会いに行く理由
あの日以来、慧が彩心たちの教室に顔を出すことが増えていた。
そのたびに彩心は落ち着かなくなり、気づけば琴音の席へと足が向かう。
何でもないふりをして腰を下ろしても、胸の奥だけが忙しなく騒いでいた。
「ほら、また来たよ。」
琴音が小声で彩心の腕をつつく。
「…気のせいだってば。」
そう言いながらも、彩心の声はどこか上ずっている。
慧はいつものように穏やかな笑顔を浮かべ、まっすぐ健人の席へ向かった。
「なあ、慧」
健人がからかうように声を上げる。
「お前、最近よく俺んとこ来るよな。」
その言葉に、彩心は思わず息を呑んだ。
健人が茶化すように笑う。
「そんなに俺のことが好きなのか?」
「まあ、そうかもな。」
慧は軽く肩をすくめ、冗談めかして返した。
教室に笑い声が広がる。
誰もが気軽に受け止める中で——
彩心だけが、胸のざわめきを持て余していた。
(…今の、私に向けた言葉じゃないよね。)
ほんの一瞬、慧が自分を見て言ったんじゃないか、そんな期待がよぎる。
そのことに気づいた瞬間、彩心は慌てて視線を落とした。
期待してしまった自分が、急に恥ずかしくなる。
***
健人と談笑するふりをしながら、慧の視線はときどき教室の奥を探していた。
——小さく身をすくめるようにして、月城さんの隣に座る青山さん。
理由はうまく説明できない。
ただ、気づけば足が向いていて、気づけば、彼女の姿を探している。
——本当は、彼女に会うために足を運んでいる。
それを、誰にも打ち明けるつもりはなかった。
自分でも、まだ名前をつけられない気持ちだったから。
***
ある日のこと。
いつものように慧が教室に顔を出すと、健人が彩心をからかっていた。
「もう、ほんと篠原最低!ばか!」
頬を膨らませた彩心が、抗議するように健人の腕を軽く叩く。
健人はそれを楽しむように笑い声を上げた。
じゃれ合うような二人の距離に、慧の胸の奥が、ほんの少しだけ軋んだ。
(…なんだ、これ。)
理由はわからない。
ただ、目を逸らしたくなるような、ちくりとした感覚。
「青山さん、どうしたの?」
気づけば、慧は二人の間に声を投げていた。
「健人、お前、青山さんに何したんだよ。」
「いや、こいつがバカすぎてさ。」
健人はいつも通り、軽い調子で笑う。
「もう知らない!」
彩心はぷいと顔をそむけた。
その横顔を見た瞬間、慧の胸がきゅっと締めつけられた。
(怒ってるのに…)
唇を尖らせた仕草も、少し潤んだ目も、どうしようもなく目を引いてしまう。
「可愛い…」
考えるより先に、言葉が零れた。
「えっ…?」
彩心と健人が、同時に慧を見る。
「あ、ごめん…つい」
慧は慌てて笑ってごまかす。
「でも、青山さんって、怒ってても可愛いなって思って…」
彩心の頬が、みるみる赤く染まった。
「…そ、そんなことないよ。」
小さく答えて、視線を落とす。
「おいおい、そんなわけないだろ。」
健人が笑いながら割って入る。
「可愛いってより、恐ろしい、な?」
冗談めいた口調とは裏腹に、その目の奥には、いつもより冷たい色が滲んでいた。
「誰がそうさせてると思ってるの!」
彩心は顔を赤くして健人をきっと睨む。
その瞬間、チャイムが鳴り響く。
「…じゃあ。」
慧は名残惜しさを振り払うように言い、教室を後にした。
***
廊下に出てから、慧は小さく息を吐いた。
心臓が、やけに早い。
(やっぱり…)
健人に会うため、という理由は、もう言い訳に近かった。
本当は、彼女の顔を見たくて。
声を聞きたくて、ここへ来ている。
それが恋なのかどうかは、まだわからない。
ただ、この気持ちを、もう完全に隠すことはできなくなっていた。




