3.与田家にて
「くっ……あっははははは、それでお前そんなツラしてんの? だっせぇー」
「そ、そんなに笑うことないでしょ!」
すぐ上の兄――颯に笑われ、嵐は情けないやら恥ずかしいやらで、できることならこの場から消え去ってしまいたいと思った。
今日は大失態を一つとちょっとした失態を一つやらかした。
優奈にキスをするという暴挙が大失態の方。ちょっとした失態というのは、その後の会議中にうわの空でちゃんとした話し合いをすることができなかったというものだ。
(こんなの……全然男らしくない)
ソファに体育座りをしたまま、ちらりと横目に颯の顔を見る。ニヤニヤとした不愉快な笑顔を向けてきていたので、睨み返しておいた。もっとも、嵐が睨んだところで颯には怖くもなんともないだろうが。
表情はともかくとして、颯は顔の造りだけなら男前だ。
(ずるい……)
掘りが深く大作りの顔は、決して女に間違われることはないだろう。
「嵐ちゃんは落ち込んでても可愛いでちゅねー」
言いながら、颯は自分のコップにコーラを波々と注ぐ。
「馬鹿にしてるの?」
「そんなことないでちゅよー」
と、そんなことありまくりな口調で言った。
しかし今回は馬鹿にされても何も言い返す気にはなれない。自分自身が一番自分を馬鹿だと思っているのだから。
(なんであんなことしちゃったんだろう)
今までだって女扱いされた事は数えきれないほどあった。その時は……頭には来たけど、あんな行動を取る事はなかった。
(絶対、嫌われた)
――男だとみてなかったみたいだからね。
あの場ではああ言ったけれど、思い返してみればなんと筋違いな言い訳だろう。
男だと認識されていなかったのは、自分が好んで女子生徒の格好をしてるからだ。自らそう思わせるように仕向けておいて、身勝手過ぎる。
「そこまで落ち込む事じゃないだろ。お前顔は……まぁ俺には敵わないけど、良い顔してんだし。相手の女の子だってラッキー、くらいに思ってるって」
「そういうタイプの子じゃない! 兄貴が付き合ってる女と一緒にしないで」
感情にまかせてテーブルを叩くと、乗っていたコップからコーラが幾筋かこぼれ出た。
「あぁ! もったいない! なんてことするんだ!」
「そんなに注ぐからでしょ」
「男たるものこれくらい豪快に注ぐもんなんだよ! みみっちい事言うな!」
「…………はぁ」
だったら、男たるもの少し零れたくらいで騒ぐな、と言ってやりたい。
言葉は頭に浮かんでいるのに結局言えないのは、兄の方が口が上手く、絶対何かしら言い返してくると予想できているからだろう。
今日まで世話になってきたウイッグを手の中で弄びながら、嵐は再びため息をついた。
(明日から、これ無しで行くのか)
ウイッグは、いわば兜の役割を果たしていた。そしてセーラー服は、嵐の心を守る鎧。
ウイッグを手放すということは、必然的にセーラー服も着なくなるということを示している。
――兄達のように男らしい顔だったら。
何度そう思ったか、もう数えきれない。
男らしく。それをプレッシャーに感じるようになったのは、嵐が小学四年生の頃だった。
兄達は中学に上がり、小学校に一人きりとなった嵐は初めて人の悪意にさらされた。同時に、兄達に守られていたという事も知った。
(男らしくする。そのために俺は、女装を始めたんだ)
女の格好をし始めたら、自然と男らしく振舞えるようになった。
(でもダメなんだ)
女性としてかっこよくても、好きな女の子に男に見られないと意味がない。
優奈が嵐を見る時の目は、敬意や憧れが含まれていた。嵐はもちろんそれに気付いていたし、最初は嬉しいと思っていた。
しかしそれは、本当に最初だけだった。
優奈が自分を見る目が、自分ではなく別の何かに向いているような気がした。それはある意味正しく、ある意味間違っていたと言えるだろう。
(俺は男の与田嵐。でも、優奈が見ていたのは……女の与田嵐)
男としての自分が作り出した上辺の人物こそが、女性としての与田嵐。それが彼女の憧れた……虚像。
自分が彼女を好きだというのは知っている。けれど、あの時……優奈にキスをしたのはどっちの嵐だったのだろう。