【おお、勇者よ。死んでしまうとは情けない】
「──おお、勇者よ。死んでしまうとは情けない」
目を覚ますと、そう仰々しい態度をした少女が俺を見下ろしていた。
艶やかなストロベリーブロンドの髪。瞳は大きく、その紅眼はルビーを思い浮かばせる。陶器のような滑らかな肌。細い体躯からして、歳の頃は十三くらいに見える。まだ子どもと言えるような容姿だが、それでも美しい少女だということは判った。
「えっと、どちら様ですか?」
「むぅ……つれないのぉ、お主。そこは『俺に構わず先に行け!』じゃろうに」
「いや、多分それも違うと思うぞ」
支離滅裂な少女にツッコミを入れ、俺は周りを見渡してみる。
石造りの壁。イタリアとかでよく見るレンガを組み合わせた感じのやつだ。ただ、その石は大理石のように艶やかな表面をしている。
そして足元を見ると、よく判らない不可解な模様がなにかの塗料で刻まれている。
もしかしてこれって魔法陣ってやつなのだろうか?
「おい、アンタ。テレビかなにかのドッキリなら、早く家に帰してくれ。正直状況を理解してないんだが、少なくともここにいる意味はねぇよ」
「アンタではない! 妾は『セリア』じゃ。ちゃんと名前で呼んでたもぉ」
「えっと、じゃあセリア。俺は『神条月人』だ。よろしく」
「うむ! それで良いのじゃツキト! よろしく頼むぞ我が勇者よ!」
無邪気に笑顔を向けるセリア。
思わず和みかけていた俺だったが、『勇者』という言葉に、自分に降りかかっていた状況を思い出した。
「それだよ。あのさ……勇者なんて知らないし、それにここはどこだ? 確か俺はさっきまで船の上に……」
そうだ。
両親もいない。学校ではいじめられてるし、金もない嫌われもの俺が、商店街のくじ引きで当たった海外旅行の賞品。
この時に運を全て使ってしまったのだろう。行きで船舶事故に遭い、運悪く外に出ていた俺は船の上から海へ投げ出された。
海水を飲み、溺れる苦しみから解放されるように意識が遠ざかったあと、目が覚めたらこんな所に立っていた。
夢だったのだろうか。だったらいいのだが、生々しい死への恐怖は今でも俺の身体を蝕んでいる。アレが夢だとは考えれない。
「船? ……よく判らないんじゃが、確かにお主を召喚したとき服が濡れておったな」
「しょ、召喚?」
「うむ。妾は魔王じゃからな。召喚するのもそう難しくはないのじゃ。成功して良かった」
信じられない言葉を口にした。
そしてセリアの言葉と足元の魔法陣から、俺は一つの答えを導き出していた。
「そしてここからが本題なのだが……なぁ、お主──」
──妾と、世界を征服せぬか?
それが俺と“魔王”セリアとの始まりだった。
◇ ◇ ◇
まぁ、実際に話を聞いたところ、セリアは別に罪のない人間を殺して世界を支配しようと思って言ったわけではないようだ。
寧ろ逆。
俺が召喚されたこの世界は戦争が絶えなく、孤児や犯罪の増加など、平和とは程遠い世界らしい。
そしてそれを世界を征服することによって解決しようとしているそうだ。だから、魔王は共に戦ってくれる勇者を、異世界から召喚したらしい。
その考えは立派だ。凄いと思うし尊敬に値するだろう。だが……。
「勇者を召喚したのが魔王って……普通違うだろうに」
「む? どうかしたのか?」
「いや、なんでもない」
そう、なんでもないのだ。
別に光が満ちた宮殿に召喚されて、そこで麗しき王女様に涙ながらに魔王討伐を依頼されるシチュエーションを期待していたわけではない。断じてしていない。
「ていうか、俺が勇者って……俺にそんな力はないだろ。一般人だぞ俺は」
「魔導書には『召喚された者にはその者固有の力が与えられる』って記してあるし、その内判るじゃろう。心配しなくても大丈夫じゃ!」
「とは言ってもな……」
