第10話 おむすびコロコロ女神様
それはとても日差しが心地よい、晴れ渡ったある日のことでした。
お昼休みになり、せっかくこんなにいい天気なのだからと、外でお弁当を食べようという話になりました。
靴に履き替えた私たちは、どこがいいか考えた末、中庭の片隅にある池に目をつけました。
池の淵には大きな石が敷き詰められていて、そこに腰をかければお弁当を食べるのにもよさそうでした。
木々が日差しを遮りますので、直射日光も当たりません。
いい天気とはいっても、直接日差しが当たっては暑くて汗だくになってしまいますからね。
そこはちょうどいい感じに思えました。
葉っぱが落ちてくる可能性や、最悪な展開として虫が落ちてくるなんて可能性もありましたが。
おそらくそれは大丈夫だろうと、ヤンキーが根拠もなく言いきりました。
ヤンキーがそう言うのであれば、私と釘バットには反論なんてできないのです。
石に腰かけようとしたタイミングで、ヤンキーが話しかけてきました。
「パシリ、落ちるなよ?」
ニヤニヤと笑っているところを見ると、私を落とそうとでも考えているのでしょうか。恐ろしい子です。
「ヤンキーが落とそうとしなければね~」
「それは芸人とかがよくやる、フリってやつか?」
「違うから! 池に落ちるのなんて嫌だから! 絶対にやめてよ!?」
「嫌よ嫌よも……」
「好きじゃないから!」
しぶしぶながらも、ヤンキーは納得してくれたようです。
というか納得してもらわなければ困ります。
ただ、敵はヤンキーだけではありませんでした。
「わっ!」
「きゃあっ!?」
ヤンキーが諦めてくれて安心しきっていた私にも非がないとは言えませんが、突然釘バットが私を驚かしにかかったのです。
バランスを崩しながらも、どうにか体勢を整え、私は石の上に踏み留まります。
あ……危なかった……。
「ちっ……」
ヤンキーが舌打ちしていましたが、ここはスルーしておきます。
落ち着いて石に腰かけ、お弁当を開きました。
私のお弁当は、オニギリです。具はいろいろ。なにが入っているかは食べてみるまでわかりません。
と、ヤンキーのせいでも釘バットのせいでもなく。
私は普通に手を滑らせ、オニギリを落っことしてしまいました。
「あ……ああ~~~!」
「さらば、シーチキンオニギリ!」
「な……中身はわからないもん! 大好きなシーチキンじゃなかったはずだもん!」
そう思いたいだけでしたが。
ともかく、オニギリをひとつ無駄にしてしまった私は、意気消沈しながらも次のオニギリに手を伸ばします。
そのときでした。
ぶくぶくぶく。
池の中央付近から突然、次々と泡が湧き出てきました。
そして続けて、なにかが池の中から浮かび上がってきました。
それはなんと――。
しっとりとした髪を風にたなびかせる、白い布を全身にまとった女性でした。
「なんで女性が池の中から出てくるの!?」
「水死体じゃないですか!? わくわく!」
「わくわくしないで! それより、なんだか微かに輝いてるよ!?」
「アホか! こんなの、女神様に決まってるだろ! 泉の女神なんて、ベタ中のベタだろ!」
「だけどここ、泉じゃなくて池だよ~?」
「コホン!」
なんやかやと騒がしい私たちを、咳払いひとつで制する女神様でした。
「よろしいですか?」
こくん。尋ねられた私たちは、黙って頷きます。
女神様っぽい感じなのに、鬼のような形相でしたから……。
神様は表情を一変、満足気に微笑むと、改めて問いかけてきました。
「あなたが落としたのは、この金のオニギリですか? こちらの銀のオニギリですか? それともこの、なんの変哲もないみすぼらしい形の貧乏臭いオニギリですか?」
「び……貧乏臭くて悪かったですね! でも私が落としたのは、そのみすぼらしいオニギリです!」
私は素直にそう答えていました。
自分で握ったオニギリでしたので、少々涙目にはなっていましたが。
