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ペンネームをききました

 今日は三時のおやつにアイスキャンディーを食べた。細くて丸い木の棒にくっついたかちんこちんのアイス。かじりついたら歯が折れそうだななんて思いながら、店主さんと一緒に食べた。

 冷たい麦茶の中で氷がからんと音を立てて溶けていく。

 すっかり夏真っ盛り。

 古書店の中はクーラーが効いてるから涼しいけれど、ドアを開ければ外は地獄だ。


 からころと下駄特有の音がして、わたしははっと居住まいを正して入り口へ目を向ける。

 思った通り、現れたのは小説家の安里さん。

 こんなに暑い日でも、安里さんはやっぱり着流しで、汗ひとつかいていないように見える。安里さんの周りだけ温度が五度くらい低いんじゃないかと思うけど、まさかそんなはずはない。

 心頭滅却すればなんとやらというやつなんだろうか。


「こんにちは」


 そんなことをぼんやり考えてたから、わたしはまた大事な一言を言えずにぼうっとしてしまっていた。

 慌ててカウンターの中の椅子から立ち上がって、ぺこりと頭を下げた。


「いらっしゃいませっ」


 頷くようにして、安里さんが微笑んでくれる。

 薄い灰色の着物に濃い色をした帯を締めた姿は、答えを知った今ならどこからどう見ても小説家だって言える。明治時代の文豪さんみたいだなってわたしはひそかに思ってる。家で文机に向かって原稿用紙に万年筆を走らせてたりしたら完璧だ。

 でも、さすがにそんなことしてるわけない。きっとワープロとかパソコンとかで書いてるんだ。

 着流しの安里さんがパソコンや携帯電話を使いこなしてるところを想像すると、ちょっとだけおかしくて顔がにやけちゃう。


「涼花さん、おひとりということは」


 日除けにかぶっていただろう帽子を脱ぎながら、安里さんは「ご主人は二階ですか?」と尋ねてくる。


 安里さんに会うのは今日が二回目だ。

 もともと月に二、三回しか来ないと店主さんは言っていた。

 安里さんの想像通り、店主さんはまた二階に行っていたから、わたしは階段下から大きな声で店主さんを呼んだ。

 そうして、カウンターに戻って安里さんにその旨を伝える。ここまでは、この前と一緒。

 でも、今日のわたしは思い切って安里さんに話しかけてみた。


 ずっと、次に来たらお話ししてみようって思ってた。

 お店に来てくれる常連さんたちはみんな優しくて、わたしにいろんなことを教えてくれた。時々はお土産だよってお菓子を差し入れてくれたりもする。

 本好きに嫌なひとはいないんだななんて嬉しかったりして。わたしはお客さんとお話ししてはいつもほくほくと上機嫌になっていた。


 安里さんともお話ししてみたいなって思ってた。

 小説家ってどうやってなるんですか? なんで小説家になったんですか? どんなお話を書いてるんですか? 好きな作家さんはいますか? いつもどんな本を探してるんですか?

 ききたいことは山ほどある。だけど、そんな質問をいきなりぶつけるのはあまりにも不躾だと思ったから、ここは無難に天気の話題など。


「いいお天気ですね」

「そうですね。日差しが熱くて溶けてしまいそうです」

「溶けるといえば、さっきアイスキャンディーをいただきました。とっても美味しかったです」

「そうですか。熱いときには冷たいものが美味しいですからね」


 わたしのたいして意味のない言葉たちにも安里さんは穏やかに言葉を返してくれる。

 何か気の利いたことでも言えればいいのになと思いつつ、わたしの口から出てくるのはとりとめのないことばかり。

 どうしよう。小説のこと、きいてみようかな。もうちょっとお話ししてからがいいかな。

 気持ちはうずうずと急いてくるのに、うまい言葉が見つからない。


「安里君、待たせたね」


 そうこうしている内に店主さんが下りてきちゃって選手交代。いそいそとカウンターに本を広げる店主さんとさっきまでとは少し目の色の変わった安里さん。

 わたしには入っていけない会話が始まって、棚の整理でもしようとカウンターを抜ける。


 ドアを開いて、一歩外に出て、わたしはぎゅっと目を閉じた。アスファルトがぼやけてみえる。熱されたフライパンみたいに、ゆらゆらと。

 そして、襲い来る熱気。クーラーで冷えた身体にこの熱気は毒だ。

 それでもすうはあと深呼吸をして、身体を暑さに慣らしていく。くらっとくるのはほんの一、二分の話。


 わたしはお店の外に出してた一冊五十円のワゴンの山を片付ける。なるべくいろんなひとに見てもらって、欲しいなって思ってくれたひとの手に渡って欲しい。

 あちこちよれよれで、下手をしたらゴミで捨てられちゃいそうな本もある。十把一絡げにされた本たちではあるけれど、刷られたばかりの頃はぴかぴかしてて、きっとお店の一番目立つところに新刊として並んでたはず。

