5.脱フェミニスト宣言
「え? 休み?」
親切に教えてくれた女子生徒に対して、涼は素っ頓狂な声を上げた。
「先生は風邪だって言ってたけど……」
言葉を濁した彼女に、涼は頷き返す。
「昨日あんな事があったからね。僕も風邪だとは思えないよ」
放課後、一つ上の階にある優奈の教室を訪ねてみたが、そこに彼女の姿はなかった。
ホームルームが終わる前から教室の扉口で待っていたのだから、優奈がすでに部活に行ってしまったという事はない。
そんな涼を見て声をかけてくれたのが一人の女子生徒だった。その子の話によると、優奈は今日は風邪で欠席だったという。
「教えてくれて、ありがとう」
礼と一緒に笑みを送ると、彼女は頬を染めた。涼にとっては見慣れた反応である。
いつもなら目の前の親切な女性にお茶の誘いくらいするのだが、なぜだか今日はそんな気分にはなれなかった。
「じゃあ、またね」
それだけ言うと、踵を返して昇降口へと向かった。優奈のいない場所に用などない。
(いつからこんな風になっちゃったんだろうね)
一人の女の子……しかも自分に好意を抱いていない女の子を好きになるなんて思いもしなかった。
三千院優奈。伝統ある三千院家の分家に当たる、と聞いたことがある。三千院家は茶道では名のある家らしいが、そんなことに詳しくない涼にとって、そこはさしたる問題ではなかった。
高校一年の時、涼は優奈と同じクラスにだった。それが彼女との出会いだ。
自己紹介のために教室の前へと進み出た彼女は、十五、六歳とは思えないほど洗練された動作をしていた。歩き方、お辞儀の仕方はもちろん、まばたきさえも上品だった。
悪く言えば、ババくさい、古臭い。けれど涼にとっては神聖なものに映った。それまで涼の周りにいた女子というものは、体の発育は十分でも動きは粗暴な子ばかりだったからだ。
人生初の一目惚れだった。
もう一つ、彼女は涼を驚かせた。
――伊藤君、ちょっと椅子引いてくれる?
それが初めての会話。
優奈の言葉を思い出した涼は、靴入れから靴を出しながら声をあげずに笑った。
(女の子に名前を間違われるなんて、後にも先にもあの時だけだよ)
涼の容姿は目立つ。そのうえ性格も目立ちたがり屋なので、印象に残りやすい。
にも拘わらず、優奈は覚えていなかった。
(あの時は、さすがに少し腹がたったな)
そして同時に傷ついた。自分は彼女に引きつけられたのに、彼女は自分の名前すら覚えていなかったのだ。
プライドを刺激された涼は優奈に覚えさせるために、あわよくば惚れさせるために積極的に話しかけたのだが、のめり込んでいくのは涼ばかりで、優奈は全然振り向いてくれなかった。
そのうえ、強敵が現れた。与田嵐先輩だ。
(女装癖があるのは見ればわかるし。女の子と付き合っているのは見たことないって姉貴は言ってたのに……)
なんでよりにもよって優奈に興味を持ってしまったのか。
そんなことを考えていると、ふと横から腕を掴まれた。
「涼! 帰りにアイスでも食べない?」
「あ、結衣」
女友達の一人、結衣だった。
「んー、今日はちょっとなー」
「えー、最近涼冷たーい」
彼女の言う通りなのは自覚していた。近頃、女の子と遊ぶ時間が減った。
(なんか気分が乗らないんだよなー)
「また今度、な」
「そればっかり! もう、私が他の男の子と遊んでも良いの?」
結衣が他の男と……?
「……いいんじゃない? 別に。僕にはそこまで干渉する権利ないからね」
「……っ! そこは止めるところでしょ!」
優奈以外の女子が、誰とどうしてようと気にならない。その事実に、涼は今気がついた。
心底優奈に惚れこんでいるのだと自覚し、怒られているのに笑ってしまう。
「ちょっと! なんで笑うの! バカ! 本気で他の人と」
「いいよ」
涼は彼女の言葉を最後まで聞かずに、はっきりと言った。
「僕、優奈以外に興味ないから」