第8話 オオカミ少女
学校に犬や猫が迷い込んできたら、大騒ぎになるものでしょう。
私が通っていた小学校や中学校でも、ノラ猫が迷い込んだり、チワワが迷い込んできたりして、授業にならなかったことがありました。
可愛い動物が嫌いな人なんて、ほとんどいないと思いますし。
そういった部分は、高校生になっても変わりません。
もちろん迷い込んできたのがドーベルマンだったり土佐犬だったりしたら、違った意味で大騒ぎになるでしょうけど。
「いや~、授業中に学校内を歩き回るってのは、やっぱ最高の気分だな!」
「まったくそのとおりです、アニキ!」
「並木先生、ごめんなさい……」
毎度のことながら、私たちは授業中に教室を抜け出して、不思議ちゃん探検隊としてパトロールという名目の散歩をしている真っ最中です。
ヤンキーは抜け出す授業もだいたい決めているようで、それはたいてい並木先生の日本史か、適当さがウリ(?)の担任、浅田先生の数学のどちらかであることがほとんどです。
並木先生は気が弱いから、簡単に言いくるめられると思っているのでしょう。
浅田先生は……まぁ、ノーコメントにしておきます。
そんなこんなで、私たちは今、2年生の教室が並ぶ廊下を闊歩しているところです。
授業中だというのに喋り声を響かせながら歩くのは、あまりにも迷惑だと思うのですが。
私がヤンキーに意見なんてできるはずもありません。
仮に意見したところで、反撃を食らうだけですしね。
私たちは、そろそろ特別教室棟のほうにでも移動しようと考え、教室の並びから九十度方向転換しました。
その視線の先に、それはいたのです。
「あっ、犬だ♪」
少々遠めだったからというのもあるかもしれませんが、動物の毛並みとかが大好きな私としては、当然のように歓喜の声を上げます。
ただ……あれ? なにか違うかも? という思いがどんどんと湧き上がってきまして……。
「あれはオオカミだな!」
「はい、そのとおりです、アニキ!」
…………。
いやいやいやいや、そんなこと、あるはずないから!
私としてはそう言いたかったのですが。
釘バットは動物にも詳しいみたいなことを言っていた気がします。
それに、犬だと思っていた動物は、なにやらうなり声を上げ、牙をむき出して恐ろしい顔をさらしています。
というか、確実にこっちのほうを睨んでいます。
「これって……ヤバくない……?」
「うむ、ゆっくり後ずさりしよう……」
「合点でさぁ、アニキ!」
「バカ、声がでかい!」
再び九十度方向変え、歩いてきた廊下へと戻る私たち。
そして――。
「オオカミが出たぞ~~~~! 教室からは絶対に出るな~~~~!」
ヤンキーが廊下を駆け出し、そんなことを叫び始めました。
大声のせいでオオカミが来てしまうかもしれません。
ですが、教室にいる人たちに知らせなければならない、と考えたのでしょう。
こう見えて、意外と真面目なのです、ヤンキーは。サボりの常習犯ですから、説得力なさすぎかもしれませんが。
「おっ、なんだなんだ!?」
ヤンキーの意思に反して、教室のドアが開けられ、数名が廊下をのぞいてきます。
「お前ら! 危ないから出てくるな! オオカミが出たって言ってんだろ!?」
「はぁ? なに言ってんだ!?」
どうやらまったく信じてもらえないようです。
それ以前に、ここは2年生の教室ですから、ドアから顔を出しているのはみんな先輩方ということになります。
なにタメ口で喋ってるんだ、という意味でも、なに言ってんだこいつ、と思われているのかもしれません。
「オオカミなわけねーだろ!」
「アニキは嘘なんかつかない! アニキを侮辱するな!」
先輩が文句をぶつけてくるのを聞き、釘バットが噛みつきます。
釘バットは、アニキと呼んで崇めているヤンキーと、そしてなぜか私には敬語を使うのですが、それ以外にはタメ口なのです。
こんな状態で、まともに話を聞いてもらえるはずもありません。
「こいつら、なにバカなこと言ってんだ!?」
「あなたたち1年生よね? いったいなにを……」
頭ごなしに怒鳴りつけてくる人が多い中で、落ち着いた感じの女性の先輩が優しげに問いかけてきてくれました。
ここは私がしっかり説明しないと!
