第18話 続続・トイレの花子さん
「………………」
どういうわけか、ヤンキーに元気がありません。
なにか思い悩んでいるみたいです。
朝からずっとこうなのですが、さすがに気になってしまいます。
釘バットがいつもながらの明るい声で話しかけても、まともな反応はありませんでしたし。
私としては、ちょっとひどいことを命令されたりしない分、平和な学園生活だわ~なんて思っていたのですが。
放課後となっても様子が全然変わらないので、心配の念が湧き上がってきました。
いえいえ、授業中や休み時間にだって、気にしてはいたんですよ?
ただ、悩みごとがあるときって、ひとりで落ち着いて考えたい場合だって多いものですから。
もし相談に乗ってほしいようなら、ヤンキーのほうから声をかけてくれるだろうって、そう考えていたんです。
それなのに、ヤンキーは放課後になっても席に座ったまま、ため息をこぼしています。
明らかにおかしいです。
私は釘バットとともに、ヤンキーに話しかける決意を固めました。
「ねぇ、ヤンキー。どうしたの?」
「アニキ、元気がないです! アニキらしくないです!」
ヤンキーはゆっくりとした動作で顔を上げます。
いつものような視線の鋭さなんかも、完全に鳴りを潜めています。
ほんとに、どうしたのでしょう? もしかして、なにかの病気なのでしょうか?
「ああ、パシリ……」
私の顔をじっと見つめるヤンキー。
そして、思いもよらなかった言葉が続けられました。
「悪かったな。ほんと、ごめん」
「ええっ!?」
ヤンキーが私に謝罪!?
ありえません。ヤンキーに限って、そんなこと!
そもそも、いったいなにを謝っているのでしょう?
「いや、だってさ、昨日オレ様がトランポリンで飛べなんて言ったせいで、屋上から落ちそうになったわけだし……」
「あ……あ~」
そういえばそうでした。自分でもすっかり忘れていました。
校舎からなにか舌みたいな物体が伸びてきて、私は助かったみたいですが、確かに危ない場面だったと思います。
一時は私自身も、もうダメかも、と考えたくらいでしたし。
屋上にトランポリンを用意したのも、私に対して飛ぶように命令したのも、間違いなくヤンキーでした。
つまり、そのことを後悔して、ずっと気に病んでいたんですね。
「ほら、私はこのとおり、平気だったんだから。なにも気にすることなんてないよ~」
努めて明るく振舞って、ヤンキーを元気づけようとします。
だいたい、普段から散々私に無茶な命令をしておいて、今さらなにを気にしているんでしょうか。
「オレ様って、どうも思いつきで行動してしまう癖があるから、反省しないとって思って……」
「もう、なに言ってるの? ヤンキーらしくないよ?」
「そうですよ、アニキ!」
釘バットも加勢してくれたものの、ヤンキーはうつむき、沈んだまま。
ほんとに、どうしたんでしょうね。そんなに繊細な神経の持ち主でもないと思うのですが。
「でも、パシリはオレ様を恨んでるだろ……?」
「そんなわけないってば~。親友なんだから、私はなんとも思ってないよ!」
こんな弱気なヤンキーって、初めて見る気がします。
幼馴染みでずっと一緒だったヤンキーですが、知らなかった一面を見ることができて、私はちょっと微笑ましい気分になっていました。
「それじゃあ、今までどおりでいいってことだな?」
「うっ……うん」
「これからも、思いつきでパシリにあんなことやこんなことをさせてもOK、ってことだな!?」
「うっ……えっと……うん」
「そうかそうか! よし、わかった!」
「アニキが元気になりました! さすがパシリです!」
「う……うん……」
あれれ? なんだか、自分で自分の首を絞めたような気がしなくもないですが……。
それでも、ヤンキーにいつもの笑顔が戻ったのだから、これでよかったんですよね。きっと。
「んじゃ早速、パシリをトイレに連れていって、便器に顔を突っ込ませよう!」
