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九月十二日

 サンは、ずっと眠り続けていた……。


 そして吉良徳郁は、一向に目を覚まそうとしないサンのそばに座っている。クロベエとシロスケも不安そうだ。サンのそばを、片時も離れようとしない。

「サン……お前の身に何が起きているんだ?」

 思わず呟く徳郁。だが、サンからの返事はない。時おり手足を動かすものの、その瞳は閉ざされたままである。

 こんな時、一体どうすればいいのだろう……。


「サン、ちょっと外に出て来るからな。おとなしくしてるんだぞ」

 声をかけた後、徳郁は玄関の方に歩いて行った。そして扉の前で立ち止まり、もう一度リビングの方を振り返る。

 しかし、サンは眠ったままだった……規則正しい寝息を立て、横向きで寝ている。その傍らには、クロベエとシロスケが寄り添っていた。あたかも、サンを守る番人のように。

 後ろ髪を引かれるような思いを感じながらも、徳郁は外に出て行った。


 不安な気持ちをまぎらわせるため、徳郁は外を走った。ゆったりとしたペースで走っていると、体から汗が吹き出してくる。まだ夏の暑さは残っており、少し動いただけでも汗が出てくるような陽気だ。

 その汗とともに、徳郁の不安も僅かだが和らいでいく。あのまま家でじっとしていたら、余計な事を考えた挙げ句に気が狂ってしまいそうだ。

 やがて、徳郁はコンビニに到着した。店内へと入っていき、目についた物を買っていく。サンが好きそうな物を。

 そして買い物を済ませ、店を出る。戻った時にサンが目覚めている事を祈りつつ、帰り道をゆったりとしたペースで走り出した。




 しかし、サンは目覚めていなかった。

 徳郁が出かけた時と、まったく同じ姿勢で眠っているのだ……その傍らでは、クロベエとシロスケが不安そうな面持ちで彼女を眺めている。

 そういえば、二匹の様子もおかしい。昨日までと違い、何かに怯えているような……そんな落ち着かない表情なのだ。徳郁は今まで長い時間、クロベエやシロスケと共に生活してきた。だが、こんな表情を見せるのは初めてだ。

「なあ、お前ら……サンは大丈夫なのか?」

 思わず尋ねる徳郁。すると、クロベエがこちらを見る。

 そして、にゃあ……と、か細く鳴いた。不安そうな声だ。

 徳郁は手を伸ばし、クロベエの頭を撫でる。サンがこの家に来たのは、つい一週間ほど前の話だ。なのに今では、彼ら全員にとってかけがえのない存在となっている。

 こうなったら仕方ない。成宮亮に連絡して、秘密を守ってくれるような病院に連れて行こう……徳郁は立ち上がり、携帯電話を取りに行った。


(よう、ノリちゃん……どうかしたのかい?)


 電話口から聞こえてくる亮の声は、相変わらず軽いものだった……徳郁は若干の苛立ちを覚えたが、今はそれどころではない。

「亮、実は頼みがあるんだよ……医者を紹介して欲しいんだ。秘密を守ってくれるような医者を」

(医者だぁ? 何だってまた、医者なんか? ああ、ひょっとして獣医か?)

「それは……」

 徳郁は言い淀んだ。出来ることなら、言いたくはない。だが、そんな場合ではないのだ。

「今、ここに女がいる。眠ったまま目を覚まさないんだ。ひょっとしたら、何かの病気かもしれない」

(お、女だぁ!? お前、女がいたのか!? 人間の女かよ?)

 亮のすっとんきょうな声が聞こえてきた……電話越しにも、彼が驚いているのがはっきり分かる。徳郁は赤面し、憮然とした表情になった。

「あ、ああ……人間の女だよ……何か文句があるのか?」

(いや、文句はないけどよ……そうだなあ、今からそっちに行くよ)

「えっ、今からかよ?」

 思わず顔をしかめる徳郁……あまりに急な展開である。だが、亮は話を止めなかった。

(ああ、今からだ。ヤバい病気なら、すぐに車で運ばなきゃならんだろうが。確か魔歩呂市には、闇医者がいたはずだ。まずは症状を診てみないとな)

