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①プロローグ~噂~

 人の噂も七十五日。芸能界での麻薬汚染の噂、いぶし銀の渋さで名を売る有名俳優の同性愛疑惑、大物セレブ女優の高級コールガールの噂、どれもこれも確証がないままに時が経ち、そのネタ自体が死んでいく。噂というものは所詮はそんなものだ。

 念願だったニュースキャスターのアシスタントになり1年が経とうとしている大塚みどりはニュース原稿の読み合わせを途中で中断した。

「どうした?まさかわからない字があるわけではないだろう」

 キャスターの柴本哲夫は隣でみどりの原稿を覗いた。打ち合わせとはいえ、普段めったに言葉を噛むことがないみどりの態度に不信感を持ったようだ。局アナを定年退職をしてフリーになっても実年齢より若く見える柴本も、ハゲ上がった額に年季の入った深い皺を漂わせると年相応の老け込みは隠せない。

「この噂って、ニュースで読むようなことでしょうか」

 みどりは心の中に引っかかっている何かを確かめるように柴本に率直にぶつけてみた。一年前、みどりが柴本のアシスタントキャスターとして決定をしてわざわざ柴本が所属する事務所まで足を運んだ初めて挨拶をしに行った時だった。

「キャスターもニュースネタに疑問を挟むことは良いことだよ。原稿に書かれた事実だけを読むだけなら新人局アナにも出来るからね。疑問に思ったら黙っていないで、堂々と口に出してみることだ」

 ベテランの厳しさというよりも優しさを前面に出した柴本のこの言葉に、みどりは救われた思いでいた。そしてその言葉を糧にして、1年間柴本のサポートをしてきたつもりだ。しかし、今回の原稿の内容はあまりにも滑稽な内容だった。

「世界中の有名な霊能力者の発言なんてニュースの素材としてどうなんでしょうか」

「続き読んでみなよ。日本ではそれほど騒がれていなけど全米を初めとして世界各国でパニックになろうとしているんだ」

 柴本は冗談かと思うほどに真剣な目で原稿を見つめながら呟くように言った。

 しかたなく続きを読み始めたみどりの脳裏に別な記憶がシンクロをしてきた。

「・・・・世界中で名を馳せる7人の有名な霊能力者と呼ばれる人々が同じ予言をして世界中を混乱させています。7人の各霊能力者たちは共通して<あの世とこの世が重なり合う>と発言していることでそれを信じる人々がパニック状態になり世界各地で暴動が多発しているということです」

 この原稿は世界で起こる暴動がテーマの中心なのだろう。それなのにどうして霊能者の発言に主眼を置くような書き方なのか、みどりにはわからなかった。霊能者たちを糾弾しようとする動きがあるわけでもない。あくまでも霊能者の発言がメインになっている。

その一方でみどりは別のニュースを思い出していた。しかし、その記事は今日の番組内容には予定されていない。

「あの・・・。」

 みどりの言葉の続きを辛抱強く待つような、柴本のみどりを見る目は1年前と変わってはいなかった。

「つい先日、NASAでもうひとつの地球のような惑星が地球に近づきつつあるという噂がありましたが、それとこれって関係は・・・・」

「あれこそただの噂だし、NASAはそんな情報を流した覚えはないと公言してるしね。あれとこれを勝手に関係づける方がキャスターとしては変じゃないのかな」

 確かにそうなのかもしれない。しかし、みどりの中で何かが引っかかっていることを否定することは自分の心が許さないような気がしていた。

「NASAが確認のためにもうひとつの地球に衛星で近づいたら忽然と消えたとか、隕石がその星がまるで無かったように通過してしまったとか、あり得ない話だよ。きっと、何か目の錯覚で星に見えたんだろう。何しろ宇宙は暗いからね」

 と言いながら柴本は快活に笑った。

 大塚みどりはその後は単調に読み合わせを続けた。


 東京郊外にある大手のスーパーマーケットは、建設当時近隣住民の反対の声を多数受けながら工事に着工をして営業が始まった曰く付きの大型店舗だ。

 車が何百台入るのかわからないほどの大きな駐車場の一画に、数台の警察車輌を止めた警察官が人垣をかきわけて「もっと後ろに下がって!」と叫び続けていた。

 同じ地面にいたのでは何が起きているのかわからない。自分の190センチに近い長身を活かしてもなかなか目的のものがわからない、とスーパーの2階へ駆け上がった相馬誠二はポロシャツの襟を手でバタバタさせて荒い息を吐いた。最近は研究室に閉じこもることが多いせいか妙に体力が落ちている。そんな後悔もその窓からデジタルカメラをズームアップさせると消し飛ぶように衝撃を受けた。

「何だこりゃ」

 一言呟いた誠二のデジカメの画面には駐車スペースの一列のうち4台分に潰された鉄板のようなものが4つ並べたように置かれていた。

 誠二がじっとその画面を見つめるうちに、それが上から踏まれたように潰された4台の車だということがかろうじて見て取れた。あり得ない光景だった。駐車場の上から何かが落ちてくるような物の何もない開かれたスペース。そして、4台の車を潰すほどに落下をした物体も近くには見当たらなかった。

