《イレギュラー》1
辛くて、悲しい記憶。それは消してしまえばいいと思ってた。
それが正しいことだと信じていた。
2012年、俺はいわゆる受験生……の一年前の夏という重荷を背負わされていた。つまりは、中学二年生だ。
『俺』、肝心な部分の脂肪もついていない、ちょっとしたブームでフードをかぶっていた時なんて男子だと何度も認識された。
だが、れっきとした女生徒である。
『沙由』という名前と、顔立ちだけが自分は女性だということを精一杯主張してくれている。
では、なぜこのような一般的に見て『解し難い』と言われるような一人称になってしまったのか。
それこそ、小学生の頃に遡る。
妙な夢を繰り返し見るようになった俺は、気付いたらそれが記憶だと意識するようになった。
スラム街での生活。先輩の裏切り。親友『ジミー』との出会い、それから別れ。
それらの記憶からは、全く「感情」は伝わってこなかった。
だけれども、記憶だと認識した以上、男だか女だか曖昧になるのも仕方が無いというものだと思う。
こんなことになって居ればそりゃあ(俺自身の性格にも難があったために)友達もいなくなってしまうわけだ。
まあ、もう慣れたし平気なんだけど。
学校について一番前の席に座り、悠々と本を読んでいると、予鈴がなる。
いつも通り先生がやって来て、立ち上がっていた生徒を叱責する。
いつも通り。
俺は、ホームルーム始めるぞーという声が聞こえるのを待ったわけだが、今日聞こえたのは別のセリフだった。
「今日から入る転校生を紹介するぞー、皆静かに聞けよー」
転校生?こんな時期にか。
そんなどよめきがあちらこちらから聞こえる。
あたりまえだ。
こんな夏休み明けでもない、かといって連休明けでもない、こんな時期に転校生が来ることは私が知る限りでもなかったのだから彼等に経験があるわけがない。
自己紹介してください、と隣の少女に先生が言う。
そういうと、やる気のなさそうな目をした彼女はへーいと一声。
驚く先生と生徒達を置き去りに教壇に上がると、チョークを持って名前を書いた後、こう言った。
「…えー、『俺』の名前は中村綾乃ですー」
転校生……もとい、綾乃は気だるさを隠そうともせず自己紹介をした。
そうして、眠そうな目を崩さず俺の方をちらとみて、小さな小さな、俺にしか聞こえないような声で『彼女』は確かに言った。
「……『クレバート』とでも、呼んでくれ♪」
……と。
……朝のあの空気では、勉強すら耳に入らない。
いつもよりもぼうっとしていたがゆえなのか、気づいたらもう昼休みになっていた。
…クレバート。
クレバートってそれは。
(…あの人の名前じゃないか)
俺が、俺自身の手で屠ったかつての先輩。
…本当にか?
夢中で考えていたためか?
「…あらあ、何を考えているのかなぁ♪」
…張本人が話しかけてきたことにすら気付かなかった。
……ん?だけど、おかしい。流石におかしい。だって…足音も聞こえなかった。
「……あんた、いつのまに」
「あんたとはひどいねぇ〜♪さあさ、まあ弁当食い行きましょう!屋上どこあるのか知ってるか♪」
「…知ってるけど、あそこ立ち入り禁止」
「行こうか、行こうぜ、少女よー♪」
「いや、人の話聞いてたかあんた」
強引すぎる。こんなところまであの人そっくりじゃないか。
ひとまずは案内するしかないか。
「…そこを右に曲がって」
「ほう、で、ここをどっちだ♪」
「…しばらく行ったら階段がある、そのまま登ればつく」
「ほうほう!」
なかなかに入り組んでるじゃあないの、とご機嫌のまま走り続ける。
…考える専門にはこのスピードはキツイ。
「で、でだでだ!君今の名前はなんてーだい?♪」
「い、今って…沙由だ」
「そーかー、さゆさゆっちゃん、急いでいいかな♪」
「は…はぁ」
これ以上速度上げるのか…骨が折れるっつの、文字通り…
そのまま引っ張られて、最上階に着いたものの、もちろん鍵がかかっている。
「…ほら、言ったろ」
「ははは、こーんなもん大したもーんじゃないって♪」
そのまま、カチャカチャと何やらし始め、カチャン!と一際大きな音がした後、なんと扉は呆気なく開いた。
「ほーらあいたでしょう!つーわけで、入るぞ少女♪」
おい。今の完璧にピッキングだろ。
「や、お…ワタシは…」
正直、入りたくない。そう言おうとしたら、ニコニコとしながら俺を押し込んで行き、
「……少年、って言ってやった方が良かったかなぁ?」
と言った。
「…!」
驚いて声すら失った俺を、そのままドアの向こう側へ連れて行くと、ドアをバタンとしめた。
「……っはー。素直に入ってくれよぉ、手間取ってしゃあな」
「どういうことだよ、俺は女にしか見えないだろう?」
ははは、せかすねぇとへらへらとする綾乃。
「はははぁ、俺のこともしかして忘れちまったかいー?」
立て続けに。
「あーんなに世話してやったろう、むかーしむかしね」
さらに続け…
「…俺ん名前は『クレバート』。『ウィリアム・クレバート』だ、少年よ♪…さあ、君の本当の名前はーー…だあれかな?」
鋭い目が俺をゆっくりと捉え、口がゆっくりと動く。
ゆっくりと。
「…昔みたいに、新聞の切り抜きかなんかの『偽名』じゃあ通じねえからなぁ?」
「……なんであんた、俺が偽名だって…」
俺がそう言うと、「んっんー、甘い甘い」と言い、
「いいかい?お前が見るような記事なら情報好きの俺が気付かないわけがないだろうよ」
しっかり俺の方を向いて、付け加える。
「名前は被るは被るけどフルネームが被る事はなかなかない、だろー?
…さあさあ、もう説明は済んだし、教えろよー♪」
教えろよ、と言われても。
…まあ、あいつからつけてもらってた名前があるからから構わないけど…
「…ジャックだ。あんたが死んでから名前をもらった。」
「…お前、名前なかったんだねえ。まあいいや、じゃあジャッ君♪お前は俺の死んだ瞬間を知ってるかい?俺覚えてないんだ♪」
…あ。あぁ。
あぁ。……なるほど。
つまり、『彼』は俺が殺したことを覚えてないのか…
……今更そんなこと掘り返しても無駄か。そう判断した俺は、「いや、知らない」と言った。
「そぉかあそぉかあそれは誠に残念だ。……でも、俺も別に本題はそんなところじゃぁない」
ひらひらと手を振ると、彼はこう言った。
「…ジャッ君ー、君は、何の願いが適応されたのかなぁ?」
…は?
さっきから、話が飛びに飛んでいる。着いて行けていないって、俺は。
「ほらほら、ほらほらあのくっらーい、くっらーい場所で君は願ったでしょうよぉ、だから生まれ変わったんでしょうよぉ?」
…その場所は知ってる。死んだ後に行ったあの場所のことで間違いないだろう。
だけど…願いの適応?
そんな小説みたいな…
「はは、小説みたいだと思うだろう、その顔だと知らなそうだもんなぁ!♪それはねぇ、」
そのタイミングで、チャイムが鳴り響く。
「…あらあ。じゃ、放課後、お話ししましょうか♪……気になって仕方ないって顔してるそこの君のためにね♪」
俺をまっすぐそう言って指さすと、綾乃さん…もとい、クレバートは手を振りながら屋上の扉を閉めた。
…ん?つか鍵はどうやって閉めるんだよ…