「診てみないとな、って言われても……お前は医者じゃないだろうが」

 そう言いながらも、徳郁は不安を覚えた。亮は一応、友人である。だが同時に、裏の世界の住人でもあるのだ。自分よりも、遥かに顔が広く知り合いも多い。

 そして、サンは何らかの事件に巻き込まれている可能性が高いのだ。万が一、サンが裏社会の人間に追われているとしたら……。


 そんな徳郁の思いをよそに、亮は一方的に話し続ける。

(とにかく、今から行くからな。じゃあ、そういう事でよろしく)


「なあクロベエ、俺はどうすればいいんだろうなあ……」

 言いながら、徳郁はクロベエの背中を撫でる。しかし、クロベエはこちらを見ようともしない。じっとサンを見つめている。シロスケもまた、伏せた姿勢のままサンを見ていた。

 どうやら、この状況で自分に出来る事はないらしい……。


 ・・・


 魔歩呂市の繁華街の片隅に建てられている、四階建てのビル。そこは岸田真治の事務所である。最近、騒がしい男女が出入りするようになっていたが……今日は静かなものだ。落ち着いた雰囲気である。


「真治さん……天田の奴ですが、民宿から姿を消したようです。あいつらは、ただでさえ騒がしい連中ですからね。ひょっとしたら、気づかれたのかもしれませんよ」

 立花薫の言葉を聞き、ため息をつく真治。立花の言っている、あいつらとは……青山浩一、黄原大助、桃井亜紀の三人である。確かに、騒がしい連中だ。しかも、非常に目立つ風貌をしている。勘のいい人間はもちろんのこと、勘の悪い人間にすら容易に接近を気づかれてしまうであろう……。

「なあ立花……彼ら三人を行かせたのは、失敗だったんじゃないのかな」

 真治の言葉に、立花は苦笑しながら頷いた。

「まあ、そうでしょうね。ただ、俺は奴らが天田を捕らえられるとは、最初から思っていませんから」

「ほう……では、何のために彼ら三人を行かせたんだい?」

「警告です。奴がここで何をしようとしているのかは知りません。ただ、天田は慎重で用心深い男です。自分が狙われていると知ったなら、さっさと撤退するでしょう。この魔歩呂市で妙な真似をされては困りますからね」

「なるほど……立花、お前はそういった計算も出来る男だったんだな」

 真治は感心したような口調で言った。真治と立花は長い付き合いだが……そういった計算や根回しの出来る男だとは考えもしなかったのだ。

 やはり人間の真価というものは、平時の動きだけでは図れない部分がある。立花の本当の凄みは、こうした時にこそ発揮されるのかもしれない。


「そういえば立花、お前にいつか聞こうと思っていたんだが……あの桑原徳馬氏とは、長い付き合いなのかい?」

 尋ねる真治に、立花は首を振った。

「いいえ。ただ、ガキの頃にちょっとした縁があっただけですよ。俺と桑原は施設で育ったんですが、そこで色々とありましてね」

「色々、か……差し支えなかったら、その辺りの話を聞かせてくれないか?」

 そう言うと、真治はタバコをくわえる。いや、正確には……タバコの形をした大麻を。

 すると、立花は露骨に不快そうな表情になった。

「真治さん、いい加減にして下さい。ひょっとしたら、士想会の連中が乗り込んで来るかもしれないんですよ」

「その時は、お前に守ってもらうさ。それよりも、聞かせてくれよ……君と桑原氏とのなれそめを」

 すました表情で、言葉を返す真治。そしてタバコの形をした大麻に火を点け、煙を思いきり吸い込む。

 一方、立花は苦々しい表情で真治の動きを見ていたが……やがて、静かな口調で語り始めた。


 立花薫と桑原徳馬。

 どちらも、幼くして両親を失った。そして同じ養護施設に預けられた二人は、施設であっという間に頭角を現す。何せ、恵まれた体格で喧嘩では負け知らずの立花と、その立花ですら一目置いている桑原。二人は並外れた凶悪さを発揮し、地元の中学生ですら恐れる存在であった。