 象でも踏んで行ったか。いや、象どころではない。恐竜でも現れない限り現実に起こりえないだろう。

 これ以上ここにいても何も情報がないと思った誠二は、恋人を待たせている地下食品売り場に戻ろうと踵を返そうとした時だった。

「でもさ、一瞬のことで何が起こったのかわからなかったもんな」

 そう言ったのは、誠二の隣で同じ人垣の中を見物していたカップルのアゴひげを生やした今時の若い男だった。相手の女も不思議そうな顔をして何かを思い出そうとしている。

「だってさ、わたしたちあの車の前にいたのに何の音もしなかったんだよ。それまでは普通に車があって・・・・」

「コンマ数秒だよな」

「コンマ数秒?」誠二はその言葉に思わず見ず知らずのカップルに聞き返してしまったが、若い男は人見知りをしない性格なのか、当然のように話始めた。

「そう、コンマ数秒。歩いてるときに横に普通に車があって、歩いているんだから進行方向に正面を一瞬でも見るじゃないですか。それでまた何気なく横を振り向いたらあの状態になっていて、それがコンマ数秒」

「まさか・・・。」

 誠二の呟きに二人の若い男女は困惑の様子を示した。

「やっぱり信じてもらえないですよね。俺たちもわけわからないから余計に怖くなって走ってここに逃げて来たんだもんな」

 来たんだもんな、と言われた女が「うん」と肯いた。

 二人の様子を呆気に取られて見ていると、聞きなれた音楽がどこからか聞こえて来た。

 -Take FiveのDave Brubeck.。ジャズ好きの誠二とジャズに興味がない彼女の唯一の共通する好きな楽曲だ。誠二は慌ててジーンズのポケットから携帯電話を取り出した。

 受話器を耳に当てるなり、すぐに怒ったような若い女の声が怒鳴るのが聞こえた。

「いったいいつまで待たせるつもり?」

 顔は見えなくても本気で怒っている声かどうか、付き合いの長い誠二にはその可愛らしく頬を膨らませた顔が思い浮かんだ。まだまだ彼女は怒っていないようだった。だが、これが限界だろう。

「すぐに行く」と電話を「切り、まだ困惑をしたままのカップルに「ありがとう。君たちの話を信じるよ」と声をかけてエレベーターへ走った。

 信じると言われた若いカップルはその言葉が信じられないように、あ然として誠二の後姿を見送った。


 地下食品売り場でカートを押している本間玲子は、隣で「俺が押そうか」と手を伸ばす誠二の手を軽く振り払った。女を怒らせてしまった男の哀れさが今の誠二には感じられる。それが案外可愛いと玲子は思った。もしかすると自分って結構Mな方なのかもしれない。

 それでも本当はほとんど怒ってなんかいない。この辺で雰囲気を変えようと思い、玲子は「外の騒ぎは結局何だったの」と訊ねてみた。

 誠二は「へへっ」と得意そうに笑い、デジカメを取り出した。さっき撮影したデータを探しているようだ。

「見たいか?」

 誠二はさも得意そうに聞いてくる。先ほどまでの女を待たせて怒らせた哀れさは微塵も消えうせていた。こんなことならもう少し怒ったふりをしていればよかったかもしれない。

 野菜売り場で色とりどりのピーマンを手にして検討している玲子の前に、誠二がデジカメの画面を差し出した。

 一瞬見ただけでは一体何の画像なのかわからない。

「これ、何?」

「車が潰されていたんだ。それも4台」

「ビスケットみたいにペチャンコじゃないの」

 さほど驚くようでもない彼女の反応に、誠二はまたもっと驚かせたい衝動に駆られた。

「しかも、数コンマ数秒だぞ。どうだ、驚いただろう!」

 人参を手にとりカートの中に入れていた玲子の横で、一人テンションを上げていることに気づいた誠二は「今夜はカレーか」とポツリと言った。

「違うわよ。今夜は久しぶりに二人ともお泊り出来るからステーキでも食べようかなと思ってるいるんだけど、反対?」

「ステーキか・・・・まあ、良いだろう」

 そう言いながらも、クールを装った誠二が心底嬉しそうなことは玲子にもわかった。

「でもさ、誠二さんの学会・・・・光と・・・・何とかの・・・・」

「光と時空の科学学会だ」

「案外暇なのね。そんな写真を撮って喜んでいるんだから」

「光と時空の科学学会はな、ほとんどお遊びで良いんだ」

「変なの」

「元々はうちの学会はアメリカで光学博士のモーリス教授が光を利用したタイムトラベルの理論から始まっているんだ」

「それは前に聞いた。光で空間を捻じ曲げて時空を歪めるっていうアレでしょう」

「そう。その理論に同調した日本の7人の教授でこの学会を作った。この際我々はタイムトラベルについてはモーリス教授に任せる意味を込めて、タイムトラベル以外のことを研究しようということになったのさ。光と時間と空間の関係をいろいろな角度から研究をして、どのような現象を起こすことが出来るのかとか、テーマは一人一人に任せている。だから遊び心が無ければこの研究は先行かないんだよ」