「あっ、バカ! パシリ、欲がないな!」
「まったくです!」
ヤンキーと釘バットは文句を言っていましたが。
落としたのは私なのですから、回答権は我にありです。
女神様はよりいっそう輝かしい笑顔を向けてくれました。
「あなたは正直者ですね。それではこの、なんの変哲もないみすぼらしい形の貧乏臭いオニギリを返してあげましょう」
……普通に返すだけなんだ。
ちょっとだけ残念に思ってしまいました。
それにしても、オノとかならべつにいいのですが、私が落としたのはオニギリです。
女神様が手渡してくれたオニギリは、ばっちり池の水が染み込んで、ぐちゃっ、べちゃっ、となっていました。
こんなもの、食べられたものではありません。
「えっと、その……これもいらないので、持って帰ってください」
私は遠慮勝ちにそう申し出たのですが。
その途端、女神様の態度が急変してしまいました。
「んだと!? 貴様、食べ物を粗末にするな! ぐだぐだ言ってないで、黙って食べろ!」
返そうと思って差し出していたオニギリを乱暴につかんだ女神様は、あろうことかそれを私の口の中に無理矢理押し込んできたではありませんか!
「もがががががっ!? ひ、ひどい……むぐぐぐぐ、ごっくん」
飲んでしまいました。
池に落ちたオニギリを。
ですが、なんだか妙です。
口の中に広がるのは、池独特の生臭いというか泥臭いというか池臭いというか、そんな感じの味ではありませんでした。
「あれ? 意外と美味しいかも……?」
私のつぶやきに、ヤンキーがすぐさま反応します。
なんと、池の水を手ですくって、がぶがぶと飲み始めたのです。
「ほんとだ! 美味いぞ、この水!」
「おおっ、確かにそうですね!」
どうやら釘バットもしっかり飲んだようです。
「これはあれだな、女神様のエキスが出たってことだな!?」
「ち……違います!」
女神様は否定していましたが、それじゃあいったい、どうして美味しいのでしょうか。
よくよく考えてみると、美味しいといってもフルーティーな感じではなく、さほど強い味があるわけでもありませんでした。
ぐちゃっとしたオニギリでも違和感なく食べられる美味しさ……そう考えればおのずと答えは見えてきます。
「この味は……お茶だな!」
もう一度飲み直したヤンキーが断言しました。
そうです。お茶です。
オニギリが吸収しても違和感がなかったのは、お茶漬けのような感じだったからに違いありません。
「だが、どうしてお茶の味がするんだ?」
「底にお茶っ葉でも生えてるんでしょうか?」
とはいえ、池は結構深いらしく、手を入れてみても底までは全然届きませんでした。
美味しい味の源がなんなのか、それは謎のままでしたが。
「それでは、私はこれで……」
笑顔を残して、女神様は池の中へと戻っていきました。
しばらくの沈黙ののち。
「次はなにを落としてみようか……」
ヤンキーがまた、おバカなことを言い出しました。
お弁当のどのオカズを落としたところで、お茶の味がつくだけとわかっているのに……。
それとも今度は、金や銀のから揚げとかでもいただこうと考えているのでしょうか。
そんな私の考えは、残念ながら外れていました。
「やっぱりここはパシリを落として、金のパシリに変えてもらおうゼ!」
「絶対にやめて!」
「それはもちろん、フリってやつだよな? へっへっへ!」
そう言っていやらしい笑みを浮かべたヤンキーは、私ににじり寄ってきました。
「きゃ~、やめて~!」
私は抵抗しました。
そして――。
池に落ちました。
……私ではなく、ヤンキーが。
ですが、今度は女神様は現れてくれませんでした。
金のヤンキー、ゲットならずです。
などと余裕をかましていた私だったのですが……。
濡れ損となってしまったヤンキーは、腹いせとばかりに私と釘バットも池の中へと強引に引っ張り込むのでした。
めでたくなしめでたくなし!