 そんな二人だったが……ある日、同じ施設で暮らしている女の子が病院へと運ばれた。

 その女の子は、立花や桑原より歳上である。普段から小さい子たちの面倒を見ている、姉御肌の優しい性格であった。

 だが夜道を一人で歩いている時……中学生の集団に襲われたのだ。

 発見された時、女の子は服を剥ぎ取られ、酷い怪我を負わされた挙げ句……全裸で路上に転がされていたのだ。何をされたかは、小学生の立花たちにも理解できた。しかし、その犯人たちは……少年法ゆえに裁かれなかったのである。

 その後……立花は犯人の中学生三人を殺した。金属バットを片手に、一人ずつ滅多打ちにしたのだ。

 そして、立花は精神鑑定のため医療施設へと送られた……。




「なるほど……そんな事があったのかい。だがな、僕には信じられないな」

 立花の話を聞き終わった後、真治は呟くような口調で言った。

 すると、立花の表情が僅かながら変化した。

「失礼ですが、俺は嘘はついていませんよ」

「確かに嘘はついていないだろう。だがね、全てを語っている訳でもない。その中学生三人だが……お前が一人で殺したのではないはずだよ。少なくとも、あの桑原氏もまた……何らかの役割を果たしているのだろう。違うかい、立花?」

 そう言って、笑みを浮かべる真治。

 立花も苦笑しながら頷いた。

「ええ、その通りですよ……殺ったのは俺ですが、奴らの家や行動パターンを調べたのは桑原です。さらに言うなら、最後の一人は俺と桑原の二人がかりで殺りました」

「フフフ……そうではないかと思ったよ。お前と桑原氏との間に流れる微妙な空気を見ていると、ただならぬ関係であることは容易に想像がつくからね」

「そうですか……では、その聡明さを日常生活の方でも発揮してください」

 立花がそう言った直後、いきなり事務所の電話が鳴り始める。真治は首を傾げた。この事務所に電話をかけてくるとは、いったい何者であろうか。

 立花も同じことを思ったらしい。訝しげな表情で受話器を取る。

「はい、立花企画ですが……どういう事だ? ……なるほど……分かった。はっきりしたら、もう一度連絡してくれ」

 そう言って、立花は受話器を置いた。そして、こちらを向く。その表情は、一気に険しくなっている。

「真治さん……天田の奴、妙な外人とつるんでたらしいですよ。町中で、その外人と一緒に歩いていたところを見たって奴がいたそうです」

「それは、いちいち報告すべき事なのかい?」

 不思議そうな表情を浮かべながら、真治は大麻をくわえた。そして煙を吸い込む。

 すると、立花は苦々しい表情になった。

「天田は基本的に、一人で仕事をこなす男です。それが二人、しかも相手は得体の知れない外国人です。これは注意してかかるべきでしょうね。少なくとも、今は大麻を吸っている場合ではないと思いますよ」


 ・・・


 一体、どこに行くのだろうか。


 高田浩介は昨日と同じく、車の後部座席で寝かされている。顔に毛布のような物をかけられているため、周囲の様子は全く見えない……。

「パパ、大丈夫?」

 まひるの声が聞こえてきた。浩介は仕方なく、首だけでうんうんと頷く。

「浩ちゃん、この男は本当に危険よ……とにかく、今は機嫌を損ねないようにして」

 今度は希美の声だ。浩介はまたしても、首だけでうんうん頷いた。

 その時、いきなり顔の毛布が剥ぎ取られた。

「おい、浩介さんよう……変な動きすんな。俺は臆病者なんだよ。あんたがあんまり変な動きをすると、俺は余計な勘繰りをするかもしれないよ」

 言いながら、青年は拳銃を抜く。

 そして、銃口を浩介の額に押し当てた……。

「妙な動きが過ぎるとな、恐怖のあまりあんたを撃ち殺すかもしれないぜ。俺の言わんとしていることが、わかるな?」

 浩介はまたしても、うんうんと頷く。この青年は本気だ。単純な粗暴犯ではないものの……妙な信念に満ちている分だけ始末におえない。信念のためならば、自分など何時でも殺すだろう。