この世界に来たことはきっと夢ではないのだろう。俺は船の上から投げ出され、そのまま溺れ死ぬところだった。そう考えると、俺はこの娘に救われたことになる。考えようによっては命の恩人だ。
だからといって、俺は日本に戻らずにそんなことをしていて良いのだろうか。
「そういえば持っているものは……」
ふと、自分の持ち物を確認してみる。
グシャグシャになったティッシュやハンカチ、財布もあるが、
「お、スマホもあるな。だけど海水で壊れてないかな……いや、電源はつく。大丈夫そうだ」
「ツキト? なんじゃ、それは?」
俺が持ったスマートフォンを首をかしげて見つめるセリア。そりゃ異世界には無い筈だから不思議なのだろう。
「これはな、スマホって言うんだ……こう使うんだよ」
俺はセリアに向けてスマホをかざし、小気味の良い音を立てた。
「ぬぉ!? なんじゃそれは! ツキトも魔法を使えるのか!?」
「大袈裟だな。違うよ、ほら」
セリアに見えるように、スマホの画面を見せる。
そこには驚愕の表情を浮かべたセリアの写真が映っていた。
「わ、妾がおる! 妾が閉じ込められておる!?」
「これは俺の世界の『カメラ』っていうものだ。これによって、その時の思い出を保存することが出来るんだよ」
「す、凄いのじゃな! 思い出を残せる魔道具……ツキトの世界もあながち侮れん! もう一回やってみせるのじゃ!」
「駄目だ。充電器がないんじゃ、無駄遣いは出来ないからな。悪いが諦めてくれ」
充電器があってもなくても電波が無ければ使い道は無いだろうが、セリアに渡せば話が進まないだろうから適当に言い訳をつけた。膨れっ面のセリアに悪いが、これも仕方の無いことなのだ。
「くっ……まぁ、よい。それよりもツキト。お主は妾と共に戦ってはくれないのか?」
瞳を潤ませ、手を出して懇願するセリア。
その姿を見て、俺は考え込んだ。
両親もいない。親戚との縁は切れてるし、親しい友人は一人もいない。
別に日本に帰ったからって、いつも通り灰色の日常を送るだけだ。なにも変わらない。自分がいるかも判らないそんな日常を。
それとは違い、この世界でセリアのこの手を取るとしたら、どうなるのだろうか?
こんな無価値な俺を欲してくれる彼女。誰からも必要とされず、孤独だった俺を求めてくれる魔王。
どっちを選ぶかなんて、言わずもがなだった。
「……仕方ねぇな。俺がいないと、魔王様はどうしようもないみたいなんだから」
「その言いぐさはなんじゃ! ……って、ツキト? 今、なんと?」
「二度は言わねぇからよく聞けよ」
期待の眼差しで見つめてくるセリアの手を握り、創作作品で読んだ騎士のように膝をついた。
「魔王様。俺、“勇者”神条月人は貴方の剣となり、盾となることを誓う。そして、一緒に世界を征服してやろうぜ」
そう告げた瞬間、セリアは瞳から一筋の滴を流した。
強く俺の手を握り締め、片方の手で目元を乱暴に拭う。
「うむ! 妾達が世界を支配するのじゃ!」
ニッコリと満面の笑みを浮かべたセリアに、俺も笑みで応えた。
「そうじゃ! お主のその『すまほ』? とやらは思い出を遺せる魔道具なのじゃろう?」
「魔道具じゃないが。まぁ、そうだな」
「なら、妾とツキトの始まりの思い出を――」
──こうして、俺とセリアの世界征服が始まった。
◇ ◇ ◇
──全てを失ってでも、護り抜いてやる。
◇ ◇ ◇
『『『魔王様! バンザ~イ!!』』』
揺れる馬車の中。妾に向かって歓声を上げる民衆たちの姿を眺めていた。
かつては笑顔を浮かべることはなかった民は、全員が笑顔を浮かべ、喜びを噛み締めている。
望んでいた光景だ。でも、何故だろうか……。
「どうですかこの光景。貴女に救われた民たちの姿を。世界を平和に導いた“英雄”セリア様」