 この子たちを一番最初に買ってくれたひとたちは、もしかしたら作家さんの大ファンだったかもしれないし、ふと目についた表紙に心惹かれて衝動買いしちゃったのかもしれない。

 それが巡り巡ってここに辿り着いて、いっぱい読まれてぼろぼろになって、それでもまだ次に読んでくれるひとを探してる。

 だから、素敵なひとにもらってもらえたらいいなって思う。


 がさごそ漁られて乱れたのを適度に戻して、わたしはまた店内へ向かおうとくるりと方向転換した。

 そして、ぼすんっと何かにぶつかって後ろに倒れちゃいそうになる。


「あ。すみません」


 でも、倒れちゃわないように誰かが腕を掴んでくれたおかげで踏みとどまった。

 危ない、危ない。お礼を言わなきゃ――――と顔を上げようとしてわたしは頬を真っ赤に染めた。

 存外近いところに安里さんの顔があって、びっくりしちゃったからだ。


「あ、あの、あの……」


 ありがとうございます。

 そのたった一言でいいのに、わたしは変な顔で金魚みたいにぱくぱくしてる。


「大丈夫ですか?」


 こくん、と頷く。


「すみません。僕の不注意です。あなたがそこにいるのは気がついていたんですが、タイミングが悪かったですね」


 安里さんはわたしの反応なんて気にした素振りもなく、穏やかに微笑んでる。

 髪はやっぱりくしゃっとしてるし、肌の色は不健康そう。それなのに、なんだかとっても大人の男のひとだってわたしは思った。

 もやしみたいだって思ったのに、わたしのことをちゃんと捕まえてくれた。倒れないように引っ張ってくれた。


 穏やかなテノールがわたしの名前を紡ぐ。

 不思議とくすぐったい気持ちになって、わたしは俯き気味になってた顔を安里さんに向けた。


「涼花さんは本がお好きなんですね」


 おっとりと微笑んでそう問われ、わたしはこくんと頷いた。


「あ、安里さんは小説家なんでしょう?」

「ええ。一応。それ以外の仕事はしていないので、小説家ではないと言われてしまうと僕は途端に無職の怪しいお兄さんになってしまいます」


 わたしの緊張を和らげようとしてるみたいに、安里さんが冗談めかしてそう言ってくれた。笑えない冗談のような気がしたけど、わたしは安里さんの気遣いが嬉しかったから、ふふっと笑ってみせる。


「怪しいですか?」

「時々、そのようなことを言われますので」

「安里さんは、あやしくないです」


 安里さんが一歩分距離を開いてくれて、わたしはほうと胸を撫で下ろす。

 家族以外の男のひとの顔をあんなに近くで見たのは初めてだった。免疫がないってこういうとき不便だな。わたしが悲鳴でもあげちゃってたら、安里さんが変質者扱いされちゃうとこだったもん。


 少しだけ気持ちの落ち着いたわたしは、安里さんにきいてみたかったことをきいてみることにした。


「安里さんってペンネームですか?」

「え?」

「あの、お名前」


 ことりと首を傾げる安里さんを見ながら、わたしはちょっとずつ語尾が小さくなっていくのを感じた。

 本当は書いてる本のタイトルをきいてみたかった。安里さんの書いたお話を読んでみたいなって思ったから。

 だけど、面と向かってそれを言うのは恥ずかしくて、ペンネームを教えてもらって探してみようと決めたんだ。


「ああ。本名ですよ」

「じゃあ、あの」

「安里(ゆづる)。安らぎの里で安里、弦はつるです。弓の弦といえばわかりますか?」

「あさと、ゆづる」

「はい。本名で書いてますから、もし涼花さんの目に止まるようなことがあれば手にとっていただけると嬉しいですね」


 わたしの言わんとすることを察してくれたみたいで、安里さんが名前を教えてくれた。

 穏やかな安里さんにぴったりの名前だなって思う。綺麗な名前。


 外に長居すると熱中症になりますよ。

 そう言って、安里さんは帰って行った。手には紙袋。また何か本を買ったらしい。


 店内に戻るとすうっと汗が引いていく。風邪を引かないように、首筋を伝う汗をハンドタオルで拭った。

 店主さんはわたしの顔を確認すると「任せたよ」と言ってまた二階に戻っていく。

 二階はきっと宝の山なんだろうなあと思いを馳せるけど、価値のわからないわたしにしたら一冊五十円のワゴンの山とそんなに変わらなく見えるんだろうとも思う。

 だから、ふうとひとつ息を吐いて、カウンターの椅子に座り、ぺたっとカウンターに頬をくっつけた。

 木でできたカウンターはひんやりしてて、心地いい。


 安里さん。

 安里弦さん。

 どんな本を書くんだろう。恋愛小説って感じじゃない。推理小説かな? それとも、時代小説?

 今度、本屋さんで探してみよう。

 それで、次に来たときには「読みました。サインください!」ってお願いしてみよう。

 安里さん、次はいつ来るんだろう?

 わたしの頭の中はそんなことでいっぱいで、気がつけばにやにやと口元が緩んでいた。

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