 ここは希美の言った通り、とにかく刺激せずに頭を低くしているしかない。


「ところで、あんたは何しに来たんだ?」

 不意に尋ねてきた青年……浩介は猿ぐつわを掛けられた状態である。もちろん答えられる訳がない。そこで、出来るだけ大きな声でうんうん唸ってみせた……猿ぐつわを外してくれることに期待して。

 だが、それは甘かった。

「うるせえよ」

 その一言の直後、銃口が向けられた……浩介は身の危険を感じ、声を止める。この青年は、自分とまともな会話をする気はないのだろうか。

「いいか、余計なことは口にするなよ。俺は本気だぜ……黙って聞け。俺がいいと言うまで口を閉じていられるなら、こいつを外してやる」

 そこで青年は言葉を止めた。手を伸ばし、猿ぐつわの役目をしている紐をつついた。

 浩介は首を小さく動かし、頷いて見せる。何はともあれ、外してもらわないと話にならないのだ。

 すると青年は、片手で器用に紐をほどいた。

「おい、言っておくがな……余計なことを喋ったら殺すぞ。いいな?」

「ああ……わかったよ」

 浩介はどうにか返事をした。猿ぐつわをされていたせいか、酷く喋りにくい。だが、その時――

「くそ、誰か来やがった……おい、静かにしてろよ」

 そう言うと、青年は毛布を被せる。浩介はまたしても視界をふさがれた。

 やがて、車のエンジン音が聞こえてきた。下手に声を出そうものなら、この青年は何をしでかすか分からない。大人しくしているとしよう。

 やがて車は通り過ぎて行く、かに思えたが――

「気をつけて浩ちゃん……変なのが来るわ」

 希美の、緊迫した声が耳元で聞こえてきた……その切羽詰まった口調に、浩介は思わず声を出す。

「どうしたんだ?」

 その途端、浩介の額に銃口が押し付けられる。

「黙れって言ってんのが分からねえのか……」

 押し殺した声を出す青年……その声からは、殺気すら感じられる。

 だが、浩介はそれを無視した。希美の方を向き、声をかける。

「希美、どうしたんだ?」

 すると、希美は外を見る……そして言った。

「ここから、すぐに逃げるように言って……あいつら、普通じゃない――」

「お前いい加減にしろ……ここには、お前と俺の二人しかいないんだよ……黙らねえと本当に殺すぞ」

 苛ついたような表情で凄む青年……すると浩介は、青年の方を向いた。

「君、すぐに逃げるんだ。おかしな連中が近づいて来ている」

「てめえがイカレてんのは分かっているがな……黙らねえと……」

 しかし、青年は口を閉じた。向こうから、おかしな三人組がこちらに歩いて来たのだ。

 一人は、やたら体格のいいTシャツ姿の男である。凶悪そうな顔つきでこちらを睨み、真っ直ぐに歩いて来た。

 さらに後ろからは、スーツ姿の男とピンク色の髪の女が続いている……三人とも、明らかに堅気の人間ではない。

「クソが……何だあいつらは……」

 低い声で毒づき、青年は車のエンジンをかける。

 すると、先頭を歩いていたTシャツの男が、何やら喚きながら走って来た。その表情は殺気立っている……明らかに、友好的な態度ではない。

 しかし、青年もまた友好的ではなかった。男たちを睨みながら、車を発進させる。そして、轢き殺さんばかりの勢いで正面から車を突っ込ませて行く――

 すると、男たちは横に飛んで車を躱す。まるでスタントマンのような動きだ。

 だが、青年はお構い無しに車を走らせる。田舎道を爆走し、みるみるうちに遠ざかって行った。


「どういうことだ!? なぜ、奴らのことが分かったんだ!?」

 林の中に車を停めると同時に、浩介に怒鳴りつける青年……どうやら、あの奇怪な三人組は追いかけて来ないらしい。

 しかし、青年は明らかに苛立っている様子だ。浩介は、出来るだけ冷静な口調で答えた。

「希美が教えてくれたんだよ」

「ノゾミだぁ? そんな奴はいねえんだよ! お前の頭の中にしか存在しないんだよ!」

 怒鳴りつけると同時に、青年は拳銃を手にする……浩介は仕方なく口を閉じた。これ以上、下手に刺激してはまずい。今は、静かにしていよう。


 ・・・


 何なんだよ、こいつは……。


 天田士郎は、ただただ唖然とするばかりだった。いきなりペドロに呼び出され、着いた場所には二人の死体が転がっている。まるでゴリラか何かに襲われたかのように、全身の骨をバラバラに砕かれた状態で道路脇に放置されている……。