馬車の御者をしている男性が、そう声をかけてきた。
あの日、妾が魔王城を出てから二年が経過した。
城から出たあとは各地を点々と回り、悪政を引く領主を懲らしめたり飢餓に苦しむ村を救ったりしていた。
他にも襲ってくる魔物を討伐したり、少しずつ世界から争いや苦しみが消えていったその頃には、妾は『悪の権化』という存在ではなく、『救世主』や『聖人』だと呼ばれて始めていた。
「そんな呼び方は止めてもらいたいのじゃが……妾もどうやって『あの化け物』を討伐したのか覚えてないんじゃ」
「いえいえ、ご謙遜を。まさかお一人であの『国喰らい』を討伐してしまうとは……」
「じゃから、妾もよく判っていないんじゃ……」
半年前。
とある王国の悪徳な国王が、妾に断罪されるのを恐れてか、『国喰らい』と呼ばれる史上最悪な精霊の封印を解いてしまった。
その精霊は負の力によって力を増幅させる。
そう、この苦しみや悲しみが蔓延する世界で封印が解かれてしまったのだ。
そして、妾は確かにその闇精霊を討伐しようとして負けてしまったのだ。
気を失う直前、誰かの影が『国喰らい』に向かっていった姿が見えたのだが、頭に靄がかかったように思い出すことが出来なかった。
その後、目を覚ますと『国喰らい』は討伐されていて、妾は『英雄』になった。
「……本当に、あの影はなんじゃったのだろうか」
あの影が見間違いでなければ、『国喰らい』を討伐したのはその人なのだろう。
でも、あれから半年が経っても現れない事を考えると、その人は英雄という地位に興味がない人なのだろうか。未だに真相は判っていない。
「それに……誰か、足りない気がする」
ふと、馬車の隣の空白に目を向ける。
妾は誰か、大切な人を忘れている気がする。
妾は本当に一人だったのだろうか。
「……? どうかしましたかな?」
「……ぃんや、なんでもない。せっかく民衆が妾をもてなすパレードを開いてくれたのじゃ。妾も対応しなければな」
形がどうであれ、世界が平和になった事には変わりない。
妾が望んでいた願い。渇望していた想いだったのだ。
長い長い旅を乗り越え、ようやく手に掴んだ平和という宝石を、妾はこれからも護っていかないといけない。
そう心に誓って民衆に笑顔を向ける妾の隣は、やはりなにかが物足りなかった。
◇ ◇ ◇
「ここで宜しいんですかい? もう少し先に進んでも良いのですが」
「いや、ここでよい。半刻もしたら迎えに来てほしいのじゃ」
「判りました。では、また半刻後に」
馬車を見送り、妾はとある洞窟に向かった。
そこは今では立ち入り禁止となっている禁止区域。
かつて、妾が『国喰らい』と戦った洞窟だった。
「あれから半年が経つというのに、ここは変わらないんじゃのぉ」
抉れた岩肌。地面に突き刺さった無数の武器や血液の痕など、凄まじい戦闘の様子を物語っていた。
妾は月に一度、この洞窟に訪れて犠牲者の供養を行っている。
犠牲者の中には旅をしている中で親しくなった友人たちもいた。
一緒に平和になった世界を見ることは叶わなかったが、妾にとって彼らも平和を望んだ同士だったのだ。
「ふぅ、このくらいじゃな」
妾はまだ正式な慰霊碑が建てられるまでの代わりの墓石に酒や果物を添えて黙祷をした。
せめて向こうの世界では、幸せになっていることを願って。
「さてっと……む? コイツはなんじゃ?」
妾が洞窟を立ち去ろうとしたとき、ふと壁の方を見るとおかしな物体が転がっていた。
なんとなく気になり、妾はそれを拾い上げてみた。
「平べったいのぉ……それに鉄ではないようじゃが。それにこの表面はガラス?」
よく判らない。謎だらけのその物体がなんなのか。ともかくこの世界では見たことがないように思う。
なのに、妾はそれを知っていた。
「確か、こうするのじゃったな」