気合いを入れて喋り始めます。
「いえ、あの、えっと、廊下、渡り廊下、犬、オオカミで、えっと、その……」
ダメでした。
焦っている私に、まともな日本語が喋れるはずもなかったのです。
とはいえ先輩方には、すぐにヤンキーは嘘なんかついていないと納得してもらえました。
私たちの声に気づいたからでしょうか、オオカミが渡り廊下の先からひょこっと顔を出したからです。
教室の並ぶ廊下へとたどり着いたオオカミは今、さっきと同様、牙をむき出しにしてうなり声を上げています。
一瞬でドアが閉められ、先輩方は教室に引っ込みました。
だから言ったのに。人の話を聞かないから……。
呆れを含んだため息を吐き出す私でしたが。
そんな余裕をかましていられるような状況ではありませんでした。
「きゃ~~~~っ! 来ないで来ないで来ないで~~~~!」
叫んで逃げ出しました。
その声に反応したのか、オオカミはしっかり追いかけてきます。
私の目の前には、ヤンキーと釘バットがいます。
このままでは、一番後ろの私が食べられてしまうのは、自明の理というものです。
そこで、ヤンキーから救済の手が差し伸べられました。
「よしっ! 3方向に分かれよう! オレ様は階段で上へ、釘バットは階段で下へ、パシリは突き当たりの渡り廊下へ!」
「合点でさぁ、アニキ!」
「うん、わかった!」
3方向に分かれる、ということはすなわち、私が犠牲になる確率が100%から33%に減ったと言えます。
さすが、ヤンキーです。
うちの学園は、建物がロの字型になっていて、教室棟と特別教室棟が二本の渡り廊下で結ばれています。
階段に向かったヤンキー・釘バットと別れ、さっき通ろうとしていたのとは反対側の渡り廊下へと、私は足を踏み入れました。
確率33%。さあ、どうなるでしょうか。
振り向いた私の目に映ったのは、廊下を勢いよく滑ってきて器用に足でブレーキをかけ、こちらへと視線を向けてくるオオカミの姿でした。
「きゃ~~~~っ! こっちに来た~~~~~!」
考えてみたら当たり前ですよね。
階段は廊下の突き当たりよりも少し手前で曲がります。
それに対して、この渡り廊下は完全に突き当たった先に存在しているのですから。
と、そこで私は、足を滑らせてしまいました。
思いっきり前のめりに倒れます。
このままお尻からガブリ、というのはさすがに嫌です。
どうにか体を反転させた私は、じっとオオカミの姿を見据えました。
じりじりと迫ってくるオオカミ。
飛びかかってくるのをかわして、逆方向に走れば、なんとかなる!
……いえ、そんなことが、鈍くさい私にできるはずもありません。
オオカミの巨体がのしかかってきました。
大きな口を開け、牙をむき出して、ヨダレを垂らしています。
ああ、食べられちゃうんだ、私。
なんだかやけに冷静に考えてしまっていました。
ペロペロペロ。
オオカミが、私の顔を舐め回してきます。
味を確認してから、一気にガブッといくつもりなんだ……。
そう覚悟して目をつぶっていたのですが。
いつまで経っても痛みは襲いかかってきませんでした。
「???」
目を開けてみると、舌でペロペロ舐め回してきているオオカミの顔はやけに嬉しそうな感じで、しかも尻尾をこれでもかというほどの勢いで振っていました。
「おや? 普通に犬だったのか?」
「そうみたいですね、アニキ!」
「えええ~~~~っ! って、ぶふっ。舐めるの、もうやめ……ぶぶぶっ」
私の声は、いまだに舐め続けているオオカミ……じゃなくて犬? の舌によって、はばまれてしまうのでした。
「あ~、こんなところにいた!」
そこへ男子生徒が駆けつけてきました。
なんだか、聞いたことのある声のような気がします。
「すみません、うちの部で飼っていた犬が逃げちゃって……。オオカミにどれだけ似せられるかの実験中だったんですよ。休み時間にカギをかけてオリに入れておいたはずだったのに、逃げられてしまったんです!」
それは、以前の巨大なカエルのときにも会った、生物部員さんでした。
「なるほど。納得した! 全然、不思議なことじゃなかったな!」
「そうですね、アニキ!」
というヤンキーと釘バットの声が聞こえてきましたが。
私は納得できません。
「ヤンキー、さっき最初から私をおとりにするために、3方向に分かれようなんて言ったんでしょ!?」
「うむ。そのとおりだ!」
……素直にそう言われてしまっては、返す言葉もありませんでした。