白いものを見るような目でわたしを見ながら、「わかった。安里君の本を買い取ったら、すずちゃんに一番に教えてあげるから」と笑う。

 店番しながら読んでもいいよと言われたけど、わたしは首を振って断った。家でゆっくり、大事に読みたいなって思ったから。


 借りた本をバッグに入れて、わたしはいつも通りにお仕事をする。

 ワゴンの山を整理して、棚をひとつひとつ見て回る。乱れた部分を綺麗に並べ直して、はたきで積み上げた本の一番上を撫でるように払っていく。

 そうした合間に店主さんとおしゃべりしたり、お客さんとおしゃべりしたり。一日の半分はおしゃべりしてる内に過ぎていってる気がするけど、これもお仕事だからいいんだもん。


 家に帰って、すぐにお風呂に入った。

 お父さんが戻ってきたらみんなで一緒にいただきますして、食後の団欒もそこそこにわたしは自室へ戻る。

 ぼふんっとベッドに転がって、借りてきた本を開いた。


 ネットで調べたときにあらすじは読んだ。

 でも、なんだか漠然としててどんな話なのかよくわからなかった。内容や結末は知りたくなくて、レビューは開いていない。

 だから、わたしは空っぽの気持ちで読むことができる。

 わくわくする。どきどきもする。まるで遠足に行く前の夜みたい。


 表紙をめくって、安里さんの字を見る。

 ふわりと香るいい匂いが鼻の奥に蘇ってくる気がした。


 ぱらり、とページをめくる。

 そこからはもう、何も考えられない。ひとつ瞬きを落として、わたしはこれからはじまる物語に集中した。



「よく、わかんない……」


 ぱたんと本を閉じて、わたしはぐったりとベッドに身体を沈める。

 壁に掛かった時計を見上げ、日付変更線を跨ぎそうになっていることに気づいてびっくりした。四時間近く経ってる。

 うーんと小さく呻いて、わたしは本の表紙をそっと撫でた。

 言葉の選び方はとても綺麗だと思った。

 難しい言葉は何にも使ってない。出てくる言葉はわたしでもわかるようなものばかり。辞書を引かなきゃと思った場面は一度もない。

 単純な言葉の羅列のはずが、なんだかとても綺麗なのだ。ああ、こういう表現の仕方があるのかと、ほうと溜め息をつきたくなるような。

 でも、話の内容がよくわからない。何に主題を置いているのか、よくわからなかった。

 最後まで読んでみたけど、結局、何の話だったんだろう? 淡々と進んで、淡々と終わった。少なくともわたしにはどこが山場でどこが落ちなのか、皆目見当もつかない。


「難しい話じゃないのに」


 難解な言葉で書いてあるなら仕方ないと思える。

 でも、そうじゃない。それなのに、理解できなかった自分が歯がゆい。


 はあと深い息がこぼれる。

 膨れあがった気持ちがしぼんでいく。まるで、膨らませた翌日の風船みたい。


「もう一回、読んでみようかな」


 店主さんは「なかなか面白いよ」と言っていた。

 どの辺がなかなか面白いのかきいてみたいけれど、ひとに言われて気づくのは嫌。自分で理解したい。

 だから、もう一度読んでみよう。


「安里さんの本……」


 ぽつりと呟いて、わたしは本をベッドサイドに置いた。

 今日はもう遅いから、読み直すのは明日にしよう。おやすみなさいと呟いて、わたしは部屋の電気を消して眠りについた。


 翌日、どうだったときいてくる店主さんに「まだ読んでる途中!」とだけ答えて、わたしはバイトに専念する。

 相変わらず、日に二、三人しか訪れない古書店には、始終ゆったりとした時間が流れていた。


 昨日に引き続き、早めに部屋に引き上げたわたしは、昨日よりも集中して安里さんの本と向き合うことにした。

 ぼうっと流して読むんじゃなく、ちゃんと場面を想像してみよう。登場人物の気持ちになって、どういうことなのか理解しながら読んでみよう。

 そう決意して、わたしはぱらりとページをめくった。



「……つまり、どういうこと?」


 読み終わって首を傾げる。

 でも、ひとつだけわかった。感情の描写がひとつもないんだ。会話や表情、仕草は書いてあるけれど、喜怒哀楽は書いてない。

 登場人物の気持ちになって想像しなきゃわからない。このひとは、いま、何を思っているんだろう。どういう気持ちでこの言葉を口にしたんだろう。

 そんなことを考えながら読まないと、よくわからなくなる。何もかもが淡々としてるんだもん。


 ふうと息を吐いて本を閉じる。

 やっぱり何が言いたいのかよくわからないけど、昨日よりは理解できた。安里さんにちょっとだけ近づいた気がして、少し嬉しい。

 今のままじゃ「本、読みました」の一言は到底口に出せそうにない。

 だって、「ありがとうございます。どうでしたか?」なんてにこにこしながらきかれたりしたらどうするの? 「よくわかりませんでした」とは口が裂けたって言えない。

 だからといって「面白かったです」と嘘をつくのは絶対嫌だ。


 ふと時計を見やれば、時刻は丑三つ時一歩手前といったところ。

 読み終わるのに、昨日よりも時間がかかってしまった。それだけ頭を使って読んだということだろう。


 ベッドの上でころり寝返りを打つ。

 明日も読んでみよう。読めば読むほど、この本のことを理解できそうな気がする。


 ああ、こういうことだったのか。そんな風に思えたら、そうしたら、わたしはあのひとに「本、読みました」って言えるようになるのかな?

 あのひとはきっといつもみたいに穏やかに「ありがとうございます」って微笑んでくれるんじゃないかな。

 ふわあと欠伸をひとつして、わたしはリモコンを使って部屋の電気を消す。

 そのときはこのお話について、あのひとが喜ぶような感想が言えたらいい。そう思いながら、わたしはゆっくり眠りについた。

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