側面に開いている小さな穴。そこに指をかざして雷魔法を軽く当てた。
ある程度当て続けたあと、今度は側面のボタンを押すとガラスの表面が光りだした。
「何故、妾はこれの使い方を……?」
初めて見る物体のはずだし、使い方はもちろん知らないはずだ。なのに妾は長年使っていたかのような慣れ親しんだ物を使っているかのようだった。
妾は光るガラスの表面に指を当て、とある小さな絵をタップした。
「そうじゃ。これは確か『あるばむ』というものじゃった。思い出を……記録する魔道具」
『あるばむ』の絵をタップすることで画面が移り変わり、何枚もの絵が出てきた。
それを見た瞬間、妾は驚愕に目を見開き、震える指で絵をスライドし始めた。
「妾じゃ……妾が映っておる。ここは『アドマンド王国』の宮殿前の絵。確かここは『アクリム湖』……妾が水遊びをしている時の絵じゃ」
舌が酷く渇いている。
訪れたはずの各地の場所。
妾が笑顔ではしゃいで、そんな絵が何枚も何枚も残されていた。
ズキズキと痛みだした頭。頭痛が酷くなっていき、妾は思わず膝をついた。
思い出そうとする度に疼く頭痛だったが、それでも絵を――写真から目を離すことが出来なかった。
「何故じゃ……何故妾がこんなにも笑っておる。妾は孤独じゃったはずじゃろ? なのに……」
心底楽しそうに、時には悲しそうに、そんな様々な表情を向ける写真の中の自分。
いったい、その表情は誰に向けているのだ?
「う、うぉぉぉ!」
スライドして、酷く疼く頭痛を歯を食い縛って耐えきる。
噛み締めたことで唇の肉が切れ、血の味が滲むがそんなことは関係ない。
そして写真は妾だけではなかった。
黒髪の青年が恥ずかしそうに笑っている写真もある。
妾とは明らかに写真の数は少ないが、その人のことを見るだけで、妾の頬を暖かいものが伝った。
「……なぁ、そこのお主」
『ちょ、セリア様!? そこは危なくないですかねぇ!?』
『心配するでない! 多分大丈夫じゃぁぁぁ!』
『多分かよ!』
「お主は誰じゃ……?」
『泣いてるのか?』
『泣いてなんかおらんわ……友人が死ぬことだって妾は覚悟しておった。じゃから、これは涙なんかではない』
『……強がるなよな。お前は俺の相棒で、俺はお前の相棒だ。悲しみくらい、分かち合ってやるさ』
走馬灯のように頭に浮かぶ情景。
胸が、心が痛い。
妾は喜びを誰かに向け、悲しみや憎しみを誰かにぶつけていた。
それをその誰かは暖かく受け止めてくれる。どれ程の支えになっていたのか、きっとその人でも判らない。
「なぁ、お願いじゃ……」
『悪いな……俺の能力が役立たずのおかげで、お前に迷惑ばっかかけてる。俺、本当にいらねぇよな』
『なにを言っているのじゃ。あの日から妾たちは一蓮托生の仲間じゃ。妾が背中を見せるのは、お主しかおらぬ』
「悲しそうな顔しないで……」
『俺、お前と会えて本当によかったよ』
『なんじゃ、藪から棒に』
『いんや……この世界に来る前は俺は本当に使えない、必要のない人間だったんだ。それを、お前が変えてくれた。本当にありがとうな』
「最期みたいな言葉を言わないで……」
止まらない。
止まってくれない。
瞳から流れる滴はポタポタと地面に落ち、湿らせていく。
妾は拭うことも忘れてただひたすら写真をスライドさせるだけ。
止めどない思い出が、感情が湧き出して堪えておけない。
もう、見るのが怖かった。
そして、妾は最後の……とある写真に目が向かった。
「そうじゃ……そうじゃった……」
震える。足が震える。
「止めるんじゃ……お主が行く必要なんてない……じゃ、から」
──これ以上、妾の前から居なくならないで。
『止めるんじゃ……! お主が勝てる相手ではない……!』
