1-2緊急経路
エドアルトは明希の大きな荷物を持っているにも関わらず、まるで手ぶらでいるかのようにすたすた歩いていた。一筋のはぐれ色さえ許されぬ完全な黒を湛えた髪が歩調に合わせて揺らいだ。
おかげで明希は馬車を止めた場所から左にある門につくころには疲れはしないものの少し息を乱すはめになった。
門をくぐると西洋を彷彿とさせる左右対称に飾られた広めの道に出た。日が落ちかかっていることもあってか、道の両側には煌々と火が輝いている。
レンガのようなもので舗装された道は暗く、色までは定かではないが丁寧に敷き詰められていて暗いながらも高級感を漂わせていた。
エドアルトの歩調は、緩まない。彼は迷うことなくしっかりとした足取りで歩いていた。
やがて大きな建物の入り口に着いた。真下から見上げれば到底天辺など見えようもないその建物は、期待を裏切らず上品な石で出来ている。
入り口を警護する者が居ないことに少し懸念を抱いたが、学校にそこまでする必要もないのだろうと一人納得した。エドアルトは重い両開きの扉の鍵を開け、さらに進む。
特別棟はここなのだろうか?
寮であれば学生が放課後を過ごす場所であるというのに、ここには明かりひとつない。
真ん中を走る吹き抜けの廊下を歩きながら、明希は言いようのない不安に駆られた。
どうも、ここは寮というより、講義室の並ぶ校舎のように見える。何しろさっきなんて長机に並ぶ豪華な(クッション付であった)椅子を見たのだ。……それも複数の教室で。
いや、彼を信用していないのではない。むしろこの学院になれた人物であるから信頼していたというほうが正しい。――しかし、である。
明希は肩にかけた白い革製の手提げ鞄から地図を取り出した。そして夕焼けの淡い光の中、慎重に地図を見る。
明希は特別棟を見つけるより前に、おそらく自分が通ったであろう道を発見した。火で照らされた長い道である。
そこにはこう表示されていた。
緊急経路
その先の建物には講義棟、とある。
その向こうには野菜園、温室、実験用広場(爆発物を扱う際には事前に申請し、この広場をご利用ください)、の文字。そして、行き止まり。
もうすぐ廊下も終わるというところで、明希は確信した。
我々は、迷っている、と。
非常に遺憾ながら、これは変えようのない事実であった。
明希はこれを彼に伝えるべきか迷った。漆黒の髪を靡かせながら颯爽と歩く彼の青い瞳はこの道が正しいと確信しているのだろう。
いやしかし、これは言わなければならないのである。いわなければ明希はこの広いキャンパスを散々歩きまわされることになるのだ。おそらくすでに20も後半に入る彼には少々辛いかもしれないが大人の対応をしてくれるだろう。うん。
初対面の人間に少し気が引けるが、仕方ない。まったくだ。
この間、コンマ1秒。
明希は地図を持ったまま小走りで前を歩くエドアルトに追いつくと、上がった息を収める暇無く口を開いた。エドアルトが歩みを止めなかったからである。
「あの、すみません。ここ、特別棟、と逆方向、では」
明希がそう言った途端、エドアルトはぴたりと歩みを止めた。
三秒、沈黙が流れる。その間明希はこれ幸いと息を整えた。
もともとたいしたものではなかったため、すぐ元通りになったことに安堵する。風通しのいい廊下に流れる冷気のおかげで汗もかいていなかった。
「い、や。これはだな」
エドアルトは思わずといった風に口ごもる。慌てているためか、敬語も崩れてしまっていた。凛とした光を宿す、冷徹ささえ感じられた青い瞳は、悪戯が見つかった悪餓鬼のように泳いでいる。
やっぱ迷ってたんだ……。ていうか総責任者がこれでいいのか……?
言いようの無い不安が脳裏を駆け抜けた。どう考えても、人選ミスである。明希はもっと早くに地図を出さなかったことに後悔した。今さら、なのであるが。
「そ、そうだ。この向こうに近道があるからそこを使おうとしたんだ」
(えええ!?そう来る!?まさかのパターンP!!)
断っておくとパターンPと言ったのはたまたまだ。偶然である。気分なのだ。そういうわけでパターンAからOはご想像にお任せする。
明らかな言い訳に思わず心の中でツッコミを入れた明希は手元の地図に緊急経路を確認すると、なんとかして言い逃れようとするワルガキが傷つかないようになるべくさりげなく緊急経路に向かった。
今度は、明希が半歩前を歩いて。このとき明希は異世界人物辞典のエドアルトの頁にしっかり、方向音痴と書き加えたのである。
念のため言っておくが、彼らが歩いているのは緊急経路であり遅刻魔の友、近道ではない。