……全然よくありませんでした。
☆☆☆☆☆
便器に顔を……というのは、ヤンキーなりの冗談だったようです。
本気かどうか判別のつかない冗談はやめてほしいものですが。
それはともかく、私たちは今、女子トイレに来ています。
故障中の貼り紙が貼ってあって、便器の中がブラックホールになっていた、あのトイレです。
特別教室棟の片隅にあるトイレなので、ひっそりと静まり返っています。
なお、前澤さんの姿はありませんでした。
そりゃあ、毎日毎日、トイレにこもったりはしていないでしょう。
すでに放課後だからいないだけかもしれませんが。
さて、私たちがこのトイレに向かったのは、故障中となっていた個室が気になったからです。
確認してみると、すでに貼り紙は剥がされ、普通に使用できる状態でした。
もちろん、便器の中にブラックホールがあって吸い込まれる、なんてこともありません。
「あの貼り紙、『ちょっと実験中 学園長』って書いてあったよね?」
「そうですね! 小さい文字でしたけど!」
「ああ。なにか手がかりが残ってないかと思ったんだが……」
トイレには不審な点はまったく見受けられませんでした。
貼り紙が貼ってあった形跡すらないほど、完全に通常状態の個室に戻っています。
「パシリ、この個室の床を細かく調べろ。顔を近づけて手探りで、どんな小さな証拠も見逃さないように!」
「嫌よ! っていうか、証拠ってなに!?」
ヤンキーは今までどおりでいいとは言いましたが、私のほうが命令どおりにするとは言っていません。
私は断固拒否します。
『そんなことしなくてもいいわよ』
突然、私たち3人以外の声が響き渡りました。
視線を向けてみると、そこにいたのは、制服を着た女子生徒でした。
といっても、制服のデザインは私たちと明らかに違っているようですが……。
『私は花子よ』
微笑みながら自己紹介してくれる花子さん。
言うまでもなく、1年4組の前澤花子さんではなく、本物の……。
本物って……本物……!?
パニック気味の私でした。
幽霊である花子さんは、なにやら楽しそうに語ってくれました。
つい先日まで、教室棟のあるトイレに住み着いていたらしいのですが、入ってくる生徒が多すぎて落ち着かないと不満を訴えたのだそうです。
「訴えたって……誰に……?」
『学園長さんよ』
そうしたら、学園長さんがここ、特別教室棟のトイレへの引っ越しを手配してくれたのだとか。
花子さんの場合、引っ越すといっても地縛霊になっているため、廊下を通って普通に移動するという方法は使えません。
そこで、トイレの個室と個室を異次元空間を経由してつなげ、花子さんが移動できるようにしてくれた、というのが真相だったようです。
おそらくは、学園長さんとしても上手く行くかはわからなかったため、『実験中』という表現をしていたのでしょう。
『私、学園長さんにはとっても感謝してるの! ここのトイレ、すごく静かで落ち着ける場所だから!』
花子さんは心底嬉しそうです。
ちなみに、怖い話が苦手な私は、この人は幽霊じゃなくて普通の生徒、と自分に言い聞かせている状態だったりします。
もっとも、この花子さんの雰囲気からは、恐怖なんて微塵も感じられないんですけどね。
「とりあえず、やっぱり学園長が黒幕だというのは、疑いようもないな!」
「そうですね、アニキ!」
ヤンキーは学園長さんに対する疑念を、確信へと昇華させたようです。
いえ、もとより怪しいという思いは持っていたわけですし、このあいだだって、ロマンスグレーのおじいさんがお客様として訪問してきたせいで学園長室から追い出されてしまっただけでしたが。
「パシリ、釘バット! もう一度、学園長室に乗り込むぞ!」
「合点でさあ、アニキ!」
「はいはい、やっぱりそうなるよね」
意気揚々とトイレを飛び出していくヤンキーのあとを、私は釘バットとともに追いかけました。
……というわけで、次回へ続きます。