『そう、かもな。でもさ、俺はあの日の誓い通り、お前の剣となって盾となるって決めてるんだよ。だって――俺はお前の勇者様だからな』
『あの能力を使うつもりか!? それを使えばお主は! お主は……!』
『でも、これしか方法はねぇ。俺が手に入れた能力……【莫大な対価を支払うことで、それに似合った力を手に入れる力】。ここで使わずして、いつ使うんだよ!』
『お願いじゃ……頼む、一生のお願いじゃ……だ、から』
『安心しろよ……全てを失ってでも、護り抜いてやる!!』
「『──行か、ないでぇぇえ!!』」
スマホから手を離し、妾の腕を前に全力で突き出す。
でも、その手は虚しいことに虚空を掴むだけで終わった。
「っうぐ、ぅぅぅぅぅっ!」
うずくまり、土を強く握り締めて悲嘆にくれる。
落下した『すまほ』の画面には、始まりの魔王城で撮った初めてのツーショット写真が映っていた。
それを目にしたとき、妾は全てを思い出した。
「……妾は間違っていたのじゃな……ツキト」
ツキトと一緒にいた、約一年半の日々。
目的は世界平和だったはずだ。それをツキトを巻き込んで二人で旅をした。
嬉しいとき、悲しいとき、苦しいとき、幸せなとき。
その全てを一緒に過ごした、かけがえのない大切な人。
それが、最初から間違いだったのだ。
「妾は最初から世界平和よりも、誰かと一緒に居たかったのじゃ。お主のお陰で世界を平和にして、お主が隣に居ないことで、妾はやっとその事に気がついた……なんて遅いんじゃろうな」
そうだ。
妾は、世界平和よりもなにより――
「──お主が隣にいることが、幸せな事じゃったんじゃ」
もう、涙は流れない。
流れる涙など、枯れ果てた。
そして弱い心は、脆弱な想いは全て捨て去った。
妾は新たな決意を秘め、足を進ませた。
◇ ◇ ◇
「くっそ……腹減ったなぁ」
胃が音を鳴らして空腹だということを訴えかける。
俺は何度目だよと毒づきながら、ただひたすら足を進ませていた。
「もう路銀は尽きちまったし、当分は飯にありつけそうにないな……はぁ、セリアと旅をしていた頃なら、こんな事に悩まされることなんて無かっただろうに」
──と言っても、セリアは俺のことを忘れているだろうけど。
「そうか……あれから二年か……」
セリアと別れてから二年が経過した。
俺の能力は多用できないし、全くの役立たずだから、俺は全ての能力が劣る世界で冒険者として活動している。
日雇いのバイトに励むこともあれば、最弱と言われるゴブリンのような魔物との戦いに身を投じることだってある。
それでもやはり収入は少ないから、直ぐに金が尽きてしまってた。
「セリア……元気かなぁ」
言葉に出すのは、かつての相棒にして魔王。
俺は二年前、セリアと共に『国喰らい』と戦った。
俺の能力は代償が大きいため、殆どセリアが戦っていて、俺はそれを見ているだけ。
悔しかった。でも飛び出しても足手まといになるだけだ。
なにが魔王の剣なのだろう。盾なのだろう。
俺は弱虫で臆病な虎の威を借る狐だった。
そんなセリアが『国喰らい』にやられた時、俺は能力を使う決心をした。
止めるセリアの懇願を聞こうともせず、俺は能力を使った。
代償は、『俺に関する全ての記憶を人々から抹消する』こと。
自ら孤独の道を選び、全てを失ってでも、俺はセリアを護りたかった。
彼女が望んでいた世界平和の為に。
そして俺は『国喰らい』を死闘の末に制し、セリアの元を去った。
セリアの知らない人を見る目で見られたくなかったから。
「本当に楽しかった……本当に、良かった」
セリアは全ての国で英雄と称えられている。
俺たち二人の最終目標は、叶ったということだ。
「……やべぇ。目眩、してきやがった」
やはり旅の影響で疲れていることと、空腹により身体は限界のようだった。
もう、死んでも悔いはないんじゃないだろうか?