「ペドロ……あんた一体、何を考えてるんだ?」

 死体を見ながら、呟くように言った士郎。突然、ペドロに呼び出され……車に乗ってここまで来たのだ。しかし、ペドロは平然としている。

「君は忘れっぽいな……昨日も言ったように、これは妨害工作なんだよ。万が一にも、彼女の羽化を邪魔されないようにね」

 そう言って、ペドロは満足そうな笑みを浮かべる。

 士郎は顔を歪めながら、口を開いた。

「そうかい……あんたは大した悪党だな。で、俺は何をすればいいんだ? 死体の始末かい?」

「いいや、その必要はないよ。この死体を残しておくのも仕事のうちさ。それより、ちょっと帰りを送って行ってくれないか」

「……俺は運転手かよ。まあ、いいよ。さっさと行こうぜ」


 二人の乗った車は、田舎道を走って行く。

 今の士郎は、ペドロのキチガイじみた行動に対し何も感じていなかった。この男は、もはや人間ではない……少なくとも、その中身は自分とは大きく異なっている事を理解していた。

 士郎は知っている……世の中には、一つの境界線があることを。常人と、そうでない者とを分ける境界線が。若い時に、士郎はその境界線を越えた。そして今では、「あちら側の世界」で生きている。暴力と謀略とに満ちた世界……常人から見れば、まさに異世界であろう。その異世界の住人として、これまで生き抜いてきたのである。人を殺し、死体をこの世から消し去る……そんな仕事をしたのも、一度や二度ではない。

 しかしペドロのような存在は、全くの想定外であった。そう、全てにおいて規格外……まるでマンガにでも登場するような怪物なのだ。

 何より奇妙なのは……そんな想定外の怪物であるペドロを、今の自分は受け入れてしまっていることだ。一体、なぜだろう。

 あるいは、自分の親友である工藤明の父親だから……という意識ゆえ、であろうか。


「士郎くん、君に一つ聞きたいんだが」

 不意に、ペドロが口を開く。

「何だよ」

「明はなぜ、こちらの世界に来なかったんだろうね。君の見解を聞きたい」

 その言葉を聞いた時、士郎は道路脇に車を停めた。そしてペドロの顔をじっと見つめ、口を開く。

「なあ、あんた……明の事は放っておいてくれねえかな――」

 そう言った次の瞬間、凄まじい勢いで車が走っていく。あっという間に、士郎たちの前を通り過ぎて行った。

 ややあって……それを追うかのように、もう一台の車が通り過ぎて行く。

「何だよ、今のは……」

 思わず呟く士郎。だが次の瞬間、まずい状況であることに気づいた。あの二台の車は、このまま直進していけば……自分たちが放り出してきた死体の前を通ることになる。

 今、警察を呼ばれたら厄介だ。士郎はすぐに車を発進させた。


「そんなに焦る必要はないと思うよ……まあ、用心するに越した事はないがね」

 のんびりした口調のペドロ。その表情には焦りがない。士郎は、もはや笑うしかなかった。

「あのな……あんたが二人も殺したせいで、こっちは――」

「いや、大丈夫だよ。さっきの車に乗っていた連中も、恐らくはこっち側の世界の住人だろうからね」

 すました口調で答えるペドロ。あの通り過ぎた一瞬の間に、その判断が出来たというのだろうか。

 だが、士郎はペドロの言葉を疑う気にはなれなかった。これまでペドロと行動を共にして来て、確信を持って言えることがある。

 ペドロは、つまらない嘘や誤魔化しだけは言わない男だ。


「なるほどね、あんたがそう言うなら信じよう。そうそう、あんたのさっきの質問だがね……俺にも分からないよ」

「そうか……君にも分からないのか。だったら、今の俺に分かるはずがないな」

 ペドロのその言葉からは、感情の揺らぎらしきものが感じられた……。






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