1,絶望の日々
あれから3年。
唯一の自慢だった黄金の長い髪は、肩まで短くなり汚れている。
死より辛い人体実験は一切なかったが、その代わりに毎日のように戦闘訓練と能力検査を受けてきた。基礎体力から身体や武器を使った近接戦闘といった誰でも極められるようなことから、魔法といった才能が有る者だけが使えことなど幅広く戦術を指南されている。
戦闘といった経験が全くなく本来筋肉も魔術も両方並以下だった四番が、短期間でここまで成長した理由があの実験が原因ということに自分で気がつくには時間がかからなかった。
初期の頃こそ丸一日中やらされる訓練に対して、体力が全く追いつかずに何度も吐き出したりしたが、慣れるのは一瞬のことだった。
一日何時間も走らされる長距離、何百回もやらされる筋肉と魔力の鍛練、使いこなせるまでやらされる武器の訓練。今となってはどうということない。
「四番、出ろ。実戦だ」
訓練が無い間は寝る以外にすることがない為、疲れを取るために専念していると、研究員の一人に牢から連れ出される。
実戦とはその名の通り訓練で学んだことで敵を直接殺すということだ。この広い実験施設には闘技場のような無機質なホールも作られており、そこで何度か魔物を相手にしたことがある。最初こそ魔物の相手を殺すことに抵抗があった四番だが、今となってはその欠片も見られない。
「今回はハイオークだ。戦闘方法は無条件・制限時間は10分だ」
いつの間にか退出している研究員の声がすると、奥にある扉が開く。
そこから出てきたのは、暗い緑色の皮膚をした巨大な魔物だ。
武器や魔術が使えるという訳ではないが、攻撃を受ければひとたまりもないだろう。
「《我に宿せし悪魔の精霊よ―闇の鎖―》」
ものすごい勢いで突進してくるハイオークに対し、一歩も動くことなく素早く空中に魔法陣を綴ると、数本の黒い鎖が全身を拘束する。
もがき脱出しようとするも、間に合わない。
携帯している短剣を素早く二本両手に装備すると、目にも止まらぬ速さでハイオークの目の前まで跳躍する。調度そこで鎖が外れかかるも、着地と同時に首と胴体を交差するように切り刻むと溢れ出す血と共に絶命した。
「やはり最高だ!まだ30秒も経過していない…!」
「ありがとうございます」
戦闘を終えたところで賛美の声を上げながら入ってくる研究員に対し、無感情で礼を返す。もはや褒められようが貶されようが、あの地獄を見るのでなければどうでもよかった。その冷めた返答に対して苦笑いを返す。
「戦闘訓練がない女が短期でここまでとは…さすが悪魔の血を取り入れただけある!
まだ完全に物にしていないのがこれからの課題か」
悪魔―
魔族の中でも単独行動を取る最上位魔族の中の一体と言われている。
この男が言っていることは本当なのかと問いたくなるが、直ぐにその心を掻き消す。
「ふむ…せっかくだから続けて相手をしてもらおうか」
「え…」
合図をすると入ってきたのは同じ訓練を受けた男の実験体、五番だった。
フィーアがここに入って少しした後に牢に送られてきた男だ。
特にお互い会話するという事はなく、同じ境遇の者という認識だけだった。
「五番は無条件、四番は魔法を禁止する」
「でも・・・彼は同じ・・・」
「同じ、なんだね?君たちは実験体。命令に背けばどうなることかわかっているのだろう?」
いつか人間と戦う時が来ると覚悟はしていたが、いざその状況になる彼女は戸惑う。
既に五番は戦闘態勢になっている。
彼の長剣の刃はまっすぐ四番に向けられていた。
ギラギラと殺意をこちらに向けられている目は、まさにこれから相手を殺す覚悟ができている目だ。
その様子に一回息を飲み込むと、腰に戻した短剣を右手に一本だけ装備して構える。
以前の彼女ではまだ迷っていただろうが、ここでは勝ち残った者が絶対ということを痛いほど知っていた。
「それでいい。では健闘を祈る」
「《我に宿せし炎の精霊よ―火弾―》」
「っ!」
開始の合図とともに五番は素早く魔法を展開する。
拡散しながら細かく飛んでくる炎の弾を左右上下に素早く避けながら徐々に接近していく。
四番はあの牢にいる実験体の強さなど知り得ていなく、魔法が禁止されている今、威力が道の魔法を物理で相殺するのは危険と判断した。
「っち!《我に宿せし炎の精―」
「遅いっ!」
魔法陣の綴りが完成する前に短剣を喉を目掛け突き刺そうとする。
それを防ごうと長剣で受け止め、両手持ちになったことにより詠唱が中断された。
刃と刃の押し合い。
四番は長剣を体を捻るようにしていなしながら、廻し蹴りを胴体に叩き込む。
「!?……がはッ…くそ!」
痛みを和らげるために当たる寸前受身を取ろうとするが、それ以上に四番の蹴りの速度と威力が上回る。予想以上のダメージと骨が折れるような嫌な音が響き渡り、血を吐き出す。魔物なら今までこれで動きを封じることができていたが、五番は腹を抑えながら距離を取るとすぐに次の魔法に移った。
「《我に宿せし炎の精霊よ―熱医―》」
蹴りを入れた箇所に炎が帯びていくと、再び剣を構えなおす。痛みを庇う様子はなくなったが、その代わりに息切れが激しい。
なんとか体力を回復しようと距離を保つが、四番はそれを許さず短剣で追撃をしかける。
好条件であるにも関わらず追い詰められている五番は、慌てる気持ちを抑えながらイメージする。
(・・・近接戦闘では圧倒的に不利だが距離さえ保ちながら魔法を放てばいい。今はとにかく避け続けてこいつを消耗させる!)
大丈夫だ、と自分に言い聞かせると、剣で相手にダメージを与えるという選択肢を捨てる。
だが、それが逆に仇となった。
「え・・・カハッ」
突如、五番の肺に短剣が深く刺さり、血が滲み出す。
もう一度後ろに飛んで距離を取ろうとしたところに、四番は素早く取り出したもう一本の短剣を投げたのだ。
最初から一本しか使わなかった理由はこのためであった。
咳をする度に吐血をし座り込む彼にゆっくりと近づく。
「何のために…そこまでして生きる…?」
「分からない…」
「クソが……この人殺し……」
杖のようにして支えている剣を奪い取ると、一撃で首を刎ねた。
骨のずれる音と地が溢れる音が共に頭に反響する。
死んで生首になっても尚こちらを睨み続ける五番から目を逸らす。
「ここまで圧倒するとは…だが最後のはよろしくないな。もし反撃されたらどうするつもりだったんだ?」
「……申し訳ありません」
肩をすくめながら気味の悪い笑みを見せる研究員を無視して牢に戻る。
一体何のために自分は生きているのだろうか。
五番の最後の言葉が頭の中で何度も蘇る。
人を殺してまで生きる理由―それでは自分を売り払った憎き母親と同じではないか。
そんな言葉が浮かび上がりかき消すが、何度も何度も脳に繰り返された。