1-20お久しぶりです
ほんの三時間ほどだったとはいえ、アキにとっては久々の楽しい時間になった。
何しろ怖さ半分、申し訳なさ半分で、辺境伯の屋敷にいた頃は人の少ない時間を見計らってこそこそと家政婦に付いていっていたので、同年代のアランと話すのは久しぶりに思い切り笑い、そして美しい学院に癒される素晴らしいひと時となっていたのである。
この寮に来てから今日でちょうど5日目である。
ここに住む生徒は2人だけであると言う殿下の言葉通り、この寮で他の生徒に会うことはなかった。
さらに、アキが少し早めに寮を出ることや、一階のロビーや廊下をあまりうろちょろするわけでもないので、殿下とは全くといっていいほど会わなかったし、エドを見かけても軽く挨拶をするくらいでこの寮の住人とはほとんど接点がなかった。
まあ二人のことはともかく、この部屋にも馴染んできてアキは自然とリラックスすることができた。意外と順応性が高いのかもしれない。
壁は染みひとつない。木製のしっかりした机に、ああ入学式のプログラムを後で片付けなければ。
規則正しく並んだ教材、少し大きめのベッドには藍色の猫……猫?
(夢じゃなかったっけ……)
例の猫に非常に似ているのだが(毛並みは相変わらずふっかふかだ)中途半端に会っていなかったのでなんと話しかければいいのか……と言うか夢じゃなかった?あれ?現実だった?
現実ならアースの民について聞きたいことがごまんとあるのだが。
まあいい。
「あの、カルロスさん……」
「カルペンティエールだ」
(喋ったぁぁああ!!)
どうやらやっぱり現実だったようです。
「もう一回言っていただいても、いいですか……」
「カルペンティエールだ」
「カルペティールさん?」
「カル・ペン・ティ・エール」
「カル・ペ・ティ・エール」
「違う。ペン」
「ぺム?」
辛抱強く指導するカルペンティエールだがなぜかどうもアキの発音が気に食わない。実際に発音するとほとんど違いはないのだが、人間より聴覚が優れているせいか彼は気になって仕方がないのだ。
指導は続く。
「カルペンだ」
「カルペヌ?」
「いや―――いいキルスと呼べ」
「ええ!すみません!申し訳ないです。どこが違うのでしょうか?あの、ほんとすみません!」
キルスはベッドの真ん中で悠々と座りながら言った。
「だからキルスと呼べ。妙な名前で呼ばれるよりましだ……」
「みょ、妙……。いえ、あの直しますから」
「面倒くさい。それにいちいち長ったらしい苗字で呼ばれるのも鬱陶しいから気にするな」
「あ、はい。ホント申し訳ないです」
キルスは綺麗な藍色の長い尻尾をひょいひょいと空中で躍らせた。片目を眇めているようなのだが、いかんせん愛らしい猫の姿では威厳なんてものは微塵も漂ってこない。
「珍妙な。そこはありがとうではないのか?なぜ謝る?」
「あ、え?すみません……」
脱線に脱線を繰り返し、なかなか核心を聞くことができないでいるアキであった。
英語っぽく発音してもらうとカルペンとカルペムがあんまり変わらないのが分かると思います。