嘘だ。悔いはある。セリアにもう一度名前を呼んでもらいたい。笑顔を向けて欲しい。
でも、それは叶わない願いだ。
セリアは俺のことを忘れているし、彼女の幸せをわざわざ壊すわけにはいかないから。
「ははは……寂しいって、こういうことを言うんだな」
日本にいた時は孤独なんて辛くないと思っていたが、いざ人の温もりを知ってしまうと、もう戻ることは出来ない。
足がもつれる。身体が前に傾き始める。
地面が近付いてきて、俺は倒れることを悟った。
もう足は棒のようだ。寝よう。このまま倒れて寝てしまえば、きっとまた元気になれるはずだ。
そう思い、目を瞑った俺は重力に身を任せ、やがて──
◇ ◇ ◇
「──おお、勇者よ。死んでしまうとは情けない」
倒れようとした身体が抱き止められる。
それと同時に上から降ってくる声。
それがとても懐かしく感じられた。
「……死んでねぇし、間違ってるよ、それ」
「実際、妾が居なかったら死んでしまいそうな勢いじゃったがな!」
その言葉の掛け合いに、思わず瞳から涙が流れる。
俺は抱き止めてくれている人物の顔を覗き見た。
ストロベリーロングの髪に、大きな紅眼の瞳。滑らかな白い肌は陶器のようだ。
そして前と違うのは、見た目が十八歳くらいの美しい女性になっていること。前と同じ絶壁ではなく、女性らしい丸みを帯びていることが、大人に近づいている証だろう。
「……なんで、お前がここにいるんだよ。国はどうしたんだよ」
「そんなの、大臣たちに任せてきたのじゃ」
「はぁ?」
大きく口を開けて豪快に笑い出すセリア。
そこだけは全く変わってはいない。
でも、俺はそれがとても嬉しかった。
「世界が平和になったことは嬉しい。じゃが、妾の隣にツキトが居ないんじゃ、世界を平和にした意味なんて無いって気が付いたんじゃ」
「────」
嬉しかった。
これ以上なく嬉しかった。
心の中で、俺はセリアに疎まれているんじゃないかと考えていた。
役立たずで使えない勇者。勇敢でもないし、迷惑ばかりかけているこの俺が、セリアの本当の幸せを邪魔しているんじゃないかと思っていた。
でも違った。
セリアは今でも俺を求めてくれた。一緒に居て欲しいと願ってくれた。
それだけで、俺の涙腺が決壊した。
異世界に来て、ここまで涙を流したことはない。止まることのない涙が頬を伝った。
「……なぁ、セリア」
「なんじゃ?」
「俺さ、弱くなっちまったみたいだよ。まぁ、前から弱かったんだけどさ。今では孤独が怖いんだ。お前がいないと……辛いんだよ」
本心だった。
自覚したら、もう孤独が恐ろしくてたまらない。独りは辛くて苦しくて寒いんだ。
俺は、恥をかいてでも迷惑でも、ずっとセリアと一緒に居たいと思った。
「──仕方ないのぉ。妾がいないと、勇者様はどうしようもないみたいなんじゃからのぉ」
そう、かつての俺が口にした言葉を、俺に返してきた。
始まりの言葉だった。俺たちが共に世界を征服しようと誓いあった、始まりの言葉だ。
「勇者様。妾、“魔王”セリアは貴方の剣となり、盾となることを誓う。そして、一緒に世界を征服しよう……そうじゃろ?」
セリアが膝をついた俺に手を差し伸べてくれている。
普通は逆だろうに……そんなズレているセリアに苦笑しながら、俺はその手を掴んだ。
きっと、本当の意味で平和が訪れることはないんだ。
どこかで必ず不幸な人はいるし、平和にしたことによって不幸になった人もいるのだろう。
それは俺たちも例外ではない。
俺たちが望んだ平和がなんなのか、まだハッキリと判っていない。
平和は曖昧なもので、形なきものだからこそ、理解するのは難しいのだ。
でも、俺たちならやっていける。
勇者一人では幸せを見つけることは出来なかった。
魔王一人では平和を見つけることは出来なかった。
それでも勇者と魔王が手を組んで、二人ならきっと──