「それで誠二さんはどんなテーマを研究しているわけ?」

「それはまだ内緒だ。学会仲間もテーマのこととなれば、発表するまで敵だからな」

「発表して自慢し合うまででしょう」

 玲子はからかうように言ったのだが、誠二はそんなことは意に介さないタイプだ。

研究のことになると話が次から次へと玲子の知識力と心を無視して進んでいく。それがいつもの二人の習慣のようなものだった。

「それで、おもしろいものが手に入ってね。知り合いの記者からコピーをもらったんだ」

 そう言いながら、誠二はまたショルダーバッグの中をまさぐり始めた。

 科学の世界では光の研究家として玲子が思っている以上に、相馬誠二という大学教授は有名であることを最近の雑誌で知ってはいた。そこに書かれている”若き天才”という文字も得意げな誠二の微笑の前で躍っているかのようだった。

 ここのところ何を思いついたのか、研究室に籠もりきりだった誠二にようやく連絡を取れたのはつい昨晩のことだった。

 「やっと研究の段取りがひと段落したから」と誠二の方から玲子に電話をしてきたのだ。いろいろな男の身勝手さには今まで散々振り回され嫌な思いもしてきたが、誠二の身勝手さは不思議に腹が立たなかった。

 玲子は肉売り場でメインのステーキ料理の肉を見回していた。

 -国産ステーキ用牛肉 一〇五〇円。それを2枚手に取りカートに入れた時、今度は一枚の写真が玲子の顔の前に突き出された。 

 今度の誠二のサプライズ写真にはさすがの玲子も血の気が引いた。

「これ・・・何?」

 写真は一見するならボロ布ようだが、誰が見てもボロ雑巾のようになった人間の姿だった。髪の長さからすると女だと思われた。

「新宿南口改札前の朝の写真さ。この女性は新宿のオフィスビルで営業事務をしているOLなんだが、この朝は同じ職場の先輩でもある彼氏と一緒に新宿駅に降り立った。何しろ朝の新宿だ。人の数は半端じゃない。人がこれだけボロ雑巾のようになるには普通ならどれくらいの時間を要すると思う?」

 見るに耐えない写真だけでなく、誠二の質問も聞くに堪えない。人がその姿になるまでの過程を想像をしただけでも体の芯が震えてくる。それでも声を振り絞って玲子は思いつくままを口にした。

「最低でも・・・・十分くらい?」

「三十分だ。これを見た限りではかなり抵抗をしている。服がこれだけボロボロなるには逃げて捕まれ破られないとこうはならない。そして全身には何十箇所の深い爪あとのような切り傷があった」

「それじゃあ、その三十分間、その女の人がやられているのを誰も止めなかったの?誰も見て見ぬふりだったの?」

「正確に言うと、見れなかったのさ」

 誠二の言っている意味がまったくわからない。普通ならば知識の差があっても、それを埋める何かの以心伝心のようなものがあって不自由さを感じたことはなかった。しかし、今日の誠二は何かがいつもと違う。このままこの流れが続くならば、誠二がどこか見知らぬ遠い場所へ行ってしまうような気がしていた。

 しかし、その流れは止まりそうも無いことが誠二の熱い口調でわかった。

「彼女と彼氏は普通に何事も無かったように電車を降りて、普通に改札を出た。彼氏の方が少し遅れて改札を通過した。先に出た彼女は当然のように彼を待っていた。彼氏が改札を出ると一瞬彼女が消えたような気がして周囲を見回した。そして、周囲からざわめきと悲鳴が聞こえたんだ。彼の足元には彼女がこの状態で転がっていた」

 警察がその後駆けつけたが、目撃者は大勢いたと同時に目撃者は誰一人いないという異常な事態となっていた。多くの目撃者は彼女は確かに元気に普通にそこに立っていたというものがすべてであり、倒れる瞬間も傷だらけになる過程も誰も見ていなかった。当然彼氏にも嫌疑はかけられたが、彼氏も周囲とまったく同じ証言しか出来ずにいた。

 警察の科学捜査でもこれだけの遺体を作るにはある程度の時間を要することが証明されている。彼女をどこかで殺して新宿駅の前に遺棄されたような気配も一切無かった。ましてやそこで惨殺されてまったく動かされていないという証明の方が強く出されたくらいだというのが警察の見解だった。

「何かのトリックじゃないの?」と玲子は恐る恐る言った。

「もちろん、何かトリックがなければこんなことは起き得ない。そのトリックはいったい何なのか。マジックか・・・・それとも・・・・。まあ、トリックであったとしても恐らく一流のマジシャンでもわからないほどの超科学的なトリックだろう」

「それじゃあ、さっきのデジカメの車も?」

「コンマ数秒だ!」

 誠二の口角の両側が上がった。またテンションが上がっている。

 誠二がまだしまわずにいる惨殺死体の写真がまた目に入ってしまった玲子は、カートに入れた国産牛肉の一パックを元の売り場ケースへ戻した。


 

 













































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